拓実は部屋に入ると、ランドセルをおろしてすぐに宿題に取りかかる。俺の中に引っかかりを残しながら、前々からそうであったように。

 家で一人寂しく取り組むのもなんなので、俺も拓実の隣で宿題を広げた。俺が休み休み、時折鉛筆を弄んだりしながら進めるのに対して、拓実は決して手を止めなかった。

まるで考えたり悩んだりすることもないように、常に鉛筆を走らせていた。暗記した内容をそこへ吐き出しているのだといわれても、ああそうだったんだと頷けてしまいそうなほど迷いがない。

 それでいて、俺の鉛筆が筆箱へ帰ってからも、拓実の鉛筆は走っていた。明らかに拓実の書いているものの方が多いのだ。正確には、拓実の解いている問題の方が多い。

 ちらと窺ってみて、体の芯が震えた。拓実の目が、揺れていた。自分の手先が並べていく文字を追っているのとは違く、その虹彩が右へ左へ揺れていた。

 名前を呼んでも反応がない。変わらず、震えるように目を揺らしながら手を動かしている。

 俺は、拓実の華奢な体へ腕を回した。びくりと震えたその温度を引き寄せる。座卓に鉛筆が転がる音がした。

 腕の中で「やめて」とか細い声がこぼれた。「触ら……ないで」と。

 「ごめん、無理」

 「……放して」

 「拓実、どうしたの」

 「お願い」

 「拓実。教えて。なんでそんな悲しい顔するの」

 「放して」

 「教えて」といった声に「敬人」と怒ったような声が重なった。

 「拓実が教えてくれて、俺が納得できたら放す」

 自分勝手な条件だとは思った。けれども、こうでもしなければ拓実が壊れてしまう気がしてならなかった。

 「悲しい顔なんかしてない」

 「俺の勘違い?」

 「そうだよ」

 「そう思えない」

 「そうなの」

 「拓実、つらいでしょ? 俺もつらい。俺のわかんないところで拓実がつらくなってるのわかるから。……拓実。教えて」

 「……敬人にこうされる方が、つらい」

 刃物が食い込んでくるように、重く、熱く、痛かった。そこから、彼女は「放して」とその刃物を一気に引き抜いた。腕から力が抜けた。拓実は再びノートに向かった。

鉛筆がノートの上を走る音が、黒板を鋭い爪で引っ掻く音に聞こえた。悪意のように不安を煽り、呪いのように重くまとわりつき、人ではない恐ろしい存在のように、冷たく背筋を撫でる。