「ーーーでは、傷の手当ての前に、雉子亭自慢の温泉にお入りくださいませ。
座敷に布団の用意もいたします。どうか今宵はごゆるりとお体を休まれませ…。」
雉子亭の離れに通じる廊下を渡りながら、君影さまはそんな、この上なくありがたいお言葉をくださいました。
「お湯にっ、浸かれるのですか…!」
雉喰いのどろどろの汚れを落とすどころか、わたしは生贄の儀式ために犬居屋敷を出てから、一度もお湯に浸かっていませんでした。
沢の水で体を拭いたりはしましたが、やっぱり人間たるもの、入浴は極上のご褒美。浮き足立たないほうが難しいのです。
君影さまは、離れの木の引き戸を優しく開きます。その奥を覗いて、わたしは感激で一杯になりました。
もうもうと立ち上る柔らかな湯気。大きな岩が詰まれた囲いの中に、乳白色に染まった温泉が広がっていたのです。
「こちらが雉子亭自慢の、雛の湯でございます。傷や打ち身に良い効能がございますよ。
混浴ですが奥に仕切りもありますので、ご心配なく。」
雛の湯を眺めながらうっとりするわたしとは対照的に、仁雷さまはみるみる体を強張らせていきます。
「…し、仕切り、だけか…っ!」
「オイ仁雷、目の焦点が合ってないぞ。
…じゃあまぁ、せっかくだし三人で浸からせてもらおうか。体中汚れたし、お前達二人は妙なぬめぬめ塗れだしな。」
浴場全体を見れば、温泉の奥のほうに竹造りの仕切りが立てられています。なるほど、あちらは女性の場所なのね。
温泉を前にするとどうしても、早く浸かりたい気持ちに駆られてしまいます。それにこのぬめぬめの生臭さ…鼻のきく山犬のお二人には、尚のこと辛いはず。
「手厚いおもてなしをありがとうございます、君影さま。浸からせていただきます。」
「……早苗さんっ!!本気か!?」
仁雷さまの焦った声が後ろから飛んできて、わたしはびくりと肩を震わせました。
きっと、他人が一緒のお湯に浸かることを気にしているのかも…。
でも仕切りもあるし、静かに浸かれば、きっと仁雷さまの気は散らさないわ。
「仁雷さま、わたしのことはお気になさらず、ゆっくりご堪能くださいませ。」
「…………っ、あ、ウ……ウン…。」
仁雷さまは何か言いたそうでしたが、わたしのお願いを渋々受け入れてくださったようでした。
ーーーやっぱり、優しい方だわ…。