あの鬼憑きの確認をしてから五日後の日曜日。使い魔というものと契約をするために、朝から卯月に道場に呼び出された氷月と霜月。もちろん、鬼遣いとしての装束姿である。
「ふぁぁあ。こんな日曜日の朝っぱらから」
まだ、朝は早く、外はぼんやりと薄闇に覆われている。夏至を過ぎれば、次第に日の出も遅くなってくるというもの。
欠伸を漏らしている霜月は不満そうだった。氷月はその欠伸に釣られそうになりながらも、きっと唇を噛みしめる。それでもピシっと背筋を伸ばして正座をしている二人。その姿勢は慣れたもの。
「君たちはまだ、使い魔との契約をしていなかっただろう? これから本格的に鬼遣いとして鬼封じを行うには、使い魔との契約が必要だからね」
使い魔。それは先日も聞いた言葉。霜月は使い魔の存在を知っていたようだが、氷月は知らなかった。氷月にとっては、知らないことが多すぎる鬼遣いの世界。それでも鬼遣いとして三年は訓練を行ってきた、はずなのだが――。
卯月が手にしているのは模造刀である。
彼はそれを振り回して空に陣を描く。あまりにも華麗な動きに、つい氷月もほぅと息を漏らしてしまうほど。
卯月が描いた陣がぼんやりと光り出す。
「霜月。こちらに来なさい」
正座をしていた霜月は、よっこらしょ、とでも言うかのように気怠そうに立ち上がり、ぼんやりと浮かんだ陣の前に立った。
「祈りなさい」
両手を合わせ、両目を閉じ、霜月はその陣に向かって静かに祈りを捧げた。
すると、陣はかっと瞬間的にまばゆく光ったかと思えば、そこから一羽の雀が飛んできた。霜月の肩の上に、ちょこんと立っている。
「これが霜月の使い魔だよ。可愛らしい雀のようだ」
「はぁ? これが使い魔? どっからどう見ても雀じゃないか」
霜月が口にした通り、それはどこからどう見ても立派な雀である。
雀はピィと鳴きながらも、霜月の脳内には直接声が響いたようだ。
「なんだ、この雀。喋った」
「霜月。使い魔とは仲良くね。使い魔は主と直接会話をすることができるのだよ。私たちには、霜月の使い魔の言っていることはわからない。だけど、霜月にはわかるはずだ」
卯月の言葉に、仲良くできるかよ、と思っている霜月だが声に出すようなことはしない。この雀が霜月にだけ聞こえる言葉で、文句を言うのが目に見えているようだ。
「次は氷月の番だよ。ここに来なさい」
「はい……」
氷月は小さく返事をして、すっと立ち上がる。同じようにぼんやりと光っている陣の前に立った。先ほど、霜月がしていたのと同じように両手を合わせ、両目を閉じ、祈りを捧げる。
カッとまばゆく光れば、ニャーという鳴き声が聞こえる。
「あ、猫ちゃん」
現れた猫は、氷月の足元へとすり寄っていく。気持ちよさそうにその喉をゴロゴロと鳴らしながら。
「猫。猫かよ、お前の使い魔。似合い過ぎて、笑えてくる」
ピィと雀のくちばしが、霜月の首元をつついた。
「いてっ、何すんだよ、お前」
「霜月は使い魔と仲良くなれたようだね」
卯月は満足そうに笑っている。
「卯月兄、これのどこが仲良く見えんだよ。こいつ、見た目と違って、言ってることが怖いんだよ」
「使い魔は、主の事を一番に考えているから。何も問題は無いよ」
「いやいやいや、問題大ありだよ、この雀」
ピィ、ピィ、ピィと言いながら、霜月の使い魔はずっと彼のどこかをつついている。
「猫ちゃん……」
氷月は膝を折って、使い魔の猫に手を差し伸べた。それはすっと氷月の側に寄り、腕の中に飛び込んでくる。
ニャァと鳴いて、氷月の頬をペロリと舐め上げる。
「氷月らしい、使い魔だね」
