「そうだったんですか。そんなことが……」

 俺の話を聞いた豊橋さんは、俯いてしまった。
 無理もない。
 ヘビーと言えば、ヘビーか。
 だが、俺にとって問題なのはそこじゃない。
 浜松が果たせなかったこと……、いや、正確に言えば俺自身の落とし前だ。
 それのケリを付けない限り、いつまでも燻り続けることは火を見るより明らかだ。

「そうだったんだ……。ごめんね、羽島くん。話しづらかったよね?」

 斜め前の席から品川さんが、謝ってくる。
 いや、彼女が謝る謂れはない。
 こちらこそ、赤の他人にこんな話をして申し訳ないとは思う。
 それを言うなら、むしろ……。
 俺は左隣に視線を送り、三島の様子を伺う。
 三島は腕を組み、目を瞑り下を向いていた。

「……まぁ気にすんなって。こっちこそ悪いな。つまらん話して」

 俺の言葉に呼応するように、三島が俺に向き直り声を上げる。

「羽島くんっ!!!」

「っ!? な、なんだよ。急にデカイ声出すなよ……」
「羽島くん。その……、あの時は彼女を助けてあげられなくて、本当にゴメン! ()()()()()()謝るよ……」
「……やっぱそういうことだったのかよ。大型病院の後継ぎさんだったのかよ。そりゃオモテになるわな」
「いや! 俺は違うよ。だってホラ。普通に会社員してるだろ? 病院の方は兄貴が継いでるからね。結構、勘違いされること多いんだけど」

 そう言いながら、投げやりな笑みを浮かべる。
 三島の話によると、彼の実家の病院は地元ではかなり有名らしく、『三島』という名前を聞いてピンと来る人も多いようだ。
 そして、なまじ顔もいいばかりに客寄せパンタとして、地元周辺の合コンでは引っ張りだこらしい。

 とは言え、飽くまで後を継いでいるのは兄の方だ。
 米原は、大学時代から女性関係で問題を抱えていると言っていたが、トラブルとは()()()()の認識の違いによるものなのだろう。
 
「そうか。何か大変そうだな……」
「まぁね。米原くんとの飲み会は楽でいいよね。彼、全然そういうの気にしないし、そもそも俺から言い出すまで、実家のこと知らなかったんだから」

 なるほど。
 結局、コイツも自分の取り巻く環境とやらに翻弄されている一人、か。
 周りに都合よく利用されている内に、ある種の人間不信のようなものに陥っているのかもしれない。
 米原は大学からの友人と言っていたので、三島の地元のことについてはノータッチだったのだろう。
 全く違う世界の人間だと思っていたが、何だか少しだけ親近感を覚えた。
 『アマチュアデート商法男子』などと、心の中でレッテル張りしたことを詫びたい。

「……それなら、なおのことお前は関係ねぇだろ」
「確かにそうかもしれない。でも、ずっと聞かされてたんだよ、親父や兄貴から。()()()()()()患者さんが居るってね」
「凄い変わってる、ね……」
「うん。だってさ、『アタシは映画監督になるから、今の内にサイン書いて上げますよ〜』なんて、主治医や看護師さん達に言って回ってたらしくてね」
「そりゃ大層変わってるな……」
「それでさ……、彼女よく羽島くんの名前も出してたらしくてね。()()脚本家なんだって?」

