君が残した選択肢


 朝目覚めると、君がいない世界がまた始まってしまった、とまず最初に思う。
 幸せな夢から覚めてしまったときのように、「ああ、これは夢だったんだ」という現実とのギャップで、何とも言えない切なさが胸に広がる。何の夢を見ていたかなんて、たいてい覚えてもいないというのに、毎回朝日を浴びると喪失感を抱く。
 ピピピピ、という機械音を聞きながら、ぼうっと白い天井を見つめ、数十秒。
 アラームを鳴らし続けているスマホを取ろうと、枕の下を片手で漁るけれど、うっかり手を滑らせてベッドと壁の隙間に落としてしまった。
「最悪……」
 こんな些細なことで、今日という日が本当に〝最悪〟なものに思えてくる。
 低血圧の体を何とか起こして、隙間に無理やり腕を捻じ込み、少し埃にまみれたスマホを取り出す。筋肉など一切ついていない細腕でよかったと、こういうときだけ思う。
 ようやくアラームを止めてスマホの画面を見ると、今日も能天気なドット絵の天使が空に浮かんでいて、社会人になっても朝から冴えない俺を笑っているようだった。
「起きるか」
 カップラーメンと水とゲームしかないような、雑然とした1LDKの部屋に、寝起きのしゃがれた声が響いた。
 少しだけ開いたグレーのカーテンの隙間から、何やら白いものがチラチラと見えている。
 ベッドから起き上がりカーテンを開けると、隣にある大家さんの家の桜の花が、見事に開花していた。
「綺麗だな……」
 春がやってきたのだと、単純にも毎年桜で判断してしまう。
 君がいなくなってから、もう何度も何度も季節は巡ったけれど、俺は何か変われたのだろうか。
 そっとカーテンを閉めて、顔を洗いに洗面台に向かうと、長ったらしい前髪の無愛想な男が鏡の中に立っていた。
 黒の無個性なTシャツのせいで、元の青白さが際立って見える。
 そういえばこの前同期の男性に、「表情のパターン、ドット絵で表現できる範囲くらいしかないよね」と言われた。意味も分からず「ありがとう」と小さく返したけれど、あれは多分貶されていた。
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 ひとつため息を吐いて、俺は蛇口を捻る。
 おはよう、今日も君のいない世界が始まってしまった。



 俺は気づけば社会人七年目になって、新人みたいな初々しさもなければ、部長みたいな頼り甲斐もない、中途半端な年齢になった。