ニャァとしかそれは言わない。霜月は使い魔と何やら会話をしているようなのに、氷月にはこの使い魔の言葉がわからない。むしろ、ニャァしかわからない。
「何かあれば、この使い魔たちが教えてくれるからね。これから仲良くしなさい」
「はぁ? 仲良く? できるかよ、こんな雀と」
ピィ、ピィ、ピィと鳴きながら、霜月の使い魔は先ほどよりも激しく、何回もつついているようだ。
使い魔は主を選ぶことができない。鬼遣いが鬼遣いとなった時に、使い魔と主の関係は決まる。
だから霜月の使い魔がこの雀であるということは、ある種の運命ともいえよう。
「お前。ウザいから、ピィちゃんでいいな。おい、ピィちゃん。名前のわりには、かわいくねーやつ」
なんだかんだ言いながら、使い魔にちゃっかりと名前をつけている霜月は、わりとこの使い魔を気に入っているのかもしれない。
「ナァ……」
氷月の腕の中にいる猫、ではなく猫の姿の使い魔は、気持ちよさそうにそこで身体を丸めているだけ。何も喋らない。言葉も聞こえてこない。ただの猫のように見える。
(私、この子とお話ができるのかな?)
霜月は自分の使い魔である雀とじゃれ合っているし、何か喋っているようにも見える。だが、氷月は――。
「使い魔は必要に応じてその姿を消すこともできるからね。だけど、主が呼べばすぐに助けにきてくれるはずだ。使い魔にとって主は絶対的立場であるし、主にとっても使い魔はなくてはならないもの。それを忘れずに心の中に刻んでおきなさい」
くるりと背中を見せた卯月は、その役目を終えたため、道場から出ていく。
「飯まで時間あるし。朝から、こんなところに呼び出されて眠いし。俺、二度寝するわ」
両手を上にあげて伸びをした霜月も、使い魔である雀にその頭をチュンチュンとつつかれながら道場を後にする。
残されたのは氷月一人、と腕の中の猫。
「猫ちゃん……」
氷月が声をかけても、それはうんともすんとも反応しない。ただ気持ちよさそうに目を閉じて身体を丸めているだけで。ニャーとも鳴いてくれない。
「あったかいね」
腕の中から伝わってくる生き物の鼓動。その使い魔に、氷月は顔を埋める。
『一人じゃないよ……』
ふと、氷月にはそんな声が聞こえてきた。
顔をあげても誰もいない。霜月が言ったように、朝食までにはまだ時間がある。部屋に戻って、この使い魔の寝床でも作ってあげよう。
道場を出て、渡り廊下を歩いて母屋へと向かう。
氷月にとって、屋敷内の移動というのが、一番緊張する時間でもあった。それは他の兄弟たちと出会うかもしれないから。
そっとしておいてほしいのに、彼ら、彼女たちは氷月を見つけては何かしら声をかけてくる。いいことの声掛けなど、数えるほどしかない。むしろ、無いに等しい。
氷月が思わず足を止めてしまったのは、目の前に睦月がいたからだ。
「おはよう、ございます。睦月姉さん」
挨拶をしてさっさとその場を離れようと思った。
「使い魔。契約したのね……」
そう口にした睦月の表情がどこか悔しそうに見えた。もしかして氷月は、使い魔と契約することすら望まれていなかったのだろうか。いや、落ちこぼれだから、それすらできないと思われていたのだろうか。
「はい……」
消え入るような声で返事をし、すぐさまその場から立ち去るため、睦月の脇をすり抜ける。
「氷月」
背中に声をかけられた。思わず足を止める。
「近々、鬼封じに同行してもらうことになるからね。そのつもりでいなさい」
それだけ言うと、睦月はすたすたと歩いて氷月の前から姿を消した。
(わざわざそれを言うために?)
