「あー、うぜぇ、ガチで殴りたくなってきた」
「そんなことを繰り返してたら、あなたには絶対最後何も残らない! 何もない人生だったなって嘆きながら人生終えればいい!」
「うるせぇよ……」
 木下が拳をゆっくり振りかざした途端、ドクンと心臓が大きく跳ねて、一瞬呼吸が止まった。
 私はその場に倒れ込んで、心臓付近を強く抑える。
「あっ、くっ……」
 ああ、最悪だ。お父さんとおばあちゃんと先生と、ちゃんと約束したのにな。無理は絶対しないって。
 呼吸が浅くなってきて、目の前の景色が霞む。
 木下は、苦しむ私の様子を見て「おい逃げるぞ」とだけ言って、私を置いて去っていった。
 人ごみに紛れそうになったけれど、ちょうどそばにあったゴミ箱に近づいてきた女性が、私の存在に気づいてくれた。
「きゃー! どうしたんですか、大丈夫ですか!」
 大声が響いて、あたりはざわつきだす。
 ああ、どうしよう、私ここで、終わるのかな。鈍器で殴られているように、心臓が痛い。
 閉ざされかけた景色を茫然と眺めていると、「青花!」と私を呼ぶ声が、ひときわ大きく聞こえてきた。
 ああ、禄だ。彼の声だ。
 安心したその瞬間、私は意識を手放した。



 誰かのためにこんなに怒ったり悔しくなったりすることが、今まであったかな。
 病気が分かるまで、私は何でもそつなくこなしてきたと思う。
 成績も運動もそこそこで、明るい友達もいて、感情が爆発することなんてなかった。
 正義感はある方だとは思うけど、きっと見過ごしてきた悪もあった。もっと器用に生きていたはず。
 だけど、禄と出会ってから、そうじゃいられなくなった。
 私は、生きている限り、絶対に大切な人を傷つけたくない。見過ごしたくない。
 綺麗ごとばかり並べられる世界じゃないってこと、頭では分かってるはずなのに。
 春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来ても、禄と一緒にいる未来が欲しい。
「青花……!」
 突然パチッと目が覚めると、顔面蒼白となった禄が視界に広がった。
 禄はすぐに「先生、鶴咲さんが目を覚ましました」と慌ただしく告げて、ベッドから離れる。
 カーテンの隙間から見慣れた校庭が見えて、ここは保健室なのだと理解した。
「鶴咲さん。今、救急車すぐに来るからね。体勢はつらくない?」