 三島は冗談めいた雰囲気で言う。

「この流れで茶化すなよ……。そうだな。俺が天才だったら、もっと違う運命があったのかもな」

 俺が自虐的に言うと、三島は視線を逸らす。
 実際、三島は関係ない。
 これ以上俺の独りよがりに、このメンツを巻き込むわけには……。



「あ、あのっ!!!!」



 バンッと勢いよくテーブルを叩いて、豊橋さんは立ち上がる。

「何となく腑に落ちました……」

 豊橋さんに虚を衝かれ、俺は言葉に詰まる。

「光璃ちゃん、それはどういうことかな?」

 三島が俺の代わりとばかりに、豊橋さんに問いかける。

「羽島さんが、私にマニュアル作りを提案した理由です……」

 俺はその時、胸のざわつきを抑えることが出来なかった。

「羽島さん。私と初めて電話で喋った時のこと、覚えてますか?」

 豊橋さんは、俺をまっすぐに見下ろしてくる。
 そこには普段のおどおどしい雰囲気はない。

「どうだったかな……」

 精一杯惚けて応える俺に構わず、彼女は続ける。

「言ってくれましたよね。『アンタはもう少しこの仕事を続けて、人間の裏とか悪意とかを学んだ方がいい』って……」

「そうだな。それが目的だな……」

「違い、ますよね?」

 ここまで言われて、確信してしまう。
 俺は彼女をあまりにも過小評価しすぎた。

「恐らく羽島さんは、まだ無意識的に模索しているのでしょう……。彼女と作れなかった脚本を。彼女が……、いえっ。羽島さん自身が納得できるカタチでの終わり方を。それは、きっと彼女の望みでもあるから。そのことは羽島さん自身も気付いているんじゃないでしょうか?」

 彼女にそれを言われてしまった時、大人気なくも頭に血が上っていることに気付く。

「……分かったような口利くな! なんだ!? アンタは俺が他人に自分の後悔を、一方的に押し付けるクズ野郎とでも言いたいのかっ!?」

「ち、違います! 私はただ……」

 俺が声を荒げると、彼女は黙り込む。
 やってしまった。
 俺は居心地の悪さを隠すため、一番最低な手段を採る。

「帰る……」

「ま、待って下さいっ!!」

 俺が席を立ち、入り口へ向かうと、彼女も立ち上がり後を追って来ようとする。



「待って、下さい」

 居酒屋の外へ出た時、彼女に再び腕を掴まれる。
 消え入りそうな声とは裏腹に、俺を引き止める力は次第に強くなる。

「もう一つだけ……、聞かせてくれませんか?」

「何だ……」

「私がこれ以上騙されないように、と羽島さんが言った真意です」

「真意も何も、そのままの意味だよ」

「本当に……、そうですか?」

 やはり何もかもお見通し、なのか。
 
「羽島さんは、彼女の作った優しい世界が見たかったんですよね。だから、脚本作りを引き受けた。違いますか?」

「……時系列がメチャクチャじゃねぇか。そんなのは後付けだ」

「では()()()と言った方が正確でしょうか?」

「……結局、何が言いたいんだよ」

「だから、羽島さんは嘘を否定しているわけじゃない。嘘に騙されるな、ではなく、()()()()()()()()()()()()()()、ですよね?」

 そうだ、その通りだ。
 俺はその本質を見誤り、最後の最後で取り返しのつかない結果を生んでしまった。
 詐欺にあったところで、きっといくらでもやり直せる。
 司法だって、味方だ。
 だから、肝心なのはそこじゃない。
 世の中に五万とある嘘や欺瞞の裏側にある本質。
 それは他でもない、
 嘘を吐く動機と、周囲にもたらす影響だ。
 豊橋さんには、それを読み違えて欲しくなかったのだ。
 
 いや……。
 それとて、後付けの理由だ。
 結局のところ、豊橋さんが言うように、マニュアル作りに託けて()()との続きを模索していたのだろう。
 我ながら、女々しいことこの上ない。

「すみません……。無神経なコト言って」

 今さら謝るな。
 これ以上、俺を惨めな気分にさせるな。
 もう、うんざりだ。
 自己嫌悪などこの2年間、飽きるほどしてきた。

「でも、羽島さんには立ち直って欲しくて……。だって羽島さん、たまに凄い苦しそうな顔するじゃないですか。やっぱり未だに燻っているんじゃないですか?」

「だったら、どうだってんだよ……」

「……人って、簡単に変われないものです。私を見れば分かりますよね?」

「…………」

「だから考えて考えて考えて考えて……、結局振り出しに戻る。羽島さん、この2年間、何度振り出しに戻りましたか?」

「っ!?」

 その言葉を聞き、俺は力一杯彼女の腕を振り払ってしまった。
 それから、彼女が俺の後を追ってくることはなかった。