氷月は使い魔を抱いている腕に、ぎゅっと力を込めた。腕の中の猫は、目を開け、チラリと主を見たのだが、氷月はそれにすら気付かなかった。
「ふぁぁあ。こんな日曜日の朝っぱらから」
まだ、朝は早く、外はぼんやりと薄闇に覆われている。夏至を過ぎれば、次第に日の出も遅くなってくるというもの。
欠伸を漏らしている霜月は不満そうだった。氷月はその欠伸に釣られそうになりながらも、きっと唇を噛みしめる。それでもピシっと背筋を伸ばして正座をしている二人。その姿勢は慣れたもの。
「君たちはまだ、使い魔との契約をしていなかっただろう? これから本格的に鬼遣いとして鬼封じを行うには、使い魔との契約が必要だからね」
使い魔。それは先日も聞いた言葉。霜月は使い魔の存在を知っていたようだが、氷月は知らなかった。氷月にとっては、知らないことが多すぎる鬼遣いの世界。それでも鬼遣いとして三年は訓練を行ってきた、はずなのだが――。
卯月が手にしているのは模造刀である。
彼はそれを振り回して空に陣を描く。あまりにも華麗な動きに、つい氷月もほぅと息を漏らしてしまうほど。
卯月が描いた陣がぼんやりと光り出す。
「霜月。こちらに来なさい」
正座をしていた霜月は、よっこらしょ、とでも言うかのように気怠そうに立ち上がり、ぼんやりと浮かんだ陣の前に立った。
「祈りなさい」
両手を合わせ、両目を閉じ、霜月はその陣に向かって静かに祈りを捧げた。
すると、陣はかっと瞬間的にまばゆく光ったかと思えば、そこから一羽の雀が飛んできた。霜月の肩の上に、ちょこんと立っている。
「これが霜月の使い魔だよ。可愛らしい雀のようだ」
「はぁ? これが使い魔? どっからどう見ても雀じゃないか」
霜月が口にした通り、それはどこからどう見ても立派な雀である。
雀はピィと鳴きながらも、霜月の脳内には直接声が響いたようだ。
「なんだ、この雀。喋った」
「霜月。使い魔とは仲良くね。使い魔は主と直接会話をすることができるのだよ。私たちには、霜月の使い魔の言っていることはわからない。だけど、霜月にはわかるはずだ」
卯月の言葉に、仲良くできるかよ、と思っている霜月だが声に出すようなことはしない。この雀が霜月にだけ聞こえる言葉で、文句を言うのが目に見えているようだ。
「次は氷月の番だよ。ここに来なさい」
「はい……」
氷月は小さく返事をして、すっと立ち上がる。同じようにぼんやりと光っている陣の前に立った。先ほど、霜月がしていたのと同じように両手を合わせ、両目を閉じ、祈りを捧げる。
カッとまばゆく光れば、ニャーという鳴き声が聞こえる。
「あ、猫ちゃん」
現れた猫は、氷月の足元へとすり寄っていく。気持ちよさそうにその喉をゴロゴロと鳴らしながら。
「猫。猫かよ、お前の使い魔。似合い過ぎて、笑えてくる」
ピィと雀のくちばしが、霜月の首元をつついた。
「いてっ、何すんだよ、お前」
「霜月は使い魔と仲良くなれたようだね」
卯月は満足そうに笑っている。
「卯月兄、これのどこが仲良く見えんだよ。こいつ、見た目と違って、言ってることが怖いんだよ」
「使い魔は、主の事を一番に考えているから。何も問題は無いよ」
「いやいやいや、問題大ありだよ、この雀」
ピィ、ピィ、ピィと言いながら、霜月の使い魔はずっと彼のどこかをつついている。
「猫ちゃん……」
氷月は膝を折って、使い魔の猫に手を差し伸べた。それはすっと氷月の側に寄り、腕の中に飛び込んでくる。
ニャァと鳴いて、氷月の頬をペロリと舐め上げる。
「氷月らしい、使い魔だね」
ニャァとしかそれは言わない。霜月は使い魔と何やら会話をしているようなのに、氷月にはこの使い魔の言葉がわからない。むしろ、ニャァしかわからない。
