すべての季節に君だけがいた

 意地悪な神代君の同級生にあんなことを言ってしまったのは、やりすぎたかもと思ったけれど、彼は私のことだけを心配してくれていた。
 なんて心がまっすぐな人なんだろうと、思った。
 それから『眠りから覚める鶴咲を、迎えにいきたい』とまで言ってくれた。
 あんなの、嬉しくならない訳ないじゃん……。
 あのとき、私きっと、ニヤけていた。もしそれがバレてたら、恥ずかしいな。
「あのね、結衣に相談があるんだけど」
「なに、なに、何か恋する乙女の顔してるね」
「いやいや、そんなんじゃないよっ」
 焦ったように否定する私を見て、「誰とも恋バナをしたことがないからはしゃいじゃった」と、彼女は楽し気に笑った。
 私はそんな結衣に、少し小さめな声で相談をした。
「彼にいつもゲームの攻略教えてもらったり、ゲーム貸してもらったり、お世話になってるからお返しがしたいと思ってて……」
「プレゼントってことね、素敵ー」
「うん、でも、彼が欲しいもの、全然思い浮かばなくて……」
 神代君が興味あるものはゲームくらいしか知らない。というか、ゲーム以外の話をしたことがほとんどない。でも、彼が欲しいゲームはもうすでに全部持っているだろうし、配信で得たお金も相当あるだろう。
 自分で欲しいものはすでに買っていそうな彼に何を渡したらいいのか、考えあぐねていた。
 結衣も私と同じように「うーん」と頭を悩ませた。入院してから会話した男性はお互いに守倉先生くらいしかいない。
 男の人がもらって嬉しいものなんて、全然想像つかないな。
 しばしの沈黙のあと、結衣が突然声を上げた。
「分かった! 手作りゲームとかどう?」
「え、手作りゲーム……?」
「うん、今、無料でゲーム制作できるフリーソフトとかあるんだよ。この前暇すぎて調べたら出てきたの! それでゲーム制作して、師走さんに遊んでもらうの!」
「えー、大したもの作れないと思うけど……」
 自信なさげな声を出すと、結衣は「だって高価なものあげても喜ぶような人じゃないんでしょ?」とにこっと微笑む。
 たしかにそうだけど、いろんなゲームをやり尽くした彼に、果たして喜んでもらえるだろうか……。
「考えとく」と苦笑すると、結衣は「名案だと思ったのにー!」と頬を膨らませる。
 そんなことをしている間に、診察の番がやってきてしまった。
「鶴咲さん、お時間ですよー。板野さんはその次ね」
 看護師さんにドア付近から呼ばれ、二人そろって「はーい」と返事をする。
 病室を出てからも、頭の中は、〝手作りゲーム〟のことでいっぱいだった。
 クオリティーが高いものが作れるかどうかは全く自信はないけれど、でもたしかに、神代君が喜んでくれそうなのは〝今までやったことのないゲーム〟くらいしか思いつかないな。
 大したものは絶対に作れないけど、自分が作ったゲームをプレゼントするのは、ありなのかもしれない。
だって、大好きなゲーム実況者に自作のゲームをプレイしてもらえたら、自分へのプレゼントにもなるし……なんて。
 彼が楽し気にプレイしてくれる姿を想像したら、自然とニヤけていた。

「どこか体調が悪いところはないですか」
 綺麗な灰色の髪をした、四角い眼鏡の似合う守倉先生は、私のカルテを見ながらいくつか質問をしてきた。
 私は「元気です」と返し、とくに気になることはないと伝える。
 守倉先生は眼鏡をくいっと上げてから、椅子ごと回転して私の方を向いた。
「次に起きるのは十月三日になるけど、とくに日程の変更の希望もない?」
「はい、大丈夫です」
「……学校に通ってると聞いたけど、学校生活はどう?」
 現実世界との時間経過のギャップに苦しんでいる患者は多い。
 だから先生も、その辺をとても気にして、こうしてひとりひとりに面談時間を設けてくれているのだろう。
「学校、友達ができたので楽しいです」
 そう言うと、守倉先生は「そうか」と言って静かに目を細める。
 そうして私の目の前にA3サイズの紙を置いて、ボールペンを渡した。
 これは、コールドスリープをする前に毎回書いている同意書。
 そこには、この処置ならではのルールがいろいろと書かれている。
 ずらっと並ぶ小さい字をほとんど読み飛ばして、父親が既にサインしている横に、同じようにフルネームでサインをする。
「先生、いつも思うんですけど、眠っている間に他人が勝手に起こしたら罰せられるって、すごいですよね」
 先生に同意書を渡しながらそんな感想を伝えると、先生は難しそうな顔をする。
 あれ、もしかして面倒なこと聞いちゃったかな……?
