俊也は、太ももを殴り続けている俺の手を無理やり止めて、「落ち着けって!」と声を荒らげる。でも、落ち着いていられる訳がない。
 今すぐ自分の目で確認しないと、何も信じられない。信じたくない。
「俊也、禄、どうしたのいったい……?」
 恐る恐る訊ねてくる母親の声を無視して、俺は財布だけ持って玄関から飛び出ようとした。
「ちょっと禄! 何があったの! どうしたの!」
 腕を掴んで訊ねる母親の手を振り払い、俺は息が荒いまま「病院に行くんだ」と答えた。
 父親もうしろで、動揺した顔をしている。俊也も、どうしたらいいのか分からないという様子だ。
「大切な人が……、死ぬかもしれないんだ」
 どうにか震えた声でそう言うと、母親は目を見開く。
 それ以上母親は何も聞かずに、玄関のサイドボードに置かれている車のキーを手にした。
「どこの病院行くの? 場所は?」
「え……」
「事情はあとで聞くから!」
 近所のスーパーでさえも化粧をして出る母親が、寝癖も直さずパジャマ姿のままサンダルで外に出た。口調もいつもと違って荒々しい。
 唖然としている間に車庫まで向かう母親に、家族全員が驚いている。
「禄、早く乗って! もう出せるよ!」
 車から顔を出している母親の声にハッとして、俺は走って助手席に乗り込んだ。 
 座りながらうつむき、俺は震える手を握り締める。
 そんな不安でいっぱいな俺に、母親が真剣な声で語りかけてきた。
「禄は小さいころから感情を表に出さない子だったわ……」
「何、急に……」
 何の脈絡もない会話に驚き、俺は少しだけ顔を上げる。
 母親は隣で、眉間に皺を寄せて苦しそうにしている。
「私はそれが不安で仕方がなかった。禄が何も考えてないんじゃないかって。私が正しい方向に導いてあげなきゃって……。でも、それが間違ってたのね。感情のものさしは人それぞれだってことを、どうして自分の子供には思えなかったのかしら」
 初めて聞く母親の後悔に、どんな反応を返したらいいのか分からない。
 でも、本当に今までのことを悔いていることが十分伝わるくらいに、母親の声は震えていた。
「禄は、私が思う以上にいろんな経験をして、優しい人間になっていたのね……。私の子とは思えないくらいに」
「何、言ってんの……」
「もう遅いかもだけど、禄が大事にしたいって思うことに、私も真剣に向き合わせてちょうだい」