エピローグ

 オープンフェスティバルの翌日、夏帆はいつものように登校して山海駅でミミナや凪沙と合流する。
「おはよう凪沙ちゃん、ミミナちゃん!」
「おはよう夏帆ちゃん!」
 丁度ミミナや凪沙も来たばかりのようだった。
「おはよう夏帆! 昨日は楽しかったね!」
「うん、花火凄く綺麗だったわ」
 夏帆は汐電に乗って昨日のオープンフェスティバルのことを喋りながら登校する。
 前世での息苦しく辛い世界にはもう二度と行きたくないし、一女ちゃんが自分のことを覚えてないのは凄く寂しくて悲しいけど、思い出してよかったと思う。
 そんな思いに浸ってると凪沙がニヤニヤしながら言い寄ってくる。
「と~こ~ろ~で~昨日は水無月君とどうだったの?」
「コラコラ凪沙ちゃん駄目だよそんなことに訊いちゃ……気になるけど」
 ミミナは咎めるが同時に気になるような眼差しだった。
「う、う~んとても楽しかったよ」
 夏帆は笑って誤魔化しながらはぐらかす、まさか告白して付き合うなんて今はちょっと言えない。
 そう思いながら校門に入ると優と喜代彦を連れた香奈枝と鉢合わせし、駆け寄ってお互いに「おはよう」と挨拶を交わす。
 夏帆は昨日のこともあってか口調がぎこちなくなる。
「お、おはよう……優君」
「草薙さんおはよう」
 優の方も若干上ずった声になる、昨日から付き合うことになったがこのことは秘密にしておこうと約束したのだが、この分だといつバレてもおかしくない。
「夏帆、優、昨日はどうだったの?」
 香奈枝は歩きながらニヤニヤと早速興味津々の眼差しで訊いてくると、夏帆はまた笑って誤魔化してはぐらかす。
「えっ? どうだったって……」
「だって優が機密事項だって喋ってくれないもん」
 香奈枝も凪沙と同じく気になるらしく、不満げに唇を尖らせると喜代彦が溜め息吐きながら訊く。
「それならどうして昨日草薙さんと優を二人っきりにしたんだい?」
「そうね……夏帆が転校してきてから優、変わり始めたからよ」
 香奈枝はそう言うと、喜代彦は首を横に振る。
「優は変わったというよりも本当の自分を見せるようになった……俺はそう思うね」
 夏帆の方も優と出会えたことで変わることができたと微笑み、優に眼差しを向けると彼は照れ臭そうな顔になる。
「変われたかどうかはわからないよ、でも……草薙さんと出会えたおかげで僕は前よりも沢山の人たちと話すようになったし何より……父さんと向き合うことができたんだ!」
 やがて優の表情は晴れやかで爽やかな微笑みになる。
 夏帆はそっと優と見つめ合い、涼やかに微笑んで頷くと喜代彦はヘッドロックをかける。
「クサイ台詞! でも優、いい顔してるじゃねぇか!」
「そんなことないよ喜代彦、放さないと投げ技かけるよ」
 優は満更でもない表情で喜代彦とじゃれ合いながら校舎に入ってまたいつもの、だけどかけがえのない一日が始まる。
「おはようみんな」
 みんなに挨拶する香奈枝と教室に入るとアクリルボードに隔たれず、ソーシャルディスタンスやマスク着用という概念を持たずに直に表情を見せ合って笑い合うクラスメイトたち、それが以前より尊く見える。
 すると香奈枝が来るのを待っていたのか女子生徒が駆け寄ってくる。
「ねぇねぇ香奈枝聞いて聞いて! 昨日のオープンフェスティバルにさ、空野さんが三組の桐谷(きりたに)君と歩いてたのよ!」
「ちょっと広めないでよ! 偶然会っただけだから!」
 追いかけてきた空野零が顔を真っ赤にして弁解し、香奈枝はおちょくる。
「ええでも零、顔真っ赤だよ」
 こんなに真っ赤な顔、マスク着けてたらきっと見られないわねと思わず笑みを溢しそうになりながら席に着いて鞄を置き、空いた窓の外から吹き付ける南国の潮風。
 広がる空と海を夏帆はほんの一瞬の間、眺める。

――あたしも優君に出会えたことであの世界の記憶を思い出し、変わることができた。
 
 あの時、優君に助けられなかったら色々な後悔を残したままこの世を去っていただろう。
 この世界が美しいことも、人との繋がりがこんなにも素晴らしいことも、何より恋を知ることもできなかった。
 どうして自殺したあたしがこの世界に転生したのかはわからない、だけど前世の記憶を思い出したことで今まで目に映る当たり前の光景が、かけがえのないものに見えて世界が鮮やかに色づいていた。
 夏帆はそれを噛み締めながら一日を過ごし、家に帰る。
「ただいま」
 靴を脱ぐと母親が出迎えてくれた。
「お帰りなさい夏帆、そっちの部屋に入ってごらん」
「えっ? もしかして」
 夏帆は期待を込めて口にすると母親はすぐに一階和室の襖を開けようと手を伸ばすと、愛らしい仔猫の鳴き声が響く、それも何度も。夏帆は思わず母親に期待の視線を向ける。
「お母さんもしかして!」
「うん、元気な男の子よ」
 母親が微笑みながら襖を開ける、数日前に買い揃えて置いた猫用ゲージの中に一匹の仔猫の陰が出して言わんばかりに懸命に鳴いてる。夏帆は両膝着いて覗こうとすると同時に母親がケージを開ける。
「えっ? まさか……嘘」
 夏帆は思わず呟き、目を見開いて出てきた仔猫を見つめる。
 出てきたのは一匹のキジトラ猫だった。しかも小さいとはいえ前世で会えないまま他界した雄のキジトラ猫で小さいとはいえ、目付きも色も模様も小さい頃のツナギそのものだった。
「ツナギ?」
 夏帆は思わず口に出すと、仔猫は嬉しそうに鳴いて駆け寄って来て夏帆の胸に跳び込んできて夏帆はしっかりと抱き止めた。
「ツナギ! 会いに来てくれたのね! ツナギ……あたしのこと、覚えてる?」 
 仔猫は嬉しそうに何度も鳴いて覚えてるかどうかは本当のことはわからない、だけどわかることが一つだけある。あの世界で天寿を全うしたキジトラ猫のツナギが、再びこの世界に生まれてそして再び夏帆と出会ったのだ。
 夏帆はその奇跡と喜びを噛み締め、そして温かい涙が溢れていた。