「悪いけど、今日は用があんだよ、そっちの件は考えとく、そんでいいんだろ 」
「ああ、それでいい」

 父親はホッとした顔をしていた。たぶん、蓮が浮岳のところへ行くことを承知したと感じたのだろう。所詮親父も極道、上からの命令には逆らえないのだろう。いつかは浮岳の所へ行かなければならない。そう考えると憂鬱だが、今はまだ考えたくない。嫌なことを先延ばしにしているだけだとわかってはいたが、薙との待ち合わせ場所へと行くことを優先させた。

 だが時既に遅し。
 いつも待ち合わせにギリギリか、ともすれば遅刻気味の自分と違い、薙はいつも待ち合わせ時刻より二十分以上早く来る。案の定先についていたらしい薙は、いつまで経っても現れない連を心配し、家の前まで来ていた。そこでたまたま須崎と会い、須崎はそうと知らず、薙に蓮の正体を話してしまっていた。つまりバレたということだ。
 もちろん隠し遂せるものではないし、いつかは話さなければならないとは思っていた。だがそれはもう少し先の話で、もっと自分達が信じあい、この友情が揺るぎ無いものになってからにしたかったというのが本音だ。今まで誰もがそうであったように薙も事実を知れば離れて行くかもしれない。それが怖かった。
 しかし薙は怯まなかったのだ。
 いつか離れていくなら早いほうがいい。これ以上親しくなって、離れがたくなる前に、決着をつけるべきだ。そう考えた蓮は、なるべく人目につかぬよう、町外れの埠頭、まで薙を連れて行き、全てを話した。自分の親はヤクザの頭目で、父親の仕切る組はこの界隈一帯に根を張る鷲尾会だ。当然世間から恐れられているし、警察にも目をつけられている。自分といたらお前まで白い目で見られることになるだろう。離れるなら今のうちだと言った。
 それは半ば本気だった。いつか去るなら出来るだけ早く去って欲しかったのだ。だが睨むように見つめていた蓮の肩を引き寄せ、薙はその脅しに熱い抱擁で答えた。

「?!」

 一瞬なにがおきたのか理解出来ないほど唐突だった抱擁は固く熱く、時間にして十五秒近かっただろう。
 胸の奥からなにか熱い思いが込み上げてくる。涙腺が緩んで思わず泣き出しそうになったとき、薙はスッと離れた。離された胸を恋しがり、思わず腕が伸びそうになる。それを無理矢理押しとどめて手を引くと、薙は蓮の肩を固く掴み、いつもと同じ調子で答えた。

「俺がそんな男だと思うのか? 俺はお前が好きだ、お前が何者でも、この先何があっても、それだけは絶対に変わらねえからな!」

 その言葉に蓮は思いっきり動揺していた。唐突な抱擁と告白のような熱烈な言葉。身体中の血液がブワッと音を立ててあわ立ち、全身が真っ赤になっているのが自分でものがわかった。上擦った心を沈めようと心の中で深呼吸を繰り返す。だがそんなこととは気付かぬ薙は笑いながら話していた。

「変わらねえよ、俺は……俺達はずっと親友だ、そうだろ蓮?」

 真面目な表情で蓮の横に立ち、極自然に静かに、薙はそう言った。たぶん本当になんの衒いもなく、薙はそう思ってくれているんだろうなとそれだけは信じられた。その言葉を嬉しく聞きながら、なぜか心に僅かな風が吹く。
 俺達はずっと親友だ、そうだろ蓮?