「もちろん自然災害があったときは緊急解除する。だけど、私情でむやみに起こされたりしたら、体への負担も大きいし、迷いも出るだろう」
「迷い……?」
「大切な人と同じ時間を過ごさずに、本当にこれでいいのかと。眠れば眠るほど、周りの人との肉体的年齢差は開いていくからね」
 その言葉に、私は思わず口をつぐんだ。
 一応、誕生日が来たら一歳年を取ることにはなっているけれど、細胞まで凍結して成長を止めているので、見た目はこのまま。
 たしかに、もし恋人ができたりしたら、迷いが生じたりするのかな……。
「これが本当の、永遠の十七歳ってやつ?」
「昭和アイドルみたいな言い回しをよく知ってるな」
 おどけて答える私を見て苦笑する守倉先生。
 私は、明るく振る舞うことを最後まで努めて、診察室をあとにした。
 バタンと扉を閉めてすぐ、なぜか頭の中に神代君の顔が浮かぶ。
 長い前髪に、一重の目、少しも日焼けしていない白い肌。
 目を合わせようとすると、すぐにおどおどして目をそらす。声も小さいから近寄らないと聞こえない。
 でも、私がゲームで焦ったり慌てたりすると、すごくゆっくり優しく話してくれる。逆に、私を本気で心配するときは、早口で大声になる。
 それから、華奢に見えるけど、コントローラーを握る手は、私よりずっと大きくて、そのことに気づいたときなぜかドキッとしたんだ。
 ――どうしてそんなことを、今思い出してしまったんだろう。
 私が寝ている間に、神代君に好きな人ができたらどうしよう。
 つらくならないように、何も期待せずに、生きてきたのに。
「ダメじゃん、私……」
 つぶやいた声は、真っ白な病室に寂しく響いていった。
 大切なものをこれ以上増やさないようにしたいのに、次に目が覚めたときには、彼がそばにいてくれる。
 そのことが、どうしようもなく嬉しいだなんて。
秋の風が僕らを包む


 鶴咲が眠りについて約三ヶ月が過ぎた。
 今日という日を、どれだけ待ち望んできただろう。
 彼女が寝ている間、楽しんでもらえる動画をひとつでも多く増やそうと毎日ゲーム実況をした。登録者数も順調に増えて、十分なほどの広告収入を得た。
 勉強は親に文句を言われない程度にそこそこにして、弟からの冷ややかな視線を感じながら、鶴咲のためにできることを自分なりに考えていた。
 コールドスリープのことも調べていくうちに、様々な考えがあることを知った。
 この処置に強く反対をしている団体が存在し、たびたび病院の前で抗議活動を行っていることも。『不自然に命の流れを止めるべきではない』という主張で、この処置を受けて不幸になった人を中心に集まっているようだ。
 俺は、その団体の書き込みや活動動画を観て、ただただ悲しくなった。鶴咲の生き方そのものを、否定されている気がして。
鶴咲のことを知ろうと思い行動したけれど、ふと思う。俺はいったい、鶴咲の何になりたいんだろう。
 そんな自問をしつつ、俺は何年かぶりに早起きをして、鶴咲が指定した病院へと向かっている。
 今は月曜日の朝七時。学校が始まるまで、ここからの距離を考えるとそんなに余裕はない。
 だけど今日、鶴咲の目覚めを一緒に迎えて、一緒に登校すると決めたんだ。
 目覚めてすぐに体を動かせるものなのか心配したけれど、車で運んでもらえれば何とかなると言っていた。強がりかもしれないけれど。
 正直、彼女がどんな状態でコールドスリープをしているのか、この目で見るのは少し怖い。
