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仁雷さまとわたしは、狗神様に誘われるまま、狗神御殿のさらに裏手にある大きな東屋へと移りました。
美しい狗神御殿の景観を望める位置。湖上に浮かぶように、東屋は建てられていました。
屋根と柱のみの構造で、東屋の中央には一つの大きな岩が立てられています。
狗神様と、仁雷さまとわたし。そして狗神様のお供として、人の姿の義嵐さまも一緒に。…ただ、義嵐さまのお顔は思い詰めたような険しいものでした。
狗神様はわたしを、その岩の前へと案内します。
わたしの身の丈よりも少しばかり大きな、|苔生した岩。とても古いもののようで、表面に刻まれた文字も、ほとんどが欠けて読めなくなっていました。
「……これは…?」
わたしは狗神様のお顔を見上げます。
すると、どうでしょう。狗神様の威厳ある瞳が、今はとても寂しげな色に変わっていました。それはどこか、山犬の姿の時の仁雷さまと、似た雰囲気を纏っていました。
【最初の犬居の娘。伏水の墓碑だ。】
「…伏水、様。」
その名には、覚えがありました。山犬の岩場に建てられていた小さなお社の名です。
狗神様が大岩に変化した逸話の中で、救い出した娘の一人と恋に落ち、結ばれた。その方こそ最初の犬居の娘であり、わたしのご先祖様。
狗神様は懇々と語られます。
そこには、これまで犬居家に言い伝えられ教えられてきた逸話のどこにも載っていない、狗神様ご自身の“想い”が宿っていました。