お盆を受け取ってカウンターを離れると、「あ、舞島」と紙原が目敏く友人を認める。なんだかんだいって、紙原にとっても舞島は大切な友人なのだ。

 「なになに、二人で秘密の信号でも通わせてんのか」という稲臣の足首を紙原が蹴った。

 「愛し合ってるねえ」という稲臣へ「泣かすぞ」と鋭い声が跳ね返る。「違う、フレンドシップ」と慌てた声が跳ねあがる。

 舞島のいる近くの席へ着くと、「やだ紙原君、寂しかったあ」と舞島がひっくり返ったような声でいった。

「お前空気読めよ」と紙原が返すも、舞島は「読めるほど漂ってないんだけど」と冷静に返す。

 「モテない色男が」と紙原にいわれ、舞島は「ちょっと」と傷ついた声を出す。

 舞島の正面に紙原、その隣に稲臣、その正面に俺が座った。

 「いいじゃんか」と舞島が指先で額を掻く。「俺がどんだけ頑張ってここにいると思ってるの。ちょっとくらい労ってほしいね」

 「なんで」と短く返して、紙原がお茶を飲む。

 「馬鹿。あのねちょっと考えて? 俺は——」

 「俺はお前を労わない」と紙原がきっぱりという。

 「ちょ待てって。道徳のお話」という舞島を、彼は「俺はお前を同等以下の存在だとは思わない」と遮った。「おおっと」と稲臣が感嘆の声をこぼした。

 「最高でも同等だとは思わない。最低でも同等だと思ってる」

 舞島がどんな顔をしたのか、隣からは見えなかったけれど、何拍か置いて、舞島は「で」とこちらを見た。

「敬人、なんかあったの?」となんでもないようにいわれて、内心ぎくりとする。

 「俺が何年寂しがり屋やってると思ってるの。今年で十七年よ、無駄にはしたくないよね」

 「寂しがり屋がどんな特技磨いてんだよ」と紙原が笑う。

 「なにも好きでやってるわけじゃないよ。でも十七年も続けると得られるものもあるんだ」

 「寂しがり屋から?」

 「答え合わせしよう」と舞島は紙原を見返した。「なんかあった?」

 紙原に視線を向けられ、俺は「大したことじゃないよ」と答えた。

 「ちょっと、机の中いじられるだけ」

 「俺が嫉妬する必要もなさそうだね」と舞島はまじめな口調でいう。

 「恋文が入ってるわけでもないんでしょ?」

 「どちらかというと脅迫状の方が近いかな」と俺は苦笑する。

 「事件じゃん。ほかの人は?」

 「まさか」と紙原が乾いた笑いを返す。

 「そういうもの? 本当になんともないの?」

 「まあ」と紙原が歯切れ悪く答える。

 「犯人の神経がよほど図太いか、周りがよほど鈍感か……」と舞島が呟く。

 「先生は?」という舞島に「藤村だぞ」と紙原が短く返す。「だめか」と舞島が諦めたようにいう。

 「でも悪い奴じゃないと思うし、相談はした方がいいよ。心配なら藤村じゃなくてもいいと思うし。水曜日だか木曜日だか、カウンセラーみたいな人もきてない? 大型犬みたいな顔した優しそうな女の人」

 「そんな大事にすることじゃないよ」とは俺がいった。

 自分の現状と向き合うのも怖かった。自分が誰かから悪意を向けられていると自覚するのが怖かった。その事実に耐えられる気がしなかった。

ちょっといたずらされているだけ、ちょっと暇つぶしに机の中をいじられているだけ、そう思っていられる方が気楽でいい。被害者となって加害者の存在を認めてしまったら、きっと俺はここにはいられなくなる。すべてが壊れてしまうように思えてならない。