「何かあれば、この使い魔たちが教えてくれるからね。これから仲良くしなさい」
「はぁ? 仲良く? できるかよ、こんな雀と」
ピィ、ピィ、ピィと鳴きながら、霜月の使い魔は先ほどよりも激しく、何回もつついているようだ。
使い魔は主を選ぶことができない。鬼遣いが鬼遣いとなった時に、使い魔と主の関係は決まる。
だから霜月の使い魔がこの雀であるということは、ある種の運命ともいえよう。
「お前。ウザいから、ピィちゃんでいいな。おい、ピィちゃん。名前のわりには、かわいくねーやつ」
なんだかんだ言いながら、使い魔にちゃっかりと名前をつけている霜月は、わりとこの使い魔を気に入っているのかもしれない。
「ナァ……」
氷月の腕の中にいる猫、ではなく猫の姿の使い魔は、気持ちよさそうにそこで身体を丸めているだけ。何も喋らない。言葉も聞こえてこない。ただの猫のように見える。
(私、この子とお話ができるのかな?)
霜月は自分の使い魔である雀とじゃれ合っているし、何か喋っているようにも見える。だが、氷月は――。
「使い魔は必要に応じてその姿を消すこともできるからね。だけど、主が呼べばすぐに助けにきてくれるはずだ。使い魔にとって主は絶対的立場であるし、主にとっても使い魔はなくてはならないもの。それを忘れずに心の中に刻んでおきなさい」
くるりと背中を見せた卯月は、その役目を終えたため、道場から出ていく。
「飯まで時間あるし。朝から、こんなところに呼び出されて眠いし。俺、二度寝するわ」
両手を上にあげて伸びをした霜月も、使い魔である雀にその頭をチュンチュンとつつかれながら道場を後にする。
残されたのは氷月一人、と腕の中の猫。
「猫ちゃん……」
氷月が声をかけても、それはうんともすんとも反応しない。ただ気持ちよさそうに目を閉じて身体を丸めているだけで。ニャーとも鳴いてくれない。
「あったかいね」
腕の中から伝わってくる生き物の鼓動。その使い魔に、氷月は顔を埋める。
『一人じゃないよ……』
ふと、氷月にはそんな声が聞こえてきた。
顔をあげても誰もいない。霜月が言ったように、朝食までにはまだ時間がある。部屋に戻って、この使い魔の寝床でも作ってあげよう。
道場を出て、渡り廊下を歩いて母屋へと向かう。
氷月にとって、屋敷内の移動というのが、一番緊張する時間でもあった。それは他の兄弟たちと出会うかもしれないから。
そっとしておいてほしいのに、彼ら、彼女たちは氷月を見つけては何かしら声をかけてくる。いいことの声掛けなど、数えるほどしかない。むしろ、無いに等しい。
氷月が思わず足を止めてしまったのは、目の前に睦月がいたからだ。
「おはよう、ございます。睦月姉さん」
挨拶をしてさっさとその場を離れようと思った。
「使い魔。契約したのね……」
そう口にした睦月の表情がどこか悔しそうに見えた。もしかして氷月は、使い魔と契約することすら望まれていなかったのだろうか。いや、落ちこぼれだから、それすらできないと思われていたのだろうか。
「はい……」
消え入るような声で返事をし、すぐさまその場から立ち去るため、睦月の脇をすり抜ける。
「氷月」
背中に声をかけられた。思わず足を止める。
「近々、鬼封じに同行してもらうことになるからね。そのつもりでいなさい」
それだけ言うと、睦月はすたすたと歩いて氷月の前から姿を消した。
(わざわざそれを言うために?)
氷月は使い魔を抱いている腕に、ぎゅっと力を込めた。腕の中の猫は、目を開け、チラリと主を見たのだが、氷月はそれにすら気付かなかった。