「トーヤくん! 今日はショッピングに行くよー!」
「トーマくん! 今日はお寺巡りだよ!」
「トーミくん! 今日は山登ろうよ!」

「……いつもいつも名前が惜しいなぁ!? わざとやってるだろ!?」

 しかしこう毎日遊びに誘われては、いくら人生最後の夏とは言えきついなぁ。
 宿題は全部捨てたとは言え、他の奴らとも遊びたいし、一人になりたいときもある。

「ダメだよ! トータくんは毎日私といなきゃ! それでも彼氏のつもり!?」
「ついこの間まで名前も知らなかったくせにセリフが重すぎるだろ!?」
 ってか急に名前思い出したな? というか今までわざと間違えてたな?
「ずっと一緒にいるんだもん!」
「逆プロポーズすんな! それにずっとって言ったところで――」
――もうすぐ人類は終わっちまうんだよ、と続けるはずだったが、口にしてしまうと本当にそうなる気がしてやめた。

 ん? びびってんのか、俺?
 終業式のその日に駅のゴミ箱に宿題全部捨てておいて、今さらびびってんのかよ、南野灯太?

「じゃあ、今から海へ行くよ!!!」
 ものすごい圧で命じられ、俺たちは海へ向かった。水着も浮き輪も持たずに。

 海へ向かう電車は朝早かったせいか空席が目立った。
「人類ごときの智恵がウイルスや人工知能に勝てるわけないのよね。トーマくんもそう思うでしょ?」
「なんでさっきからずっとそんなマジな話してるわけ」
「んー、トーヤくんの頭脳を試すため?」
「上から目線だな。どーせ俺は阿呆ですよ」
「宿題捨てちゃったもんねー!」
「あん? そんなこと俺教えたっけか?」
「へへっ、そんなトーくんが好きだよ」
「……好きでもなんでもない、じゃなかったっけか?」
 真っ正面から女子に「好き」と言われ、もぞもぞする俺。だっさ。中学生かよ。
 ちっとも由良に「好き」と言われることを予想も期待もしていなかったので、動揺してしまう。
「今はちょっと好きかも」
「……ちょっと、ねえ」
 まだ付き合って1週間だが、人間って一緒にいると愛着が湧くのかねえ、と照れ隠し。

 ホームに降り立つと潮の臭いに包まれた。残酷なくらい自然はいつも通りで、人間がいかに小さな存在であるかだけを教えてくれる。はるか太古からそうだったのだけれど、俺たちは気づかないふりをして生きてきただけだ。

 だが海岸線が目の前に迫ってくると、俺たちは鼻を塞いだ。
「ぎゃー、くさっ!」
「そんなの来る前から分かってただろ……それにしてもくせぇけどな」
「こんなに打ち上がってるなんて思わなかったもん」
「そだな」
――鯨の群れが見事に打ち上げられ、絶息している光景。
 何頭もずらりとぐったり横たわっている様は、ネットで見るよりも寒気がした。

 一列に並んだ「死」は俺の目の前にも迫っている――。

 人類に真っ先に宿命を知らせてくれたのはある調査によれば鯨やいるかたちだったらしい。
 海の中で起きた異変が、まもなく陸に訪れた。
 そのうち空にも転移してやがては宇宙へ――届くかどうかは、知らない。

「知ってる? 全ての生き物は海から生まれたんだよ」
「その程度のことでドヤ顔すんなっつーの」
「そしてこれから、海の生き物から順に死んでいくんだよ。海がダメになったら陸もダメになるのはうなずけるよね」
「……ま、そーだよな」
「見てよ、海が黒ずんでる」

 青い海、白い砂浜――そんなものがかつてはあったはずだ。しかし俺たちはそれを画面上でしかしらない。

「トーフくんは、海好き?」
「俺のメンタルの弱さを急にディスるのやめてくんね? 好きじゃねーよ」
「私は海って大好き。ものすごく濃密な死の臭いがするでしょ? そういうの、あこがれちゃうから」
「メンヘラか!?」
 ちょっとは知ってたけどな。
「トーフくんは、死ぬのが怖い?」
「豆腐はもう腐ってるからこれ以上何が起きても怖くねーよ」

 もうどうにでもなれ。

……ってか、あれか? 俺、もしかしてここで殺される……?
 心中か!?
 ちょ、やめてくれ!
 まさか好きでもない彼女と心中とか、そういう哀れな死に方はちょっと俺の想定外だ。

 ドサッ。

 うろたえているのもつかの間、俺は由良の下敷きになって砂浜に倒れた。砂でやけどしそ――

「そう、やっぱり平気なんだね?」

 と、そこで、ギクリとした。
 由良の手には光る物。サイズは果物ナイフくらいだ。
 表情はなく、目には光がない。

「ちょ、まじで殺す気か!? 落ち着けって。まだ心中とかする仲でもねえし!! ほら、お母さんも悲しむよ!! 落ち着こう!?」

 馬乗りになる由良を必死で持ち上げようとするが、意外と由良は重かった。無理に体重を掛けているのかもしれない。
 そもそもひょろひょろ体型の俺にはどうしようもなかった。

「ごめんなさい!! 全部俺が悪いです!! 間違えやすい名前なのも、人類が滅びるのも、全部俺のせいです!!」

 訳も分からずただ詫びまくった。何が由良の気に障ったのかが分からないからどうしようもないのだ。

 ぎゅっと目をつぶってわめきまくっていると、体がふっと楽になった。

……ああ、ついに死んだんだな、俺……。





 ん? でもやっぱり背中が熱いなあ。
 ってことは、生きてる?

 うっすらと目を開く。
 空に雲が懸かっている。
 由良はいない。
 どこ行った?

 横たわっていた身を起こす。どこにも痛みはない。背中がヒリヒリするだけだ。血も流れていない。ナイフは使われなかったようだ。

 ふと、俺のすぐ横に目をやる。

「由良!?」

 そこにはぐったりとうつ伏せに倒れている由良の姿があった。右手に握られたナイフには、血の一滴もついていないままで――ってかあれ? これナイフじゃなくね?

「シャーペンじゃん……」

 ボディが全部シルバー軸のシャープペンシルを、俺はナイフを見間違えた……?

「いや、今はそんなこと後回しだ!! 由良、起きろ!」

 無人の海岸線に、俺の叫びは吸い込まれ、誰に届くこともなく消えていくのだった。