冷たい目をした高塔の言葉にさらにカッときた。おそらく彼は幾度となくこういう場面を経験してきたのだろう。その度に離れていく友を見送ったのだろう。だが自分はそんなことで心変わりなんかしない。
俺はお前の傍から離れたりしない。初めて真剣にそう思った。
「高塔……」
「……薙?」
両手と全身が自然に動き、途惑っている彼の細い肩を抱き寄せる。そのままぎゅっと抱きしめると、高塔は怯える少女のように小さく震えた。目を閉じると彼の匂いを感じる。涼やかで清々しい水辺の花のような香りだった。
「……」
それはほんの数秒のことだったが、数年後には恋人と呼び、彼女だと認識することになる由佳里よりも先に、薙の手は高塔に触れていた。
数秒後、ゆっくりと身体を離して、薙は宣言する。
「俺がそんな男だと思うのか? 俺はお前が好きだ、お前が何者でも、この先何があっても、それだけは絶対に変わらねえからな」
すると高塔は大げさに慄き、思いっきり胡散臭そうに離れてから真っ赤な顔で喚いた。
「なにっ、それ! やっぱお前そっち系?」
「違う! 今のは親愛の情ってヤツだ、わかれ、そんくれえ!」
「わかるか、そんなもん!」
「違うからな、絶対違うからな!」
笑いながら、それでもなお疑わしそうにホントかよとブツブツ言う高塔を見ながら、薙は誤解されたままでもよかったかなとちょっとだけ思った。
それくらい、そのときの高塔は可愛かった。
「変わらねえよ、俺は……俺達はずっと親友だ、そうだろ?」
そう言ったとき、極自然にそうだなと答えた高塔の肩が、なぜかとても小さく細く見えた。
だが一瞬の不安を無視して、来週末何をして遊ぶとか、その前に期末があんじゃねえかよと、他愛無い話をしはじめる。それからも二人の関係は変わらないものと信じようとしていたのかもしれない。
それからもずっと、共に遊び共に学び、ときには学校をサボって無駄にダベって、何をするにも高塔と一緒だった。 彼と過ごす時間は薙の宝だったのだ。
しかし薙にはもう一つの宝があった。幼馴染であり性別を越えた友情を持ち続けてくれた由佳里だ。
薙は小学生の頃から体格が大きく、クラスメイト同士で何か小競り合いあっても、いつも悪いのは薙のほうだと疑われていた。 デカくて怖い顔をしている。ただそれだけで敬遠されがちだった薙を小さな頃からずっと疑うことなく信じ続けてくれた由佳里がいたからこそ、薙は曲がらずにすんだのかもしれない。高塔と由佳里、薙にとってこの二人こそが大事な宝だったのだ。
だが、宝は一つだからこそ宝なのだ。二つを保とうとすればどちらかが壊れる。その亀裂はまだ目には見えていなかったが、深く静かに進行していた。
***
「高塔くんってまるで薙の恋人みたいね」
ある日、薙の家に遊びに来ていた由佳里がそう呟いた。薙は机の上に高塔と由佳里の二人が一緒に映っている写真を綺麗な木製の写真立に入れて飾っていた。
本当は由佳里の写真を飾るつもりだったのだが由佳里一人が映っている写真がない。飾りたいから撮らせてくれと言うのもなにか気恥ずかしい。そんなことをするとまるで自分が由佳里のことを好きみたいにみえるじゃないか、いや、事実好きではあるがあくまでそれは友達としてだ。そう自分に言い聞かせ、その感情に蓋をしようと、あえて高塔と一緒の写真を選んだのだ。
なかなかいいのがなくて、心なしか高塔のほうがメインになっている写真になった。その写真の高塔がとても綺麗でイイ男に映っていたのは少し癪だが高塔もかけがえのない大事な友人だ、それはそれでかまわないと思っていた。
由佳里はその写真をシミジミと見てそう言ったのだ。
「なに? なんでだよ、よせよアイツ男だぜ?」
なぜか少し後ろめたい気分に陥りながら慌ててそう答えると、由佳里は悪戯っぽく笑いながら薙のひたいを小突いた。
「わかってるわよそんなの……でももし、高塔くんが女の子だったら私、負けちゃうなぁって思ったの」
高塔が女だったら?
