一緒に遊ぶたび、拓実は外へ出たがった。「お花を見に行こうよ」とか、「お空が綺麗だよ」とか、「お散歩しに行こうよ」と。

けれども、俺にはいつもそれを引き受ける勇気がなかった。お手玉、あやとり、折り紙、拓実の教えてくれた遊びを引き出して、なんとか障子の中に留まった。

 思えば、あまり外に出ることのない幼少期だった。体が弱かったわけではない。どちらかといえば、気が弱かったのだ。

外で駆け回るより、部屋の中で本を読んでいる方が好きだった。トランプやボードゲームで遊んでいる方が好きだった。きょうだいはいないので、ゲームの相手はいつも母か父だった。

母は子供を相手に加減をするような人ではなく、いつもぼろぼろに負かされた。幼稚園に通っているような俺に圧勝して、いつも大喜びしていた。

俺もまた変に負けず嫌いなところがあるものだから、負けるたびに再戦を申し出た。ある日、ふっとなんでもないように勝てた瞬間があり、とても嬉しかったのを憶えている。

 夜が好きだった。真っ黒な空にぽっかり咲いた月の花灯りが、障子の向こうの縁廊下をぼんやりと濡らす。障子越しに月を見るのが好きだった。

直接見たくて障子を開けることもあったけれど、結局は決まって黄色を帯びた白い光の延びる畳に向き合って、立ったままの自分の影をぼうっと眺めることになった。見たくて障子を開いたのに、途端に怖くなるのだ。  

月の灯りがとても眩しいもの思えてしまう。背中に受けて、畳に浮かぶ自分の影にその眩ゆさを感じるくらいがちょうどよく思える。

 三日月、特に新月の夜は心地よかった。真っ暗な部屋は重力を無くして、じんわりと眠りの奥へ連れ出してくれた。

夜闇は俺にとって、部屋の中に現れる幻想だった。目を閉じても開いても、なにも見えない。方向も重力も無くなったその部屋は、あまりに心地がよかった。

なにも見えない、なにも聞こえない。そのうっとりするような夜の奥深さに溶け込むような錯覚に浸るのが幸せだった。ただ、心が安らいだ。