優しさについて考えると、思い出すことがある。かわいいうさぎさん。お洒落と冒険の好きな、好奇心旺盛のうさぎさん。

私の憧れだったうさぎさん。絵本の中にしかいない、悲しいうさぎさん。決して触れることはできない。手を握ったり、抱きしめたり、できない。

 あのうさぎさんは本当に優しいと思う。困っている人に持っているものを惜しみなく差し出す。大したことではないはずなのに、生きている間に、時間を浪費するうちに忘れてしまう。

いつしか、手元にあるものを失うのが怖くなるのだ。一つでも失いたくない、少しでも周りより優位なところにいたい。反吐が出るようなその本能的な欲求が、忘れてはならないものを忘れさせる。そんなものは初めから持っていないとでもいうように。

 もうすっかり読まなくなった絵本たちは、木製の箱の中に入っている。いつか再び、表紙をページを開かれることを期待している。

 私は五年以上開いていないその一冊を取り出した。懐かしいうさぎさんが表紙にいる。

 うさぎさんは、絵本の中にいる。絵本の中にしかいない。私と同じ世界で息をすることはない。それが現実だ。けれど、ページを開けばいつでも会えるというのも本当だったりする。

 なにかが揺らぐのを感じた。

 じゃあ、嘘ってなんだろう。本当って、なんなんだろう。なにもかも、本当なのかもしれない。嘘も本当も、全部本当なんじゃないか。本当にあるから、嘘は嘘として在れるのではないか。

 気づきたくなかった、なんて後悔してみる。

 全部本当なら、つらいじゃない。嬉しいが嘘でもいいからつらい悲しいも嘘というのがいいのに、嬉しいが本当である代わりにつらい悲しいも本当なんて。そんなもの、望んでいない。

 敬人、と胸の内側で呼ぶ。つらいも悲しいも本当でも、敬人がいれば……。あまり、怖くないかもしれない。ちょっとだけ、強くなれるかもしれない。

 しかし、これでいいのかとも思う。敬人がいなければ生きていけない。敬人がいなければちゃんとできない、頑張れない。

敬人に大丈夫だよといってもらわなくては、大丈夫だと思えない。なにもかも、怖くてたまらない。敬人の声が温度が、その怖さをやわらげてくれる。

 ああ、だめだ。敬人に置いていかれたくない。敬人に嫌われたくない。優しくならないと。賢くならないと。

 差し出す勇気。それは、どこから湧いてくるものなのだろう。優しさ——いや違う、強さだ。失うことを恐れない強さ。失うことに執着しない強さ、潔さ。なにより、与えられるものを持っている強さ。

 私は、敬人になにを差し出せるだろう。彼を誰よりも好きな自信はある。けれど、人やその心というのはそれだけで繋ぎとめておけるようなものではないだろう。

 私は敬人に、そしてその周りの人に、なにを差し出せるだろう。彼らは私に、なにを求めてくれるだろう。