薙はその言葉に心が震えるのを感じていた。
ありえない。もしも高塔が女だったら、そもそも自分は高塔に興味なんか持たなかっただろう。もったとしても声なんかかけなかったと思う。
いや、違う。高塔が女だったとしても、きっと同じように心魅かれたに違いない。そしてもしかしたら由佳里の言うとおり……薙はそう思いながらもありえないことだとその考えを否定した。
「バカ、そんなことアイツの前で言ってみろ、怒るぜ、きっと」
本当にありえない。高塔は誰よりも強く潔い男なのだ。
「だってなんか薙って高塔くんが心配で仕方ないって感じに見えちゃって……高塔くんが美人で薙がそんなだからかな? 最近、二人のことを蔭で、美女と野獣って言ってる人がいるの知ってる? 薙って高塔くんの用心棒みたいなんだもの」
美女(高塔のことだろ?)と野獣(俺か?)……?
薙は眩暈のようなショックを受けながらその話を聞いた。
確かに高塔は父親がヤクザであると言う特殊な事情もあって、いつも一人でいて寂しそうにみえたし、もちろん女ではないが美人だし、何となく庇護欲をかきたてられたのも事実だったが。だがそれでイコール二人がアヤシイと言われるのは腑に落ちない。というより嫌だ。だが口を尖らせて拗ねたように言った由佳里に反論しようと思いながらも、薙の目は自然に、由佳里の手にしていた写真へと移った。
写真の中の高塔は少し首をかしげ、楽しそうに笑っていた。それは最初、他の男、須崎といるときに見かけ、魅せられた、屈託なく笑う仔犬のような笑顔。また見たいと思わせた笑顔。自分の隣で笑っていて欲しいと願ったとびきりの笑顔だった。
自分は高塔をなんと思っているのだろう……?
ふと頭を擡げた突き刺さるような疑問を深く掘り下げようとしたそのとき、黙ったままの薙の様子に、怒らせたと感じたのかもしれない、由佳里の涙声が聞こえた。
「ゴメン、なんかあんまり二人が仲いいから……ヤダな私、少し妬いちゃったかな」
涙ぐんでそう言った由佳里を見て胸が締め付けらるような気がした。
「どうかしてるね、ゴメン、今の話、高塔くんには内緒ね?」
「由佳里……」
そして由佳里は頬を伝いそうになる涙を慌てて指で拭って急いで笑顔を作ってみせる。そのとき薙は、一生懸命笑おうとしてくれる由佳里を心から愛おしいと思った。
「由香里、俺は、お前を……っ」
「……薙?」
涙を堪えて笑顔を作ろうとしている由佳里に、その写真は、本当は由佳里を飾りたくて置いたのだと告白した。もうずっと好きだったと、いつの頃だかわからないくらい昔から、俺はお前が好きだったんだと告げた。 由佳里はその告白に涙で応えてきた。ポロポロと涙を落としながらただただ薙の名を呼んで、その胸にしがみついてくる。
「由佳里……」
「薙……」
その日、初めて由佳里の唇に触れた。
温かく柔らかく仄甘い彼女の唇からは、ほんの少し、口紅の香りがした。
もしも高塔が女だったら……。
その妄想を振り払うかのように由佳里の唇を塞ぎ、甘く香る身体を抱きしめた。
***
その年のクリスマスは高塔と過ごした。
実際の所、本当は由佳里にも家へ来ないかと誘われてはいたのだがそれはあえて断った。
由佳里は極平凡な家庭の娘であり、いかに幼馴染とはいえ、クリスマスという家族が集うであろう特別な日に行きたくはなかったのだ。それではまるで将来を誓い合った婚約者同士のような……と言うと少し大げさかもしれないが、ガールフレンドの両親に会うということはそれだけ特別な意味があるような気がした。自分はまだ十七で、将来のことを決めてしまうのは早すぎると思ったのも一因だった。
……が、なによりも、高塔を一人にしておきたくなかったのだ。
