放課後、途中まではペダルを漕いだけれど、家が近づいてくると私も敬人も自転車をおりて歩いた。チリチリと車輪の回る音を聞きながら、私は何気なく夕焼けを仰いだ。「あっ」と声が出ると、「どうした?」と敬人の優しい声が反応した。

 私は橙に焼けた空で重なる白線を指差した。「ひこうき雲」

 私の指の先を見た敬人は「本当だ」と少し笑ったような声でいった。「二本のって初めて見た」

 「私も」

 「いいことあるかな」

 「ひこうき雲ってそういうのあるの?」

 「珍しいかなと思って」と敬人は無邪気に笑う。こちらを向いた笑みがとてもかわいらしく見えた。

 「いいことか……。私はでも、これ以上はいらないかな」

 「そう?」という促すような声に恥ずかしくなる。

 「……敬人が、いてくれればいい」

 ふっと笑うのが聞こえ「笑うな」と返すも、彼は「ああ、かわいい」なんて笑う。

 「拓実って本当かわいい」はあ、と深く息をつき、敬人は「なんかもう、おかしくなる」という。「もうなってるよ」といってみると「もう五年以上もずっとね」と彼はなんでもないようにいってまた笑った。

 「馬鹿」

 「いっぱいいるよね。嬉しいことだよ」

 「え?」

 「拓実ほどの人を見て冷静でいられるなんてどうかしてる」と敬人はなんでもないようにいう。

 「……なに、どうしたの。今日、やたら褒めてくれるじゃん」

 「我慢できなくなってるだけだよ。ずっと思ってる」

 「……なに、怖いよ」

 「いったでしょ、俺は拓実が大好きなんだって。世界一の女の子だと思ってる」

 「うるさいよ。わかったから」

 「拓実」と呼ばれて見ると、敬人はゆっくりと足を止めた。つられるようにして足を止めると、そっと頬を撫でられた。

 顔を背けてもその指先はついてくる。「な、なに。くすぐったい……」体が熱い。ふわっと吹く風も、春のものでは熱を連れていってくれない。

 敬人の薄く開かれた唇から、「ああ」と深みを帯びた声が漏れてきた。「こういうのって、恋っていうんだろうね」

 「は……?」

 「拓実がかわいくてしょうがない。泣けてくる」

 「……かわいく、ない……」

 かわいくなんかないよ。独り占めにしたいとか、敬人さえいればいいとか、敬人がいなきゃ生きていけないとか、本音を知ればきっと敬人だって引く。

敬人がいればそれで満足なんじゃない。敬人がそばにいて、周りになにもあってはならない。自分のほかに敬人しかいないような場所じゃないと、満足できない。敬人の心を惹くものがあるんじゃないかと思って落ち着けない。

 ふっと、しなやかな指先が唇に触れた。ほかの指は頬に触れたままだった。

 「かわいいよ。拓実はかわいい」

 思わず首を振る。かわいくない。

 敬人の指が形をなぞるように唇の上を滑る。「拓実」と響く優しい声に泣きそうになる。

 「拓実。もっと自信持っていいよ。女の子として、人として、拓実は素敵だ」

 皺のない真っ黒な生地を掴むと、敬人は片腕でぎゅっと抱きしめてくれた。