それは、遠い昔。

記憶の中には前後は抜けていて、断片的な場面しか思い出せない……3歳か4歳だったろうか。

走るどころか歩くのも精一杯だった頃。

私はよく転んでは泣いていた。

内股で歩く癖が身に付いていたこともあり、自分の足につまづく事が多かった。

そんな私に、アイツは


「大丈夫?」


といつも手を差し伸べて助けてくれた。

今よりずっと高くて、今の私よりもずっと可愛らしい声で、私の名前を呼んでいた。

そんなビジョンが一瞬浮かんだが、すぐに消えた。



「何?ナオ。どうしたの?」



アイツの背後から、また別の知っている声が聞こえたから。

こんな場所で、聞きたくなかった声。

この声を聞くだけで、忘れてしまいたい過去があっという間に蘇ってしまう。



「あんたなんか、ナオ君のお荷物なんだから、とっとと消えろよ、このどブス死ね!」

「ねー知ってる?ナオ君がさ、あんたのこと、ピーチクパーチク煩いって、私に愚痴ってきたんだよ?あんた相当嫌われてるじゃん」

「あんたなんかが中学に入ってきたから、ナオがいなくなったのよ!どう責任取ってくれるのよ!!」




小学校の時だけじゃない。

中学校にいる時も、隙があれば私に絡んできた先輩。

名前は知らない。

顔も覚えてない。

覚えていたくない。

でも、声だけは残っている。

甲高く、聞くだけで頭痛がするような、剣のような声だと思った。



どうして、その人の声が、ここで聞こえるの?



「ああ、実は……」



やめて、何も言わないで。

知り合いだと、言わないで。

佐川琴莉だと、言わないで……!

もう、あんな思いをしたくない。




「すみませんでした」




私は、早口で謝りながら、アイツからCDを奪い取ってそのまま立ち上がった。

それから、決して顔を見られないように、下を向いたまま、軽く会釈をもう1度してから、私は走った。

アイツが、何か私に言っていたような気がした。

でも、全く聞こえなかった。



「何?あれ、1年生でしょう?どんくさっ」



と、あの人が私に向かって放った鋭い言葉の方が、ずっと響いてしまったから。