敬人、拓実、と呼び合うようになったきっかけはよく憶えていない。気がついたらそう呼び合っていた。きっかけなんて、どうせ私が偉ぶって彼を呼び捨てにしたとかいう程度だろう。

 敬人とは小学校の四年、五年、六年と同じクラスだった。今では一年、二年、三年と同じクラスであってほしかったと思うけれど、どうせそれでもなにも変わりやしないのだろうとも思う。

 私はみるみる醜くなった。敬人を好きであることだけが、自分がまだ人間をやっていると思えるところだった。

敬人といる間だけは、穏やかな心持ちでいられた。のんびりと時の流れを全身で感じ取るような、そんなことができるような余裕があった。

 いっぱい見える、と光を恐れていた少年は、その光と向き合える立派な姿に成長した。身長はその頃もまだ私とほとんど変わらなかった。

百六十センチを一センチ越えられるか越えられないかという程度で止まった身長も、伸びている間はそれなりに高かったのだ。

 家の廊下に立つ敬人の目を、後ろからそっと覆う。ひなたぼっこ。私たちの、少し変わったひなたぼっこ。私は敬人の体に右腕を回し、抱きしめた。

服から洗剤か柔軟剤か、優しくやわらかい匂いがした。静かに笑って喉を鳴らす彼は、やはりかわいかった。胸の奥の穢らわしいものが浄化されるような、微かな苦しさを孕んだ安らぎが体じゅうを満たした。

 私から誘うようにして、一緒に座る。預けられる上体は、幼稚園に通っていた頃よりも重く大きくなっている。それに対する愛おしさは寂しさに似ていた。

 「拓実」と呼ばれ、「なあに」と答える。意味などない。ただ、互いの声を聞くためのやりとりだ。すぐ後ろに、腕の中に、相手がいるということを確かめるための呼び合い。「敬人」と私が呼ぶと、彼はくすぐったそうに笑った。

 「敬人」

 「うん」

 ——大好き。