 病院で面会の受付を済ませて、どぎまぎしながらコールドスリープの処置が行われている病棟に歩いて向かう。
「あら、神代君じゃない? 青花を迎えに来てくれたの?」
 振り返るとそこには、霞色のセーターを着た鶴咲のおばあさんが立っていた。
「あの、すみません、今日は勝手に」
 慌てて挨拶をすると、おばあさんは「来てくれて嬉しいわ」とにっこり微笑む。手には鶴咲の制服が入ったバッグを抱えている。
 ひとりで病室に入る勇気がなかったので、正直タイミングがよかった。俺はおばあさんのあとに続いて、顔認証を済ませてセキュリティーを解除すると、しんと静まり返った病室にようやく足を踏み入れる。
セキュリティーにはかなり力をいれているようで、俺も事前に顔写真を送って登録手続きを済ませておいた。
 病室の景色を見て、未来にタイムリープしてしまったのかと一瞬錯覚した。
 コールドスリープの装置が置かれている異質な病室に、ピーピーという無機質な機械音が響いている。病室は四人部屋で、それぞれ薄いカーテンで仕切られており、鶴咲がどこにいるかは分からない。おばあさんが窓際の奥のカーテンを開けると、そこに鶴咲が眠っていた。
「あ……」
 思わず声が漏れた。不謹慎な発言かもしれないけれど、ガラスでできたカプセル型の装置内で眠る寝間着姿の鶴咲は、美しい蝋人形のようだ。
 しっかり瞼を閉じていて、長い睫毛が白い肌で際立って見えている。小さい頃にどこかで見た、寝かせると目を閉じる人形を思い出した。
 それと同時に、本当に彼女が目を覚ますのか一気に不安に駆られてしまった。
 鶴咲がずっと元気に振る舞ってくれているので忘れていたけれど、彼女は闘病中なのだ。治療法が見つからなければ、一年間経っても、たった一ヶ月しか時が進まない。年に十一ヶ月もの間、鶴咲は寝て過ごしているのだ。
「本当に目を覚ましてくれるのかなって、毎回ドキドキしちゃってねぇ……」
 何も言えずに立ち尽くしている俺に、おばあさんはそっと話しかけてくれた。眉をハの字に下げて笑いながら、そっとガラスに手を添えて鶴咲の寝顔を見ている。
 沈黙したまま鶴咲の目覚めを待っていると、ガラッと扉が開いて、四、五十代前後の渋いお医者さんが看護師さんと一緒に入って来た。
「守倉先生、よろしくお願いいたします」
「鶴咲さん、おはようございます」
 低い落ち着いた声でおばあさんにぺこっと挨拶を返すと、その守倉先生というお医者さんは、チラッと俺の方を見た。
 鋭い眼光に一瞬ドキッとしたけれど、俺も頭を下げる。
「青花さんのご親戚ですか?」
「いや、俺はただのクラスメイトで……。神代って言います」
「そうでしたか、失礼しました」
 俺の回答に少し驚いた表情をした守倉先生。その反応から察するに、血縁者以外の人間がこの病室に足を運び入れたのは初めてだったんだろう。
「解凍作業に入ります」
 看護師さんの言葉に、思わず眉を顰める。人の体なのに、〝解凍〟だなんて、違和感のある言葉だ。でも、これ以外の言葉はきっとないのだろう。
 カプセルの中にもくもくと霧のような煙が現れ、鶴咲の体を包み込んでいく。その煙は数分で消え去り、音もなくゆっくりとカプセルが開いた。
「十分後には目を覚ますでしょう。睡眠ではなく、細胞が停止しているだけで、当人にしてみれば目を閉じただけと変わらないので。しかし、若干体力の衰えはあるので今日明日は激しい運動を避けてください」
 おばあさんにそう伝えると、守倉先生は真向かいで眠る患者さんの元へ向かった。
