教室の空気が少し違った。普段と大きな違いがあるわけではない。いつも通り雑談がにぎやかな一色になっているし、喧嘩をしているような人もいない。黒板に伝達事項が記されているわけでもない。それでも、なにかが違う。
廊下側の、紙原という友人の隣の自席へ着くとき、ちらと拓実の席を見た。空いていた。俺がそちらを見たのが合図になったように、窓際の女子と目が合った。その時間を努めて短くして、気がつかなかったふりをしてみるけれど、あちらも気がついたに違いない。
ほとんど出席を取るのと一日の流れを確認するだけのようなホームルームが済むと、ふと、担任と目が合った。
彼は廊下に出るようにと目配せしてくる。周囲を見るように目を動かしてできるだけ自然に人差し指を自分へ向けると、彼は一つ瞬きをした。
担任が挨拶を済ませて教室を出てから、少し間を置いて教室を出た。「尊藤」と呼ばれ「はい」と答える。
身長はほとんど変わらないし、目つきが悪いわけでもない。高圧的な口調というわけでもない。それでも、どこか威圧感がある。呼び出されたという事実とそれに対する不安がそうさせているのだろう。
「昼休みか放課後、時間取れるか」
「ええ、どちらでも。……なにか」
「少し話がしたい。相談室にきてくれないか」
大げさなほどに、予感めいた嫌な心地が膨らんでいく。「わかりました」と答えるのに時間がかかった。「先生はどちらが都合がいいですか」
「俺はどちらでも構わない」という口調や表情からは、考えていることは少しも読み取れない。その調子で「お前の時間が取りやすい方でいい」といわれても怖いだけだ。
「……では、昼休みに伺います」
拓実——とはいわなくとも——峰野さんの欠席となにか関係があるんですか、と尋ねたいところだったけれど、余計なことは喋らない方がいいように思えた。
拓実のことは俺が勝手に気を遣っているだけで、客観的に見れば俺と彼女はただの同級生だ。口を利くこともない。恋人でなければ友人でさえない。尊藤敬人と峰野拓実を繋ぐものは誰にも見えない。
「悪いね」と短くいうと「昼飯、済ませてからでいいよ」と続けて、担任は階段の方へ歩いていった。俺はそれを見送って、なんとなく、トイレの横にある流しへ向かった。ハンカチを咥えて水栓を捻る。
席に戻ると紙原が「藤村、なんだって?」と声をかけてきた。
「昼休みに相談室にきてくれって」と素直に答えてから、「最近怠けてるっていって、勉学の大切さでも説いてくれるんじゃない?」と笑って肩をすくめた。
「お前が怠け者認定されてたら俺らどうなるんだよ」と紙原は苦笑する。
それからふっとまじめな顔をすると、「峰野の休みとなんかあんのかな」と小さくいった。
「まさか」と俺は笑い返す。「俺と拓実はもう——」
「本当にそうか?」と紙原は俺の言葉を遮った。「奴らがいる」と窓の方を顎の先で示しながら低くいう。
なにかいおうとして、そのための言葉がないことに気がつく。その通りだった。俺はまだ、拓実と繋がっている。俺の未練じゃない、一方的な感情じゃない、俺のそれを否定するような力で強く結びつけられている。
「……で、でもほら、俺はなにも知らないしさ」なんとか笑って、自分の胸を叩く。「どんと構えておくよ」
「そうか……? あいつらはなかなかやばい奴だと思うんだが、俺だけか」
あいつらといいながら、紙原が注意しているのは一人だ。その一人が最も行動力がある。
俺はただ笑っておく。なにもいえない。ただ、彼女らに対して恐怖に似たものがあるのは間違いなかった。
「あいつらはなにをするかわからない」と呟いて、紙原は、「なんかあったらいえよ」といってくれる。
「うん、ありがとう」
廊下側の、紙原という友人の隣の自席へ着くとき、ちらと拓実の席を見た。空いていた。俺がそちらを見たのが合図になったように、窓際の女子と目が合った。その時間を努めて短くして、気がつかなかったふりをしてみるけれど、あちらも気がついたに違いない。
ほとんど出席を取るのと一日の流れを確認するだけのようなホームルームが済むと、ふと、担任と目が合った。
彼は廊下に出るようにと目配せしてくる。周囲を見るように目を動かしてできるだけ自然に人差し指を自分へ向けると、彼は一つ瞬きをした。
担任が挨拶を済ませて教室を出てから、少し間を置いて教室を出た。「尊藤」と呼ばれ「はい」と答える。
身長はほとんど変わらないし、目つきが悪いわけでもない。高圧的な口調というわけでもない。それでも、どこか威圧感がある。呼び出されたという事実とそれに対する不安がそうさせているのだろう。
「昼休みか放課後、時間取れるか」
「ええ、どちらでも。……なにか」
「少し話がしたい。相談室にきてくれないか」
大げさなほどに、予感めいた嫌な心地が膨らんでいく。「わかりました」と答えるのに時間がかかった。「先生はどちらが都合がいいですか」
「俺はどちらでも構わない」という口調や表情からは、考えていることは少しも読み取れない。その調子で「お前の時間が取りやすい方でいい」といわれても怖いだけだ。
「……では、昼休みに伺います」
拓実——とはいわなくとも——峰野さんの欠席となにか関係があるんですか、と尋ねたいところだったけれど、余計なことは喋らない方がいいように思えた。
拓実のことは俺が勝手に気を遣っているだけで、客観的に見れば俺と彼女はただの同級生だ。口を利くこともない。恋人でなければ友人でさえない。尊藤敬人と峰野拓実を繋ぐものは誰にも見えない。
「悪いね」と短くいうと「昼飯、済ませてからでいいよ」と続けて、担任は階段の方へ歩いていった。俺はそれを見送って、なんとなく、トイレの横にある流しへ向かった。ハンカチを咥えて水栓を捻る。
席に戻ると紙原が「藤村、なんだって?」と声をかけてきた。
「昼休みに相談室にきてくれって」と素直に答えてから、「最近怠けてるっていって、勉学の大切さでも説いてくれるんじゃない?」と笑って肩をすくめた。
「お前が怠け者認定されてたら俺らどうなるんだよ」と紙原は苦笑する。
それからふっとまじめな顔をすると、「峰野の休みとなんかあんのかな」と小さくいった。
「まさか」と俺は笑い返す。「俺と拓実はもう——」
「本当にそうか?」と紙原は俺の言葉を遮った。「奴らがいる」と窓の方を顎の先で示しながら低くいう。
なにかいおうとして、そのための言葉がないことに気がつく。その通りだった。俺はまだ、拓実と繋がっている。俺の未練じゃない、一方的な感情じゃない、俺のそれを否定するような力で強く結びつけられている。
「……で、でもほら、俺はなにも知らないしさ」なんとか笑って、自分の胸を叩く。「どんと構えておくよ」
「そうか……? あいつらはなかなかやばい奴だと思うんだが、俺だけか」
あいつらといいながら、紙原が注意しているのは一人だ。その一人が最も行動力がある。
俺はただ笑っておく。なにもいえない。ただ、彼女らに対して恐怖に似たものがあるのは間違いなかった。
「あいつらはなにをするかわからない」と呟いて、紙原は、「なんかあったらいえよ」といってくれる。
「うん、ありがとう」