すき焼きの鍋が空になった頃

「羽奏ちゃん。ケーキ食べる?」

彼の母親が
とても可愛くて豪華な
苺と生クリームの
デコレーションケーキを
持ってきた。
すでにお肉と春菊で
お腹がパンパンになっていたけれど
私は無理やりお水を飲み込んで
ケーキが入る胃を作ろうとした。

「ほんとどうしたんだよ、母さん」
「何が?」
「さっき言ってただろ。
今日は、俺が生まれるために
とっても大切な日だったって」

そう言えば。
すき焼きが始まる前
彼の母親がそう言っていた。

「ああそうそう。
そうよね。
どうしましょうかしら……」

と私をちらりと見ながら
彼の母親が言った。

あ、これ私いたらダメなやつだ。

「あ、私もう帰ります」

私は急いで立ち上がる。

「え、羽奏?」

彼が困惑顔で私を見る。
まるで、1人にしないでくれ、と
言っている、猫のような顔だった。

「すき焼き、ありがとうございました」

私が早口でお礼を言い切り
お辞儀をすると

「待って、羽奏ちゃん」

と、彼の母親に呼び止められた。

「これから、刀馬に大事な話をするんだけど」

やっぱり。

「羽奏ちゃんも、よければ
聞いてくれないかしら?」
「……え?」
「その方が、刀馬にとっても
きっといいことかもしれない。
ね、あなた」

彼の父親がものすごい速度で
縦に首を振る。

「ほら、パパも賛成してるし」
「でも……」

私は、ずっと遠目に人を見ながら
静かに生きてきた。
だから、こういう時の空気感は
知っている。

知ってしまえば、後戻りは許さない。
そんな空気感だった。