 カプセル越しではなく、今、目の前で鶴咲が眠っている。
 思わず触れて起こしたくなるのをグッと我慢して、おばあさんと一緒に、ベッドのそばにある椅子に座りながら彼女の目覚めを待つ。
 すると、本当にきっかり十分後に、鶴咲が小さな呻き声とともに静かに瞼を開る。少しずつ顔の血色も戻っていった。
 それはまるで、人形が魔法をかけられて人間になっていくかのような現象だった。
「ん……、眩しい……」
「あ……」
 彼女の第一声を聞いて、思わず感動して声が漏れる。
 よかった。本当に、目を覚ましてくれた……。
 おばあさんも俺と同じように安堵の表情を浮かべており、すぐに彼女のそばに寄り添う。
「青花、どこも痛いところはない? 水飲む?」
「おばあちゃん、毎回泣きそうな顔でどアップなの面白いからやめてよー」
「そりゃそうよ! 本当にお人形さんみたいになっちゃうんだもの……」
「お人形って。もしかしたら黙ってた方がモテるかなー」
「ほら、今日は神代君も来てくれてるよ」
 おばあさんの背後から、ぺこっと頭を下げる。
 俺からしたら三ヶ月ぶりの対面なので、少しだけ気恥ずかしい。
 鶴咲はまだ寝ぼけ眼なのか、ぼーっと俺の顔を眺めて数秒後、ハッとした顔になる。
「えっ、本当に来てくれたの!」
「うん……、おはよう」
「お、おはよう」
 鶴咲も寝起き姿だからなのか、少し恥ずかしげに挨拶を返してきた。
 迎えにいきたいと言ったのは自分なのに、何も気の利いたことを言えなくて情けない。
 でも俺は、金曜日に彼女に伝えたことを思い出した。
『昨日のことのように、今日を覚えておくから』
 そうだ。俺にできることは、彼女の昨日と今日を、繋いであげること。たったそれだけだ。
「鶴咲が好きそうなゲームの新作、たくさんたまってる」
「本当に⁉ やった」
俺の言葉に、鶴咲はパッと顔を明るくさせて、笑顔になる。
 向かい側の患者さんの処置を終えた守倉先生が再びやってきて、簡単な診察をするとのことだったので、俺は病室の外で一旦待つことにした。
 それから二十分後、制服に着替えた鶴咲が元気に外に出てきて、俺の腕を強引に引っ張った。
「学校行こ! もう遅刻ギリギリだよ!」
「待って鶴咲、起きたばっかりなのにそんなに動いたら……!」
「あっ」
 言ったそばから、鶴咲はバランスを崩してよろめいたので、俺は慌てて抱き留める。
「ご、ごめん、ありがと……」
「いや、全然……。ふらふらしてるし、ご飯か何か食べた方がいいかもね」
「そ、そうだね、車の中で食べようかな」
 鶴咲はすぐに俺から離れて、照れくさそうに頭を掻く。しかし、すぐに俺の制服を少しだけ掴んで、ゆっくり顔を上げた。
 ビー玉みたいに綺麗な目に見つめられて、俺は思わずたじろぐ。
「目が覚めて、神代君がいて、嬉しかった……」
「え……」
「まさか本当に約束を守ってくれるとは、思ってなかったからさ」
 えへへ、と泣きそうなのを誤魔化すように笑う鶴咲を見て、心臓の一部がぎゅっと掴まれたみたいになる。
 鶴咲はこんなに明るく見えても、たまに〝自分は忘れられても仕方がない人〟みたいな発言をする。
 もしかしたら過去に、そんなことがあったのかもしれない。でも、無理には聞かない。
 俺が一緒にいることで、もし少しでもその悲しい記憶が紛れるのなら、それでいいと思ったから。

 おばあさんが学校まで車で送ってくれることになったので、同乗することにした。
 車中でおにぎりを食べながら、早速ゲームの話を始める鶴咲を見ていると、ついさっきまで凍った状態だったなんて想像ができない。
