集中力というのは、途切れさせたら負けだと思う。鳥の囀りに耳を向けてはならない、時計の秒針の音に気を散らさせてはならない、足の痺れは無視せねばならない。

それらに意識を持っていかれたら、もう勉強どころではない。それまでに酷使した頭と手先が鳥の囀りという癒しを求め、時計の秒針という規則正しい音に眠気を誘われ、足の痺れに悶えることとなる。

 もちろん、勉強中に、俺は集中力を途切れさせたら負けというゲームをやっているなどと考えてもならない。集中力を持続させる術について考えだしてしまう。

違う、俺のすべきことは遥か昔のことについて記憶することだ。それも上辺だけで、この人はどうしてこんなことをしたのだろうなどと考えてもならない。

テストでそこは問われない。そのことに不満を感じてもならない。途端に爆発するように気が散る。

 手首を骨折した親戚が以前、酒に呑まれながら「学校てのはな、忍耐力よ、勉強でな、忍耐力を鍛えんのに行くのよ」と自らの胸を叩いていたことがあった。

当時は欲望のまま飲んだくれながらなにをいっているのだろうと不思議に思ったものだけれども、なるほど、確かに学校の勉強というのは忍耐力も鍛えられるかもしれない。

 台所から拝借したキッチンタイマーが夜の十時を知らせる。途端に緊張が解け、関節の動きの悪くなった右手が痛いことと足が限界まで痺れていること、どうしようもなく腹が減っていることを知る。

夕飯を済ませてから三時間もぶっ続けで机に向かっていれば、山盛りのキャベツの添えられたとんかつと二杯の白米、ありたけの根菜と葉野菜を放り込んだ味噌汁の消化などおおよそ済んでいるものだ。

 胃がなにか入れてくれと鳴きながら萎んでいく。大の字なりに寝転んで、拓実の家で食べた甘いおもちを思い出す。

あれはなんていうお菓子だっけ、と記憶を辿ってみるけれど、答えにはいき着かない。あま、もち……。あま、あま……なんだったか。