昼休み、紙原と稲臣と一緒に食堂へ移動した。席を立つ前に、シャープペンシルとその芯のケースをポケットに入れた。学校にいる間、最も守りたいものだ。シャープペンシルは、高校の入学祝いにと父が、芯のケースは姉がくれたものだ。
母からは長年憧れていたブランドもののジーンズをもらった。一生ものになるような立派なジーンズが欲しいとは小学生の頃から思っていた。もらってから、母に身長が伸びきったら買ってあげるといわれていたのを思い出した。すっかり初任給ででも買うつもりでいた。
父のくれたシャープペンシルもまた立派なものだった。ブランドのものと見えるマークが刻まれている。姉のくれた芯のケースは手作りだった。チェスのキングの駒を模した形だった。前々から手先の器用な姉だったけれど、そのときばかりは驚きを通り越えて笑ってしまった。
「チェスにおいて、キングの価値は絶対だよ。あんたの分身なの」と姉はいった。「キングが死んだらゲームはお終い。精々大切にしなさい」という言葉が影響しているのか、それとも単に姉が入学の記念に作ってくれたものだからか、理由はともかく、この二つばかりはいじられたくなかった。
災害時、押すな駆けるな喋るな戻るなというけれど、俺はきっと、これを取るためなら逃げて行く人の波を「すみません、すみません」と掻き分け、走って戻るだろう。
食堂は大窓が一面を占めていて、眩しいほど明るい。その中を、あちらへこちらへ生徒が動いている。
紙原は俺と同じ日替わり定食を、稲臣は臨時収入があったからと奮発してとんかつ定食を選んだ。
普段使う辺りの席が埋まっており、別のテーブルの端に着いた。俺と紙原が横に並び、俺の正面に稲臣が着く。
食事に添えられた紙コップ一杯のお茶を一口飲んだとき、「ご一緒してもよろしいですか」とのんびりした声がした。舞島だった。お盆にはどんぶりと汁椀、紙コップが載っている。「出たな、プードル」と紙原が反応する。「よう、もてない色男」と稲臣も囃す。
「俺にもてないは禁句だっていってるじゃん」といいながら、舞島は紙原の正面に着く。彼は二人が囃すままの人だ。容姿は綺麗なものの女っ気がない、癖毛の男。
舞島は「もう」と喋り出す。「いつものところにいてくれないと寂しいじゃん」
紙原は「塞がってたんだよ」と答えて味噌汁を啜る。
「紙原も冷たいねえ。俺は紙原と会えるのが嬉しいわけよ。俺がどんな思いでここに入学したと思ってるの」
紙原は今度はのんびりとお茶を飲んで、「うるせえな」と答える。「お前はそのネタいつまでやるんだよ」
「いつまでだってやるさ。俺は死ぬ気で勉強したんだから」
「ああそうかよ」と紙原は冷たい。
「それ、なんなの?」と稲臣。
「あれ、いってないっけ」と舞島が嬉しそうにいう。
「俺さ、紙原とは小三の頃からの仲なんだよ。でも俺、親父の転勤で小学校卒業と一緒に引っ越したのね」
舞島はやわらかそうな髪の毛の中に手を入れる。「おかげで愛する紙原君とは離れ離れ」とおどけた表情で肩をすくめる。
「中学の間はまあ、ずっと連絡は取っててさ。そうしたら、高校はどこ行くのかなーって思うじゃん。訊いてごらん、紙原はなんでもないようにいうよ、『下浜高校』」
舞島は大げさなほど驚いた顔をして見せる。そこには疑うような困ったような色味も含まれている。「はあ?でしょ。俺がのんびりと近代文学読み漁ってるときになにしてんのって話よ」
「知らねえって」と紙原が苦笑する。
「ああ、好きなんだっけ」と俺も続く。
「もうね、俺これは裏切りだと思った」
「あはあ、めんどくせえ」と紙原が高い声で笑う。
「だってあれよ、紙原の小学校時代といえば漫画の連載誌を追いかけることだけが楽しみだったんだよ? そんな男がなんだって下浜高校なんか第一志望に挙げるわけ」
「いや、俺はいったぞちゃんと。中学からはまともに勉強するって」
「そんなの嘘だと思うに決まってるじゃん」
「いや信頼関係」と紙原が嘆く。「信じろ、俺をもっと」
「じゃあお前、卒業文集になんて書いたよ」
「将来の夢はプロゲーマー」
「もう完璧じゃん」と舞島が苦笑する。「もう勉強とは距離を置いてる奴なのよ、完全に。実際さ、紙原うまいんだよ、ゲーム。だから結構本気でそういうの目指すのかなって思ったわけ。だから同じ高校とか行けないだろうなって思ってたのにさ、なにをお前、急にめっちゃくそ努力すれば入れるようなところいってくれてんの」
「いいじゃんかよ、こうして一緒に食堂で駄弁ってられんだから」
「ちゃっちゃう、全然わかってない。お前あれだろ、途中で殴り合いとかあっても最後の最後で平和に話がまとまればそれで満足するタイプだろ」
「知らねえって」
「物事には経過ってもんがあんのよ。ちょ、わかる? 難しいかな? 俺が今こうしてお前たちと駄弁ってられる幸福を享受するのに払った代価を考えて? ほら、そうへらへらしてられなくなっから」