俺はお前の傍から離れたりしない。初めて真剣にそう思った。
「高塔……」
「……薙?」
両手と全身が自然に動き、途惑っている彼の細い肩を抱き寄せる。そのままぎゅっと抱きしめると、高塔は怯える少女のように小さく震えた。目を閉じると彼の匂いを感じる。涼やかで清々しい水辺の花のような香りだった。
「……」
それはほんの数秒のことだったが、数年後には恋人と呼び、彼女だと認識することになる由佳里よりも先に、薙の手は高塔に触れていた。
数秒後、ゆっくりと身体を離して、薙は宣言する。
「俺がそんな男だと思うのか? 俺はお前が好きだ、お前が何者でも、この先何があっても、それだけは絶対に変わらねえからな」
すると高塔は大げさに慄き、思いっきり胡散臭そうに離れてから真っ赤な顔で喚いた。
「なにっ、それ! やっぱお前そっち系?」
「違う! 今のは親愛の情ってヤツだ、わかれ、そんくれえ!」
「わかるか、そんなもん!」
「違うからな、絶対違うからな!」
笑いながら、それでもなお疑わしそうにホントかよとブツブツ言う高塔を見ながら、薙は誤解されたままでもよかったかなとちょっとだけ思った。
それくらい、そのときの高塔は可愛かった。
「変わらねえよ、俺は……俺達はずっと親友だ、そうだろ?」
そう言ったとき、極自然にそうだなと答えた高塔の肩が、なぜかとても小さく細く見えた。
だが一瞬の不安を無視して、来週末何をして遊ぶとか、その前に期末があんじゃねえかよと、他愛無い話をしはじめる。それからも二人の関係は変わらないものと信じようとしていたのかもしれない。
それからもずっと、共に遊び共に学び、ときには学校をサボって無駄にダベって、何をするにも高塔と一緒だった。 彼と過ごす時間は薙の宝だったのだ。
しかし薙にはもう一つの宝があった。幼馴染であり性別を越えた友情を持ち続けてくれた由佳里だ。
薙は小学生の頃から体格が大きく、クラスメイト同士で何か小競り合いあっても、いつも悪いのは薙のほうだと疑われていた。 デカくて怖い顔をしている。ただそれだけで敬遠されがちだった薙を小さな頃からずっと疑うことなく信じ続けてくれた由佳里がいたからこそ、薙は曲がらずにすんだのかもしれない。高塔と由佳里、薙にとってこの二人こそが大事な宝だったのだ。
だが、宝は一つだからこそ宝なのだ。二つを保とうとすればどちらかが壊れる。その亀裂はまだ目には見えていなかったが、深く静かに進行していた。
***
「高塔くんってまるで薙の恋人みたいね」
ある日、薙の家に遊びに来ていた由佳里がそう呟いた。薙は机の上に高塔と由佳里の二人が一緒に映っている写真を綺麗な木製の写真立に入れて飾っていた。
本当は由佳里の写真を飾るつもりだったのだが由佳里一人が映っている写真がない。飾りたいから撮らせてくれと言うのもなにか気恥ずかしい。そんなことをするとまるで自分が由佳里のことを好きみたいにみえるじゃないか、いや、事実好きではあるがあくまでそれは友達としてだ。そう自分に言い聞かせ、その感情に蓋をしようと、あえて高塔と一緒の写真を選んだのだ。
なかなかいいのがなくて、心なしか高塔のほうがメインになっている写真になった。その写真の高塔がとても綺麗でイイ男に映っていたのは少し癪だが高塔もかけがえのない大事な友人だ、それはそれでかまわないと思っていた。
由佳里はその写真をシミジミと見てそう言ったのだ。
「なに? なんでだよ、よせよアイツ男だぜ?」
なぜか少し後ろめたい気分に陥りながら慌ててそう答えると、由佳里は悪戯っぽく笑いながら薙のひたいを小突いた。
「わかってるわよそんなの……でももし、高塔くんが女の子だったら私、負けちゃうなぁって思ったの」
高塔が女だったら?
