由良に呼び出されて、街に出る。自転車のペダルを力強く漕いだ。体が火照っているのは、焦りのせいだろうか?

 人々が当たり前みたいに生活している光景がこれまで不思議でならなかったが、意味が今なら分かる。
 ヒトはそれぞれ、自分の役割を全うしようとしているのだ。

 生産者は生産者としての役割を。
 販売者は販売者としての役割を。
 教員は教員としての役割を。
 政治家は政治家としての役割を。
 マスコミはマスコミとしての役割を。

 それらの役割こそが、人間にとっての存在理由だからだ。

 だというのに、俺は自分の“高校生”としての役割を早々に放棄した。
 宿題をやらなくて済むならそれでいいや、と。

 役割を持つのは決して道具だけではない。人間もそれぞれに役割を持ち、その役割を持つことが生きる張り合いになっている。

 じゃあ、もう生きていく時間が残されていないとしたら?

 ある人はその役割を最後まで全うすることを選ぶかもしれない。命潰えるその瞬間まで己の役割を守り抜くことも、一つの美学だ。

 だけど、役割の衣を脱ぎ捨て、原始人のごとくありのままの裸の自分をさらけ出すことも、ありなんじゃないか?

 ありのままの俺。
 正直に、心の赴くままに。

 やっぱり、由良千景に会いたかった。
 たとえ一度は裏切られたとしても。


 人生最後の24時間を、彼女に――彼女に課された宿題に捧げたいと強く思う。


 ああ、そうか。
 残された人生で遂行したい役割は、“由良千景の彼氏”という役割なんだ。

 それじゃあ、最後までお前の彼氏でいさせてくれ、由良。

 汗を垂れ流しながら、俺は道を急いだ。


***


「宿題を提出しに来たよ、由良」

 息を切らしながら、俺は扉を開けた。
 由良が指定したのは、俺たちの教室だった。わずか二週間ほど前までここで毎日過ごしていたのに、ものすごく懐かしい気がした。汗のしみこんだような臭いや、凹みの目立つ机が、今はとてつもなく愛おしく思える。

「待ってたよ、トータくんっ」

 由良は律儀にも自身の座席に座っていた。
 俺もつられて、一学期の間ずっと座り続けてきた椅子に腰掛ける。ちょうど由良の斜め前。
 ずっとずっとこの距離で生活してきた。
 由良は俺の名前さえ認識していなかった。あの頃がすごく遠くに感じられる。

 っていうか妙に暑いな、この教室は。

 ただ違和感があるのは、制服ではなく私服でここにいると言うことだけれど。

「あの研究者のオッサンたちは、こういう状況を許してくれるのか?」
「もうあのオッサンたちも打つ手がないって思っていると思う。それに、特別な許可も下りたことだし」
「何だそれ?」
「トータくんと、一つになる許可!」
「……ちょ、は、え!?」

 目玉が飛び出そうになるだろ!!!

 え、ここで?
 ここでするのか!?

 俺、お前のこと大事にしたい的なこと伝えたよね!? 他の男達とは違うって言ったよね!?

……いや、そういう欲望があることは否めないが……。

「こらっ、スケベなこと考えたでしょ? ぷんぷん!」
「だって、お前が言い始めたんだろ?!」
 しかも何だよその怒り方は?

「一つになるっていうのは、そういう意味じゃないのっ」

 はあ……じゃあ、どういうことだよ?


――と言おうとして、口を動かした。


 異変を覚えたのは、その時だった。

「おえっっ……ゲホッ……」

 喉の奥から、何かがこみ上げてくるような不快感。息苦しさに、俺は胸と喉元を押さえた。しかしそんな所作は何の意味も持たない。

 発作? まさかこれが、俺の体の中で増殖していたものによる発作なのか?

「ゆ、げほっ、由良ぁ……」
「トータくん! ちょっと待ってて」

 由良の声が聞こえる。何やらもそもそごそごそと鞄をまさぐるような音がすぐそばで聞こえるが、定かではない。
 俺はそちらを直視することもままならず、教室の床にうずくまる。
 体が焼け付くように熱い、そして痛い。

「トータくん! トータくんは、死なないよ! ずっとずっと、私と一つだから!」

 由良の叫びが聞こえる。
 意識がもうろうとしているせいか、由良が何を言おうとしているのかわからない。

 苦しい。痛い。
 ああ、由良に何か、何かを、これまでの、いや、まずお前のことが――