敬人はやはり素敵な人だった。学校でもみんなが彼を好いていた。あちこちでなにか頼みごとに巻き込まれている。

それはまるで敬人がいいように使われているようだけれど、彼自身はなにも思っていないようで、私としてはそれに悲しいような腹立たしいような心地を誘われた。

 当然ながら、それが不快だというのは私が勝手に感じていることに過ぎない。それはみんなに、敬人になにも頼むなといえるような力は持っていない。

 敬人は器用な人だ。じょうずにこの世の中で生きていける人。私とは違う。まじめで優しくて人望がある。世の中で生きていくのに、本当に必要なものを持っている。

私の拘った学力も、ないよりはあった方がいい。いや、そうであってほしい。一つくらい、私の人生にも間違っていないところがほしい。

 けれども、それ以上に、敬人の持っているものの方が生きていく上で必要とされる場面が多いことだろう。

学者になるわけでもあるまい、勉学ばかりができて協調性や優しさがまるでないとなっては生きていくのは簡単ではないだろう。人が離れていく。そして、自分の持っていない優しさに縋るのだ。

離れないで離れないで、嫌われたくない、どうかそばにと、怖くてたまらなくなるのだ。自分の持っていないもので他者との関わりを築いていくその人を見て、怖くなる。

ああ離れていってしまうと、ああ、あの人に私は必要ないのだと、ああ、あの人を失うことになるのだと、終わらぬ絶望の螺旋を転げ落ちていく。

 敬人はじょうずに生きている。友達も少なくない。出会った頃とは大違いだ。器用にじょうずに人脈を広げていき、助け助けられて日常を過ごしている。

 昼休みになると、敬人はよく私のところにきてくれた。「拓実」と呼んでくれる声を聞くのはどこか寂しくもあった。敬人はなにを思っているのだろう。

敬人にとって、私のそばにいることの意味はなんだろう。敬人はじょうずにいろいろな人と接しているから、私以外の人のこともよく知っているはずだ。

その中には当然、私よりも魅力のある人がいるはずだ。それなのに、敬人は私を気遣ってくれる。やはり、黙って離れていけば私がまた追い縋るからだろうか。

 敬人は、どうしたいのだろう。私が敬人がいなくてもいられるのなら、すぐにでもここから逃げ出したいだろうか。こうして近くにいてくれながら、その術を探しているのだろうか。