プロローグ
赤道の潮風が吹く海沿いの大都市にある港湾地区、そこの丁字路にある横断歩道を渡ったところだった。
坂道を下って暴走した無人のトラックに轢かれそうになった瞬間、ほんの一瞬にも満たない時間が長く引き伸ばされて草薙夏帆は目を見開き、自分の死を悟った。
――ごめんね……美由ちゃん妙ちゃん、本当はもっと……もっと繋がりを深めて遊びたかったんだ。
走馬灯が過って二人の友達――真島美由と井坂妙子の眩しい笑顔が浮かんで後悔に満たされ、そして轢かれようとした瞬間、反対側にいた同い年――高校生くらいの男の子が決死の覚悟を決めた表情で脱兎の如く飛び出し、抱きつかれたと思った瞬間に宙を舞うような感覚。
「えっ……」
トラックに撥ねられたのではない、男の子が抱きついてそのまま一緒に歩道に向かって跳んだのだ。
ほんの一瞬の間に宙を舞い、太陽に熱せられた鉄板のようなコンクリートの地面に叩きつけられて左側頭部を打ち、激痛を感じた瞬間、頭の中を覆い尽くしたのは前の短い人生――つまり前世の記憶だった。
およそ一八年の記憶がフラッシュバックし、脳に直接数億テラバイトの情報が流し込まれて頭が割れそうになるあまりに気が遠くなり、ほんの一瞬だけ意識を失った。
そして最期の記憶は鮮明で生々しいものだった。
幼い頃に引き離されて父の田舎に引き取られた飼い猫の最期を看取ることもできず、ショックのあまりに帰省してお墓参りにも行かなかったこと。
たった一度のきりの夢を理不尽に奪われ、苦しみ抜いた末に自ら命を絶った親友を救えなかったこと。
そして灰色の雲に覆われた空の下、夏服姿で三階校舎の屋上に上がり、金網をよじ登ってボロボロの布マスクを外し、それが風に流されると両腕を大きく広げ、身を委ねるようにそこから飛び降りたことを。
一瞬にも満たない時間が一八年近く引き伸ばされた後、夢から覚めるように意識を取り戻してぼやけた視界に映るのは照り付ける眩しい南国の太陽と、どこまでも広がる青い空と白い雲に微かに潮の匂いがする湿った風、そして数センチ先には苦痛に耐えながら必死で意識を保とうとする男の子。
「君、大丈夫!? しっかり! 意識を保て……気を失うな!」
男の子は自分自身にも言い聞かせてるような気を張った声だ。
「うっ……うう……」
夏帆はうめきながら首を弱々しく首を縦に振る、ぼやけた視界徐々にクリアになってくるとその男の子の風貌もはっきりしてきた。
適当に伸ばしがちの長く黒い髪は一見地味で大人しく、根暗な印象を与えるが、長い睫毛と相まってその鋭い瞳に見つめられればたちまち虜になりそうなほど涼やかで凛々しく、意志の強さを秘めており、透き通るような肌と少年特有のあどけなさ、そして男の逞しさを併せ持った顔立ちの美少年だった。
「僕の声が聞こえる? 痛いところは? 頭を強く打ったところはない?」
「聞こえます……頭を打って……屋上から飛び降りたみたい……」
夏帆は弱々しく返事しながら上体を起こして周囲を見回すと、辺りは騒然としていて視線の先には暴走した無人のトラックがビルに突っ込んで車体の前半分がのめり込んでいた。
周りの人たちは怯えながら港湾地区のビルに突っ込んだ無人のトラックや夏帆と少年を見つめたり、スマートフォンで警察や消防に通報したり、そのカメラで撮影してる人もいた。
この世界でも野次馬はいるんだと痛みを堪えながら立ち上がると、この世界? あの世界もそうだったことに気付く。
そして前世にはなかった、海の向こうにある巨大な建造物に目をやる。
地球の赤道上に浮かぶ敷島諸島本島、三日月状の島の内側に面した敷島湾の真ん中には巨大なメガフロートのアースポートシティが浮かんでいる。
その真ん中には高さ一八五二メートル、空に向かうにつれて先細りになっていく高い塔が聳え立ち、高さ一〇〇〇メートルと一七〇〇メートルの所に展望台となる巨大なリングで束ねられてる。
内側には高さ約一二〇〇〇メートルにも及び、夜には赤く点灯する衝突防止灯付きの頑丈な風防は中心にある全長約一〇万キロのケーブルを守るために存在する。
それは海から空へと続き、二つの展望台を越えて更に雲の向こう、大気圏を突き抜けて無限に広がる宇宙まで続く建造物。
その名は、軌道エレベーターアマテラス。
夏帆はもうすぐ開業の軌道エレベーターアマテラスを見上げながら前世の記憶を思い出した。
完全にではないが最期は校舎の屋上から飛び降りて死んだこと、そして前世から見てこの限りなく現実に近い異世界に転生したことは確かだ。
夏帆は前世の記憶と現世の記憶が入り雑じって混乱しそうになるが一つだけハッキリしてることがある。