「ああ、そうだな……」

 心の中に吹き始めた薄汚れた風の音をことさら無視するように、そう答えた。


 その日から、薙の態度に一喜一憂する、まるでジェットコースターのような感情に振り回され、悩まされることになった。
 やがて蓮の予想どおり、薙と由佳里はお互いの思いを打ち明け合い、恋人と呼びあうようになっていったが、いつでも薙は、彼女である由佳里とのデートより、蓮と遊ぶことを優先させた。友情が一番、恋はその次でいい。せめてお前に彼女が出来るまではお前との付き合いを後に回す気はないぜ。臆面もなくそう宣言する薙を切なく見つめ、薙が必要不可欠の人間となって行く。だがそれは終末への感情だ。

 彼女など出来るはずもない、好きなのは薙なのだから。



 ***


「メリークリスマス!」

 その年のクリスマスは薙と過ごした。薙が蓮の知らぬ間に都内の瀟洒なホテルを予約してくれていたのだ。
 シャンパングラスを合わせて二人で過ごしつつ、蓮は落ち着けなかった。クリスマスと言えば恋人たちの一大イベントのはずだ、由佳里を放っておいていいのか? どうも薙は少しデリカシーと言うか、女心に鈍感な部分があるような気がする。
 蓮は薙に由佳里と過ごさなくてよかったのかと聞いたが、薙はあっさり、由佳里はクリスマスの夜に男と過ごすことを許すような家庭に育ってないよと答えた。それはつまり由佳里がダメだったから蓮と過ごすことを選んだという意味にも聞こえた。

「けどこういう日は普通家族とか、恋人とかと過ごすもんじゃねえの?」
「だから、そうしてるだろ?」
「え……?」

 意味がわからず途惑った声を上げる蓮に、薙はシャンパングラスを目の高さまで掲げて片目を瞑って見せた。

「恋人とは言わねえけど、まあお前は家族みたいなもんだからな」

 その言葉に蓮の心臓がどれだけ痛んだか、薙にはわからなかっただろう。
 家族みたいなモノ。それは「みたい」であって、それそのものではない。蓮の親は極道、とてもクリスマスを息子と過ごすような親ではない。だから蓮にはクリスマスを家族と過ごしたという思い出はない。それどころか誰か他の人間と過ごしたことすらなかった。それを知った薙はわざわざ一緒に過ごせるようセッティングしてくれたのだろう。それは薙の優しさであり心遣いだ。わざとふざけて見せるのも、蓮に気を使わせないように考えてのことなのだろう。そう思うと苦しかった。
 だがもちろんそんなことを口には出して事態をぶち壊すようなことはしない。せっかく薙と過ごせるのだ、たとえ同情であったとしてもそう言ってくれるのを利用しない手はないではないか。

「なにそれ、告白? もしかしてお前俺に惚れちゃってたりする?」
「そりゃもちろん」

 蓮にしてみれば、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で言った言葉に、薙はあっさりそう返した。シャンパングラスに口をつけ、美味そうに飲む薙の喉元を見つめ、蓮はその素肌まで想像している自分に気付いていた。

「へえマジ? ほんとに? どんぐらい?」
「ん? そうだな……」

 薙はシャンパンに酔ったのか少しトロンとした目で、右手にグラスを持ったまま、蓮に迫ってきたた。

「え……おい!」

 同じく左手にグラスを持ったままでいた蓮はあやうくそれを零しそうになるほど体勢を崩す。座っていた長椅子から滑り落ちそうになる蓮を支えようと手を伸ばした薙は、やはり酔っているのだろう、足元が危うく、そのまま二人とも床に倒れこんだ。

「いっ……て」

 打ち付けた後頭部を押さえ、思わず顔を上げると、目の前に潤んだ目をした薙の顔があった。ドキリとして目を逸らそうとしたその一瞬に、薙の唇が降って来た。

「ぇ……あ?」

 そのまま追い立てるように重ねられた唇は酒のせいかやけに熱く、吸い付くように蓮の唇をなぞりながらそっとその扉を開かせていく。そして反射的に開いた唇の間をぬって薙の熱くヌルリとした舌が侵入してきた。

「ァ……」

 熱い衝動、湿った欲望、そしてまるで別の生き物のように口腔内を這い回る舌に溺れそうになった。だが熱くなる身体と裏腹に、頭は冷えていく。脳裏には由佳里の影が浮かび、後ろめたさに気持ちは沈んだ。

「薙!」