狗神様の最初の奥方様…伏水様が亡くなられたのは、狗神様と祝言を上げ、ほんの十年の後でした。
原因は仁雷さまのお言葉通り。山犬の多産に、人の身の伏水様が耐え切ることが出来なかったためでした…。
狗神様を始めとするあやかしにとっては、“十年”とは瞬きに等しい僅かな時間。それでも、狗神様は伏水様の死を受け入れることが出来なかったと言います。
狗神様が選ばれたのは、“現世”での繋がりでした。
狗神様は犬居家に命じられました。
「犬居家をこの地に住まわせ守ることと引き換えに、十年に一度、犬居の血を引く娘を一人、生贄に差し出すように。」
そのお言葉の根底には、狗神様ご自身の血と、伏水様の血を絶やさないため、という目的があったのです。
長い年月をかけて、外山からも多くの山犬がこの地に流れ着いて来たといいます。義嵐さまもその内の一頭。
それでも狗神様は一貫して、昔からの風習を変えることはなく、犬居の血を引く娘を娶り、交わり続けたのでした…。
…けれど、長い年月をかければかけるほど、血は薄まるもの。
狗神様のご記憶する伏水様の血の匂い。それが、年々薄らいでいくという…。犬居の娘達にも、伏水様の面影は最早ありません。
それでも狗神様は、伏水様を忘れることが出来ませんでした。
“伏水の生きた証を失くしたくない”。
純なる愛だったはずの想いは、いつしか強い強い“呪い”へと変わり、狗神様ご自身を縛り付けるようになりました。
親族内で混じり続けた罰であるかのように、体を病魔に蝕まれる運命を辿った犬居家。薄れていく伏水様の血。いずれは寿命を迎える狗神様…。終焉の未来が見えていても、ご自身ではこの風習を辞めることが出来なかったのです。
…そんな時、声を上げられたのが、他でもない仁雷さまでした。
それは十年前。わたしの母…秋穂が道半ばで命を落として間も無くのこと。
「…お館様。
どうか狗神の座を、俺にお譲りいただきたい。」
血と病と悲しみに塗れた風習。ご自身の呪いに蝕まれ続ける狗神様。
お使いとして、一番そばで見ていた仁雷さまだからこそ、口に出来たお言葉でした。
【…名を継いで何とする。そなたが、この重圧を引き受けるとでも申すか?】
「……何ともしません。山犬も、犬居家も、血に拘りすぎたのです。
…そして貴方も、伏水様の亡霊から解き放たれるべきです。」
【…………………。】
長い長い血の呪いは、唯一仁雷さまが解放の糸口を握っていたのです。
狗神様は一縷の望みをかけて、仁雷さまに賭けを申し出られたのでした。
【……では仁雷。十年を経たら…ーーー、】