あたし、草薙夏帆は前世で死んでこの世界に再び草薙夏帆として生まれたのだ。
これって前世で伯父伯母や祖父母と同居してる親戚の、三〇代後半にも関わらず独身職歴なしニートの従兄が熱狂していた異世界転生モノだよね? 夏帆は首を傾げる。でも私は私のままだし、古典的なRPGみたいに剣と魔法の世界じゃない。
転移? と呼ぶには無理があるし異世界転生ならぬ、並行世界転生の方が近いかもと考えてるうちに救急車とパトカーが到着した。
少年は救急隊員を手招きしながら夏帆に言う。
「救急車が来た、一緒に病院に行こう」
「あっ……大丈夫です、そんなに痛くないので――」
「駄目だ! 必ず受診しないと数時間後に症状が出て運が良くても後遺症が残るし、最悪明日の今頃は棺桶だ!」
男の子の真っ直ぐな眼差しに見つめられながら強く諭され、夏帆はドキッとして頷くしかなかった。
そうだよね。転生してもあたしは普通の人間、チート能力なんかないから言われるがまま救急車に乗って病院に搬送される。
「僕は水無月、水無月優、君の名前は?」
「……草薙夏帆です」
「僕が話しておくから草薙さんは安静にしてて」
水無月優と名乗った少年は車内で救急隊員に事情を話すと、夏帆は救急車のストレッチャーで横になり、思い出した前世の記憶を整理する。
前世も女子高生で夏休みが近づいた日に校舎から飛び降りて死んだのは確かだが、何故自殺したのかしら? その理由だけはぽっかり抜け落ちていたのだ。
なんでだろう? 自ら命を絶つほどだから思い出したくないのかもしれない。
それにどうして異世界転生なんかしたんだろう? 普通なら天国か地獄に行くはずなのに、これ従兄のお兄さん……いや、おじさんが聞いたらどう反応するんだろう?
あの人陰湿で嫉妬深いから「異世界転生するのはJKじゃなくておっさんが相場だろう! ポリコレに配慮しろ!」って発狂しそうだけど、きっと主人公になれなかったコンプレックスを抱えてたのね。
夏帆はなんとなくスマホのスイッチを入れてパスワードを入力して鍵を開けると、前世にあったスマホのアプリはあるし検索履歴も見るとスターバックス等の大手コーヒーチェーン店の企業もある。
マップアプリを開いて世界地図を見ると前世とは全く別の世界地図だった、やっぱりここは並行世界ではなく異世界だ。
それも前世から見て限りなく現実に近い異世界に。
赤道の潮風が吹く海沿いの大都市にある港湾地区、そこの丁字路にある横断歩道を渡ったところだった。
坂道を下って暴走した無人のトラックに轢かれそうになった瞬間、ほんの一瞬にも満たない時間が長く引き伸ばされて草薙夏帆は目を見開き、自分の死を悟った。
――ごめんね……美由ちゃん妙ちゃん、本当はもっと……もっと繋がりを深めて遊びたかったんだ。
走馬灯が過って二人の友達――真島美由と井坂妙子の眩しい笑顔が浮かんで後悔に満たされ、そして轢かれようとした瞬間、反対側にいた同い年――高校生くらいの男の子が決死の覚悟を決めた表情で脱兎の如く飛び出し、抱きつかれたと思った瞬間に宙を舞うような感覚。
「えっ……」
トラックに撥ねられたのではない、男の子が抱きついてそのまま一緒に歩道に向かって跳んだのだ。
ほんの一瞬の間に宙を舞い、太陽に熱せられた鉄板のようなコンクリートの地面に叩きつけられて左側頭部を打ち、激痛を感じた瞬間、頭の中を覆い尽くしたのは前の短い人生――つまり前世の記憶だった。
およそ一八年の記憶がフラッシュバックし、脳に直接数億テラバイトの情報が流し込まれて頭が割れそうになるあまりに気が遠くなり、ほんの一瞬だけ意識を失った。
そして最期の記憶は鮮明で生々しいものだった。
幼い頃に引き離されて父の田舎に引き取られた飼い猫の最期を看取ることもできず、ショックのあまりに帰省してお墓参りにも行かなかったこと。
たった一度のきりの夢を理不尽に奪われ、苦しみ抜いた末に自ら命を絶った親友を救えなかったこと。
そして灰色の雲に覆われた空の下、夏服姿で三階校舎の屋上に上がり、金網をよじ登ってボロボロの布マスクを外し、それが風に流されると両腕を大きく広げ、身を委ねるようにそこから飛び降りたことを。
一瞬にも満たない時間が一八年近く引き伸ばされた後、夢から覚めるように意識を取り戻してぼやけた視界に映るのは照り付ける眩しい南国の太陽と、どこまでも広がる青い空と白い雲に微かに潮の匂いがする湿った風、そして数センチ先には苦痛に耐えながら必死で意識を保とうとする男の子。
「君、大丈夫!? しっかり! 意識を保て……気を失うな!」
男の子は自分自身にも言い聞かせてるような気を張った声だ。
「うっ……うう……」
