「高塔!」

「?」

 ゆっくり振り返った高塔を見て、その妄想は弥増した。いつもキリリとしていたはずのその顔は儚げで、狼の群れに放り出された美少女のごとく、少し怯えて見えた。
 色が白い。
 ゾクリとくるような朱色の唇が震えて見えて一瞬なにを言おうとしていたのか忘れそうになった。だが直ぐに、彼の妙な態度は自分の顔が怖いからだと気づいた。おそらく他の連中がそうであったように、怯えさせたのだろう。
 怖い顔なのは生れつきだし、直せない。せめて態度だけでも柔らかくしようと、儀心地ない笑顔を作って話しかけた。

「よかった、今日は来たんだな、心配してたんだぜ」
「……」

 出来るだけ、なんでもない風を装って話しかけると、高塔はさらに怪訝そうな目をして見返してきた。
 それはそうだろう、考えてみたら自分たちはまだ一度も言葉を交わしたことがなかったのだ。いきなりクラス一の強面に話しかけられたら誰だって不信に思うだろうし、ましてや心配してたなんて言われた日には変に思われて当然だと理解した。

「……心配?」

 薙のほうが十センチ以上背が高いので、オウム返しに聞き返してくる高塔の目線は自然に上目遣いになる。不思議そうな表情で自分を見上げてくる表情がとても可愛らしく見えて目を瞠った。長い睫に縁取られた綺麗な瞳に気がとられ少し上擦る。
 ヤバイくらい可愛い。これで女の子だったら迷わず交際を申し込むところだ。
 そのとき、最初に感じていた無表情で冷たいクールなにーちゃんという印象は跡形もなく吹き飛び、薙の中で「高塔蓮=可愛い」という構図が生まれた。
 それは数日前、彼に会うため向かった先で思いがけなく誰かと笑い合っているのを見たときに感じた想いをなぞるようであり、また全然違った感情でもあった。
 あのときの仔犬のような可愛らしい笑顔は、自分に向けられたものではなかったが、今度はあの笑顔を自分だけに見せて欲しいと願ったのだ。だがまさかそうも言えないので、それは胸の内に留めて話しかけた。

「ああ、例の盗難な、犯人捕まったんだ、お前さ、途中で帰っちまったから、なんか気にしてんじゃないかと思って」
「別に、気になんか」

 突然話しかけてきた野獣を見るように、戸惑った感じの高塔は、それでも逃げることなく、ぶっきら棒に答えた。そんな顔ではなくもっと可愛い顔を見たい。笑ってくれないかなと思いながらも返事をしてくれたことが嬉しくて、つい顔も綻ぶ。

「だよな、うん、お前にはなんの関係もないんだもんな、悪い、なんか変なこと言っちまって」
「……」

 高塔に逃げられないよう薙は夢中で話しかけた。笑って欲しい、自分にもあの日見た可愛らしい笑顔を見せて欲しい、その思いは欲望に近かったかもしれない。

「けどなんか悪いことしちまったなと思って」
「なにが?」
「ぁ、いや、あのときは結局なんか、みんなお前を疑ってたみたいだったし、俺も何にも言ってやれなかったから……いや俺は疑ってなんかなかったぜ? けど、結局なにも言えなかったし、だから……ゴメン!」

 そこは本当に悪いと思っていたので、思い切り潔く頭を下げた。彼に誤解されたくなかったのだ。
 自分は一度だって高塔を疑ったことなどない。彼はそんなことをするような奴じゃないとわかっていた。それなのにあの日、みんなの前でそう言ってやれなくてすまないと心から詫びた。だがその行為は彼を慌てさせたようで、急にオロオロと情けない声になった。

「ちょっと、なにお前、止めろよそんな……別に俺は」

 その慌てた声がとても可愛く聞こえて、頭を下げたままチラリとその表情を追う。彼は少し赤くなって困り果てた表情をしていた。その戸惑った顔が笑えるほど可愛いくて、もっと困らせてやりたくなった。

「許してくれ、でなきゃ俺は一生でも頭下げ続けるからな」
「あ、のなぁ…… 」

 わざと頑なにそう宣言すると、想像どうり彼は戸惑い、言葉をなくした。綺麗な瞳が少しだけ潤んで見えて、このまま突いたら泣くんじゃないかなと思った。

 泣かせてみたい。

 つい湧いてでた奇妙な感情に自分自身で驚きながら、薙は相手がどう出るかと様子を窺った。不思議と拒まれる気はしなかった。ただ純粋に、もっと困らせてこの可愛らしい反応を見たいと思ったのだ。

