わたし…早苗が生まれた犬居家は、先祖代々続く由緒ある社家でした。
犬居家の現当主であり、星見さまとわたしの父上にあたる 犬居 玄幽さまは、正妻を病で亡くされた後、犬居の血筋ではない三人の妾を囲いました。
大の女好きというわけではありません。ある事情で、犬居という家は昔から、喉から手が出るほどに“女児”を望んでいたのです。
普通なら、お家の存続のために男児を望むはずですが、なぜ女児なのか?
それは、犬居家が代々祀る“狗神さま”のためでした。
狗神さまの息づく土地に、最初の犬居が移り住んでから長い長い時間をかけて、一族は繁栄しました。
広大な土地。峨々たる山々。木材や水、砂金などの豊富な資源を利用して、犬居家は財を築いたのです。
…しかしその代償として、狗神さまは犬居家に対して、ある要求をされました。
“十年に一度、犬居の血を引く若い娘を献げる”こと。
人身御供。つまりは、生贄です。
狗神さまのお守りくださる土地で、実り多く平和な暮らしを送るため、先祖代々、犬居の血を引く若い娘を献げ続けてきたと聞きます。
恐ろしい話…と思われるでしょうか。
しかし当の一族にとっては、幼い頃から、とても尊く誉れ高い風習として教えられてきました。
生贄に選ばれることは、信仰する狗神さまのおそばでお仕えできるということ。一族の平和な暮らしを守れるということ。とても名誉なことだと、わたしも幼い頃に母から聞かされたものです。
その母も、わたしが三歳の時に、流行り病で亡くなりましたが…。
わたし自身、“生贄”とは同時に“死”を意味することは知っています。恐ろしさを覚えるものの、狗神さまの威光は幼い頃から深く心に根付いていました。
辛いとき、悲しいとき、逃げてしまいたい時、心の奥深くで狗神さまに祈り、狗神さまにお目通りが叶う日を期待してしまう。“いつか狗神さまの生贄となること”だけが、この家に生まれたわたしの意義だったのです。
わたしは犬居の血を引いてはいても、妾の子ども。
本家の娘の身代わりとして、狗神さまへ献げるために、産み育てられたに過ぎないのですから。