 目の前で起きている奇跡のような出来事にしばし茫然としていると、鶴咲が「ねぇ聞いてる?」と顔を近づけてきた。
「ごめん、なんだっけ」
 謝りながら聞き返すと、鶴咲は少し不機嫌そうに頬を膨らませる。
「だからー、今度、同じ病室の結衣ちゃんって子に、神代君おすすめのゲームを教えたいんだけど、いい?」
「ああ、この前リストにして送ったやつ? いいよ」
「やった、暇そうにしてたから喜ぶよ」
 鶴咲はスマホをぽちぽちといじって早速その子にゲームのURLを送っているようだ。
 さっきの病室にいた子、ということは、鶴咲の少しあとに目を覚ましたんだろうか。
 鶴咲にそんな友達がいることを知って、なぜか少し嬉しくなっている。同じ処置を受けている者同士しか分かり合えないことが、きっとたくさんあるだろうから。
「二人とも、着いたよ」
 おばあさんに言われて、もう目の前に学校があることに気づいた。
 流れる景色に全く見向きもせず、ずっと鶴咲のくるくる変わる表情を追っていたせいで、気づけなった。
「おばあちゃんありがとうー」
「ありがとうございます」
 バタンとドアを閉めてお礼を伝えると、おばあさんはにこっと目を細めて「今日ははしゃぎすぎないようにね。神代君、青花をよろしくね」と言ってくれた。
 もう授業開始時間ギリギリだったのもあり、校門には誰もいない。
 俺たちはおばあさんの車が発進するまで見送って、まだ足がおぼつかない青花をフォローしながら、ゆっくり教室まで向かった。
 一緒に登校までしたら、またクラスメイトに何かくだらない噂を立てられてしまうだろう。
 でも、もうそんなことはどうでもいい。
「うわっ、校門で銀杏踏んづけたみたい! 最悪ー」
「え、かわいそうに……。本当だ臭い」
「うわー、萎えるー」
「はは、ガチで落ち込んでる」
 下駄箱の前でローファーを掴みながら顔を顰めている鶴咲。
 そんな彼女を見たら、胸の中が一気に温かくなっていくのを感じた。
 自分にとっての彼女は、太陽みたいな存在なのかもしれない。
 そばにいると温かくて、眩しくて、でも絶対に掴めそうにない。そんな存在。
 そんなことを伝えたら、きっと鶴咲は「凍ってるのに太陽って」と言って笑うだろう。
「そうだ! あのね、お願いしたいことがあるんだった」
「え、何?」
 ゲームに関することだろうと思っていたけれど、彼女のお願いは意外なものだった。
「今日から名前で呼んで! 青花って名前、自分でも気に入ってるから」
「え……」
 女子の名前なんて呼び捨てにしたことないんだけど……という感想が思いきり顔に出ていたらしい俺を見て、鶴咲はプッと吹き出す。
「私も禄って呼ぶから! いいでしょ?」
「それは、別にいいけど……」
「ほら、青花って呼んでみて。練習!」
「あ、青花……」
 気恥ずかしさと戦いながらたどたどしく名前を呼ぶと、鶴咲は満足げに笑う。
「禄」
応えるように、名前を読ばれた。少しだけ、心臓がドキッとする。
 しかし、初めて女子に下の名前で呼ばれたことにゆっくり感動している暇はなく、始業のチャイムが鳴り響いた。
 鐘が鳴り終わる寸前で、俺たちは教室に何とか滑り込んだのだった。
 数週間前から変わらない景色だったんだろうけど、教室の窓の外から見える木が色づいていることを、俺はようやく知った。
 青花と一緒にいると、見過ごしていたいろんなことに気づけそうな気がしてくる。
 ……世界が広がって、見える気がする。