「もういいから、頭上げろよ俺はなんとも思ってねえよ」
「じゃ、許してくれるんだな?」

 教室の一番後ろで頭を下げ続けること数分、高塔はとうとう折れた。嬉しさで思わず顔を上げると、直ぐ目の前にちょうど自分の様子を窺うように覗き込まれていた綺麗な顔があった。いきなり至近距離で目があって、ちょっと驚いたが、それよりも面白かったのは、目があった途端に絶句して大げさに跳ね退いた彼の顔が真っ赤だったことだ。たぶん彼も自分に好意を持ってくれている。そう感じて行動にも勢いがつく。

「じゃ、俺を許してくれんだな高塔? なあオイ!」

 その赤くなった顔をみてそう確信した薙は、ワザと追い討ちをかけるように叫び、照れて顔を逸らそうとする高塔の両手を固く握った。

 もっと苛めてみたい。
 泣かしてやりたい。

 それは小学生が好きな子をわざと苛めるような子どもっぽい感情と似ていて擽ったかったが、それでも赤くなるその顔をもっと見たかった。
 握り締めた彼の手は熱く、必死で逸らしている顔は本当に真っ赤だ。思っていたより全然可愛い。

「わかった、わかったから手っ! 手、離せよバカ!」

 薙は高塔を追い詰めることに夢中になっていたが、俯いた高塔の顔を覗きこむと、その瞳は熱く潤んでいて、このまま追い詰めたら本当に泣きそうに見えた。そうなってくると、こちらも苛め過ぎたかなと罪悪感に襲われる。ここらでやめておかないとあとで気まずいことになりかねない。自分は彼と友だちになりたいのであって、苛めたいわけではないのだ。そう反省して手は離した。
 すると高塔はホッと安心したように息をつく。ずっと隣でその顔を見てきたような温かい感情に支配され、少しだけ戸惑った。やはり自分はこの可愛い奴とずっと一緒にいたいのだ。改めてそう気づいた薙は、高塔に右手を差し出し、友だちになってくれないかと頭を下げた。

「あらためて頼む、友だちになってくれ」
「は? ……ぁ、朝っぱらから教室内で恥ずかしい真似すんな阿呆」

 高塔はまた赤くなってうろたえた。

「んだよ! 俺は真面目にだな……!」

 今度は薙も苛めているつもりではなく本気だったので、思わず憤慨して迫った。彼も今度はさっきほど慌てず、仕方ないなというように、背後のロッカーに背を預けて答えた。

「わかったからそうがなるな、友だちだろ、いいぜ」
「本当か?」
「ぁあ、よろしくな、薙……」

 余裕の笑みでそう答えた高塔は、最高にクールでカッコいいヤンキー映画の主役のように見えた。
(ヤンキーにしては少々細すぎて可愛い過ぎだが)


 話してみると意外なことに、彼も薙を見ていたと知った。

「お前、目立つからな、なんかデカくておっかなそうな奴がいんじゃん、とか思っちゃってたのよ」
「俺も最初はさ、なんか凄くカッコいいあんちゃんがいんなーと思ってたんだ、けどコイツが意外に仔犬みたいによく笑いやがるからなんか可笑しくって……お前、可愛いっ」

 思わず本音を言うと彼は思いっきり胡散臭そうに跳ね退いて見返してきた。

「なに、お前まさかアッチの趣味?」
「バカ! 違げえよ! けどホラ、美人に性別はないだろ」
「何言ってんの、やっぱアッチの気あんじゃねえの?」
「無えっての! ああもう褒めんじゃなかった!」
「アハハッ……」

 ふざけて笑う高塔は、それまで勝手に想像していたよりずっと明るくて可愛い、魅力的な男だった。その高塔の唯一と言っていい友人になれたことは薙にとって人生の誇りだ。
 なにがあってもなにがなくても、学校にくれば彼に会える。それだけで毎日がとても楽しくなったし、家族より多くの時間を高塔と過ごし、その笑顔を見ているのが好きだった。それはそれまでの十六年間の思い出と差し替えてもいいくらい最高に幸せで濃密な時間となる。



 ***



 高塔と友だちになって数ヶ月たった頃、薙は高塔に由佳里を引き合わせた。話してみればこんなに人好きのする気のいい奴なのに、相変らず学校での高塔の評価は芳しくない。クラスメイトはみなどこかしら遠慮気味で遠巻きにしているだけなのだ。
 薙は例の盗難事件の解決以来、クラス内では一目置かれ、その薙と一緒にいる高塔に対しても、表立った嫌がらせやあからさまな無視などはなくなったが、それでも彼がクラス内に友人を作れていないことには代わりがない。だから由佳里に合わせた。ガールフレンドどころか、友人は薙一人しかいなかった高塔の世界を広げてやりたかったのだ。

 由佳里に引き合わせてみると、高塔は目を丸くして驚いた。その上一言も挨拶の言葉が出てこない。どうも驚き過ぎてどうしていいかわからないらしい。仕方が無いので今度は由佳里に高塔を紹介した。