「お前の主張の激しさにへらへらがいらいらに変わりそうなんだけど」
「とまあ、ね。こういうことがあったわけよ」と舞島はのんびりと締めくくった。
母からは長年憧れていたブランドもののジーンズをもらった。一生ものになるような立派なジーンズが欲しいとは小学生の頃から思っていた。もらってから、母に身長が伸びきったら買ってあげるといわれていたのを思い出した。すっかり初任給ででも買うつもりでいた。
父のくれたシャープペンシルもまた立派なものだった。ブランドのものと見えるマークが刻まれている。姉のくれた芯のケースは手作りだった。チェスのキングの駒を模した形だった。前々から手先の器用な姉だったけれど、そのときばかりは驚きを通り越えて笑ってしまった。
「チェスにおいて、キングの価値は絶対だよ。あんたの分身なの」と姉はいった。「キングが死んだらゲームはお終い。精々大切にしなさい」という言葉が影響しているのか、それとも単に姉が入学の記念に作ってくれたものだからか、理由はともかく、この二つばかりはいじられたくなかった。
災害時、押すな駆けるな喋るな戻るなというけれど、俺はきっと、これを取るためなら逃げて行く人の波を「すみません、すみません」と掻き分け、走って戻るだろう。
食堂は大窓が一面を占めていて、眩しいほど明るい。その中を、あちらへこちらへ生徒が動いている。
紙原は俺と同じ日替わり定食を、稲臣は臨時収入があったからと奮発してとんかつ定食を選んだ。
普段使う辺りの席が埋まっており、別のテーブルの端に着いた。俺と紙原が横に並び、俺の正面に稲臣が着く。
食事に添えられた紙コップ一杯のお茶を一口飲んだとき、「ご一緒してもよろしいですか」とのんびりした声がした。舞島だった。お盆にはどんぶりと汁椀、紙コップが載っている。「出たな、プードル」と紙原が反応する。「よう、もてない色男」と稲臣も囃す。
「俺にもてないは禁句だっていってるじゃん」といいながら、舞島は紙原の正面に着く。彼は二人が囃すままの人だ。容姿は綺麗なものの女っ気がない、癖毛の男。
舞島は「もう」と喋り出す。「いつものところにいてくれないと寂しいじゃん」
紙原は「塞がってたんだよ」と答えて味噌汁を啜る。
「紙原も冷たいねえ。俺は紙原と会えるのが嬉しいわけよ。俺がどんな思いでここに入学したと思ってるの」
紙原は今度はのんびりとお茶を飲んで、「うるせえな」と答える。「お前はそのネタいつまでやるんだよ」
「いつまでだってやるさ。俺は死ぬ気で勉強したんだから」
「ああそうかよ」と紙原は冷たい。
「それ、なんなの?」と稲臣。
「あれ、いってないっけ」と舞島が嬉しそうにいう。
「俺さ、紙原とは小三の頃からの仲なんだよ。でも俺、親父の転勤で小学校卒業と一緒に引っ越したのね」
舞島はやわらかそうな髪の毛の中に手を入れる。「おかげで愛する紙原君とは離れ離れ」とおどけた表情で肩をすくめる。
「中学の間はまあ、ずっと連絡は取っててさ。そうしたら、高校はどこ行くのかなーって思うじゃん。訊いてごらん、紙原はなんでもないようにいうよ、『下浜高校』」
舞島は大げさなほど驚いた顔をして見せる。そこには疑うような困ったような色味も含まれている。「はあ?でしょ。俺がのんびりと近代文学読み漁ってるときになにしてんのって話よ」
「知らねえって」と紙原が苦笑する。
「ああ、好きなんだっけ」と俺も続く。
「もうね、俺これは裏切りだと思った」
「あはあ、めんどくせえ」と紙原が高い声で笑う。
「だってあれよ、紙原の小学校時代といえば漫画の連載誌を追いかけることだけが楽しみだったんだよ? そんな男がなんだって下浜高校なんか第一志望に挙げるわけ」
「いや、俺はいったぞちゃんと。中学からはまともに勉強するって」
「そんなの嘘だと思うに決まってるじゃん」
「いや信頼関係」と紙原が嘆く。「信じろ、俺をもっと」
「じゃあお前、卒業文集になんて書いたよ」
「将来の夢はプロゲーマー」
「もう完璧じゃん」と舞島が苦笑する。「もう勉強とは距離を置いてる奴なのよ、完全に。実際さ、紙原うまいんだよ、ゲーム。だから結構本気でそういうの目指すのかなって思ったわけ。だから同じ高校とか行けないだろうなって思ってたのにさ、なにをお前、急にめっちゃくそ努力すれば入れるようなところいってくれてんの」
「いいじゃんかよ、こうして一緒に食堂で駄弁ってられんだから」
「ちゃっちゃう、全然わかってない。お前あれだろ、途中で殴り合いとかあっても最後の最後で平和に話がまとまればそれで満足するタイプだろ」
「知らねえって」
「物事には経過ってもんがあんのよ。ちょ、わかる? 難しいかな? 俺が今こうしてお前たちと駄弁ってられる幸福を享受するのに払った代価を考えて? ほら、そうへらへらしてられなくなっから」
「お前の主張の激しさにへらへらがいらいらに変わりそうなんだけど」
「とまあ、ね。こういうことがあったわけよ」と舞島はのんびりと締めくくった。