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 翌日、天神様で子供達から千紗の伝言を聞いた新久郎は首をひねった。
「六十二と言ってたのか?」
 まんじゅうを頬張りながら女の子がコクリとうなずく。
「おまえ、聞き間違いじゃねえの?」
 腕白小僧に言われて、女の子が頬を膨らませる。
「言ったもん。『六十二と伝えて』って」
「あのお姉ちゃん、算術が好きだからな」
 と、新久郎が手をたたいた。
「百人一首の番号だ」
 千紗は『六十二番、清少納言』と言いたかったのだろう。

   よをこめてとりのそらねははかるとも
          よにあふさかのせきはゆるさじ
   (夜は深いのに、鶏の鳴きまねをして関守をだまそうとしても、
   逢坂の関は通してもらえないでしょう)

 ――そうか。
 やはり無理か。
「すまんが、もう一度伝言を頼む」
「いいぜ。まんじゅうも食ったしな」と、腕白小僧が唇をなめた。
 新久郎は『七十七』と伝えてもらうことにした。

 七十七番、崇徳院。
   せをはやみいわにせかるるたきがわの
          われてもすゑにあはむとぞおもふ
   (岩にふさがれて急流の水が分かれても下流でまた合流するように、
   今はさえぎられていても、末にはまた会おうと思っていますよ)

 そして、千紗からの返信は『十九』だった。
 十九番は伊勢の歌だ。

   なにはがたみじかきあしのふしのまも
          あはでこのよをすぐしてよとや
   (難波の岸辺に映える芦の草の節のようにほんの短い間でも
   あなたと会わずに過ごすことなどできません)

「兄ちゃん。どうするんだよ」
 腕白小僧にせかされても、ひょろり新久郎は腕組みをして考え込むだけだった。
「そうだな。どうしたものか」
「会いに行けよ。本気なんだろ」
「それはそうだが、親父殿に見つかったら迷惑がかかる」
「なんでえ、いくじなし」
 馬鹿にされても妙案は出ない。
「あんたみたいに単純じゃないのよ」と、女の子が腕白小僧に背を向けて境内を出ていく。
「なんでえ。じゃあな、兄ちゃん」
 一人残されて新久郎はぼんやりと夕焼け空を見上げた。
 ――千紗。
 会いたいと思えどさてもままならず。
 五七五でつぶやいてみても下の句が続かない。
 算術より難しい問題があるとは、そなたに会うまでは思いもしなかったことよ。
 ふう……。
 ため息をついてみたところで答えなど見つかるはずもなかった。