薙はその言葉に心が震えるのを感じていた。
ありえない。もしも高塔が女だったら、そもそも自分は高塔に興味なんか持たなかっただろう。もったとしても声なんかかけなかったと思う。
いや、違う。高塔が女だったとしても、きっと同じように心魅かれたに違いない。そしてもしかしたら由佳里の言うとおり……薙はそう思いながらもありえないことだとその考えを否定した。
「バカ、そんなことアイツの前で言ってみろ、怒るぜ、きっと」
本当にありえない。高塔は誰よりも強く潔い男なのだ。
「だってなんか薙って高塔くんが心配で仕方ないって感じに見えちゃって……高塔くんが美人で薙がそんなだからかな? 最近、二人のことを蔭で、美女と野獣って言ってる人がいるの知ってる? 薙って高塔くんの用心棒みたいなんだもの」
美女(高塔のことだろ?)と野獣(俺か?)……?
薙は眩暈のようなショックを受けながらその話を聞いた。
確かに高塔は父親がヤクザであると言う特殊な事情もあって、いつも一人でいて寂しそうにみえたし、もちろん女ではないが美人だし、何となく庇護欲をかきたてられたのも事実だったが。だがそれでイコール二人がアヤシイと言われるのは腑に落ちない。というより嫌だ。だが口を尖らせて拗ねたように言った由佳里に反論しようと思いながらも、薙の目は自然に、由佳里の手にしていた写真へと移った。
写真の中の高塔は少し首をかしげ、楽しそうに笑っていた。それは最初、他の男、須崎といるときに見かけ、魅せられた、屈託なく笑う仔犬のような笑顔。また見たいと思わせた笑顔。自分の隣で笑っていて欲しいと願ったとびきりの笑顔だった。
自分は高塔をなんと思っているのだろう……?
ふと頭を擡げた突き刺さるような疑問を深く掘り下げようとしたそのとき、黙ったままの薙の様子に、怒らせたと感じたのかもしれない、由佳里の涙声が聞こえた。
「ゴメン、なんかあんまり二人が仲いいから……ヤダな私、少し妬いちゃったかな」
涙ぐんでそう言った由佳里を見て胸が締め付けらるような気がした。
「どうかしてるね、ゴメン、今の話、高塔くんには内緒ね?」
「由佳里……」
そして由佳里は頬を伝いそうになる涙を慌てて指で拭って急いで笑顔を作ってみせる。そのとき薙は、一生懸命笑おうとしてくれる由佳里を心から愛おしいと思った。
「由香里、俺は、お前を……っ」
「……薙?」
涙を堪えて笑顔を作ろうとしている由佳里に、その写真は、本当は由佳里を飾りたくて置いたのだと告白した。もうずっと好きだったと、いつの頃だかわからないくらい昔から、俺はお前が好きだったんだと告げた。 由佳里はその告白に涙で応えてきた。ポロポロと涙を落としながらただただ薙の名を呼んで、その胸にしがみついてくる。
「由佳里……」
「薙……」
その日、初めて由佳里の唇に触れた。
温かく柔らかく仄甘い彼女の唇からは、ほんの少し、口紅の香りがした。
もしも高塔が女だったら……。
その妄想を振り払うかのように由佳里の唇を塞ぎ、甘く香る身体を抱きしめた。
***
その年のクリスマスは高塔と過ごした。
実際の所、本当は由佳里にも家へ来ないかと誘われてはいたのだがそれはあえて断った。
由佳里は極平凡な家庭の娘であり、いかに幼馴染とはいえ、クリスマスという家族が集うであろう特別な日に行きたくはなかったのだ。それではまるで将来を誓い合った婚約者同士のような……と言うと少し大げさかもしれないが、ガールフレンドの両親に会うということはそれだけ特別な意味があるような気がした。自分はまだ十七で、将来のことを決めてしまうのは早すぎると思ったのも一因だった。
……が、なによりも、高塔を一人にしておきたくなかったのだ。