なんとか気を落ち着けて、昇降口を出た。敬人は自転車置き場にいた。

 「帰ってなかったの」というと、「なんでよ」と彼は笑った。いつもと、なんら変わらない調子だ。私が泣き縋るから、彼女とのことは隠すつもりなのだろうか。

そんなことしなくていいよ、彼女に悪いじゃない。それではまるで、ドロドロの恋愛ドラマみたいだ。

結局、彼女の方が耐えられなくなって私に迫ってくるのだ。敬人君を放して、と。いつまでもいつまでも過去に縋っているなんて惨めね、さぞつらいことでしょう、と。

でもね、もう敬人君はあなたのそばにいられるような人じゃないの。少しは視野を広くしてみたらどう? そうね、とてもつらいことでしょうけれど——。

だって、敬人君は一度たりともあなたを愛したことなんてないんだもの、と。

 そんなのはごめんだ。惨めだなんていわれなくてもわかっている。敬人がいなくては峰野拓実として生きていくこともできない。自分が何者かもわからない。なにが好きなのか、なにがしたいのか、なにが得意なのか、苦手なのか。なにも、わからない。自分で自分のプロフィールを埋めることができないのだ。

だから、敬人が好きであることだけを自分の存在価値として、敬人を好きであることだけに自分という存在を見出して、彼に嫌われまいと縋った。ちゃんとしようと思った。でもできなかった。わかっている。軽蔑されて当然だ。

けれども、そうしなくてはいられなかった。自分という存在を形作れなかった。世の中には嘘しかない。その中で見つけた『本当』が、敬人の存在だった。敬人への『大好き』だった。

敬人といるときはいろいろなことを考えた。その間は、私は人間らしくいられた。その場その場の必要なことだけを考えて、ほかの役に立たないことはなにも考えなかった。成長しようと考えていた。それに必要な行動を起こそうと努力できた。

 敬人が、私のすべてだった。

 「拓実」と敬人の声が呼ぶ。泣きたくなるような甘い響き。縋りたくなるような、それを受け入れてくれそうな、優しく暖かい声。

 「調子悪いの?」とこちらを窺う。

 「大丈夫」となんとか答える。いかないで、と縋りつきたくなるのを必死で堪える。

 「後ろ乗る? 二台くらい押せるよ」

 「いいよ、平気。帰ろう」

 きっと、二人での最後の家路。