夏帆はうめきながら首を弱々しく首を縦に振る、ぼやけた視界徐々にクリアになってくるとその男の子の風貌もはっきりしてきた。
適当に伸ばしがちの長く黒い髪は一見地味で大人しく、根暗な印象を与えるが、長い睫毛と相まってその鋭い瞳に見つめられればたちまち虜になりそうなほど涼やかで凛々しく、意志の強さを秘めており、透き通るような肌と少年特有のあどけなさ、そして男の逞しさを併せ持った顔立ちの美少年だった。
「僕の声が聞こえる? 痛いところは? 頭を強く打ったところはない?」
「聞こえます……頭を打って……屋上から飛び降りたみたい……」
夏帆は弱々しく返事しながら上体を起こして周囲を見回すと、辺りは騒然としていて視線の先には暴走した無人のトラックがビルに突っ込んで車体の前半分がのめり込んでいた。
周りの人たちは怯えながら港湾地区のビルに突っ込んだ無人のトラックや夏帆と少年を見つめたり、スマートフォンで警察や消防に通報したり、そのカメラで撮影してる人もいた。
この世界でも野次馬はいるんだと痛みを堪えながら立ち上がると、この世界? あの世界もそうだったことに気付く。
そして前世にはなかった、海の向こうにある巨大な建造物に目をやる。
地球の赤道上に浮かぶ敷島諸島本島、三日月状の島の内側に面した敷島湾の真ん中には巨大なメガフロートのアースポートシティが浮かんでいる。
その真ん中には高さ一八五二メートル、空に向かうにつれて先細りになっていく高い塔が聳え立ち、高さ一〇〇〇メートルと一七〇〇メートルの所に展望台となる巨大なリングで束ねられてる。
内側には高さ約一二〇〇〇メートルにも及び、夜には赤く点灯する衝突防止灯付きの頑丈な風防は中心にある全長約一〇万キロのケーブルを守るために存在する。
それは海から空へと続き、二つの展望台を越えて更に雲の向こう、大気圏を突き抜けて無限に広がる宇宙まで続く建造物。
その名は、軌道エレベーターアマテラス。
夏帆はもうすぐ開業の軌道エレベーターアマテラスを見上げながら前世の記憶を思い出した。
完全にではないが最期は校舎の屋上から飛び降りて死んだこと、そして前世から見てこの限りなく現実に近い異世界に転生したことは確かだ。
夏帆は前世の記憶と現世の記憶が入り雑じって混乱しそうになるが一つだけハッキリしてることがある。
あたし、草薙夏帆は前世で死んでこの世界に再び草薙夏帆として生まれたのだ。
これって前世で伯父伯母や祖父母と同居してる親戚の、三〇代後半にも関わらず独身職歴なしニートの従兄が熱狂していた異世界転生モノだよね? 夏帆は首を傾げる。でも私は私のままだし、古典的なRPGみたいに剣と魔法の世界じゃない。
転移? と呼ぶには無理があるし異世界転生ならぬ、並行世界転生の方が近いかもと考えてるうちに救急車とパトカーが到着した。
少年は救急隊員を手招きしながら夏帆に言う。
「救急車が来た、一緒に病院に行こう」
「あっ……大丈夫です、そんなに痛くないので――」
「駄目だ! 必ず受診しないと数時間後に症状が出て運が良くても後遺症が残るし、最悪明日の今頃は棺桶だ!」
男の子の真っ直ぐな眼差しに見つめられながら強く諭され、夏帆はドキッとして頷くしかなかった。
そうだよね。転生してもあたしは普通の人間、チート能力なんかないから言われるがまま救急車に乗って病院に搬送される。
「僕は水無月、水無月優、君の名前は?」
「……草薙夏帆です」
「僕が話しておくから草薙さんは安静にしてて」
水無月優と名乗った少年は車内で救急隊員に事情を話すと、夏帆は救急車のストレッチャーで横になり、思い出した前世の記憶を整理する。
前世も女子高生で夏休みが近づいた日に校舎から飛び降りて死んだのは確かだが、何故自殺したのかしら? その理由だけはぽっかり抜け落ちていたのだ。
なんでだろう? 自ら命を絶つほどだから思い出したくないのかもしれない。
それにどうして異世界転生なんかしたんだろう? 普通なら天国か地獄に行くはずなのに、これ従兄のお兄さん……いや、おじさんが聞いたらどう反応するんだろう?
あの人陰湿で嫉妬深いから「異世界転生するのはJKじゃなくておっさんが相場だろう! ポリコレに配慮しろ!」って発狂しそうだけど、きっと主人公になれなかったコンプレックスを抱えてたのね。
夏帆はなんとなくスマホのスイッチを入れてパスワードを入力して鍵を開けると、前世にあったスマホのアプリはあるし検索履歴も見るとスターバックス等の大手コーヒーチェーン店の企業もある。
マップアプリを開いて世界地図を見ると前世とは全く別の世界地図だった、やっぱりここは並行世界ではなく異世界だ。
それも前世から見て限りなく現実に近い異世界に。