うしろを振り返ると、ちょうど俺に声をかけようとしていた様子の、青花がいた。
 タイミングよく振り返った俺を見て、青花は一瞬ビクッとしてから、少し気まずそうに笑った。
「びっくりしたー、あんな怖い顔、初めて見たんだもん」
「青花、ごめん、俺……」
「いいよ、夏のときの私も同じようなことしたから、おあいこ」
 にっと口角を上げる青花だけど、俺は申し訳なく思ってちゃんと顔を見られない。
 しばらくの沈黙の中、青花の上履きの先が視界に入って、目の前に彼女がいることが分かった。
 ますます顔を上げることができずに、少し緊張していると、青花が小さい声で何かをつぶやいた。
「とう……」
「え? なんて?」
 聞こえなくて思わず顔を上げようとすると、なぜか「ダメ」と言われ、後頭部を両手で押さえつけられる。
 戸惑っている俺に、青花は少し震えた声で返す。
「今超ひどい顔してるから、頭上げないで!」
「な、何、どうしたの」
「ありがとう、禄」
「え……」
 少し震えた声。こんな弱々しい青花を、俺は知らない。
 驚き固まったままでいると、彼女は必死に声の震えを抑えて言葉を続ける。
「どうしてだろう。禄といると、平気だったことが、平気じゃなくなる……」
「青花……」
「いいや、もう。禄が分かってくれれば、もう全部、どうでもいいや……」
 ゆっくりと青花の両手をどけて、顔を上げる。
 目の前の彼女は、目をほんの少しだけ赤くして、でも、優しい笑みを浮かべていた。
 何かすっきりしたような、そんな表情で。
 階段上の小窓から差し込む秋の夕日が、彼女の黒い髪の毛を柔らかく透かしている。
 俺といると、平気だったことが、平気じゃなくなる――?
 その言葉の真意は分からなかったけど、青花の〝ありがとう〟は、心から言ってくれてるように思えたから悪い意味ではないことを知った。
「禄はやっぱり、神様だね」
 そう言って笑う彼女は、本当に美しくて。
 容姿がとか、そういう意味ではなくて、自分にとって世界で一番美しいと思う絵画を見つけたときのように、心から綺麗だと思ったんだ。
「俺は、全然神様なんかじゃないよ……」
 青花が抱えている弱さも全部、見せてほしい。
 そんな風に思ってしまうのは、おこがましいだろうか。
 分からなくて、俺は一度押し黙る。その代わり、青花のことを見つめ返した。