日が昇ってから、わたしたちは獣道と、人の歩く山道とを交互に進みます。
お天道さまが西の空に傾き、山の彼方へ沈んで夜になる。
道中見つけたお社で、また昨日と同じように体を休め、日が昇ったらまた先を目指して歩き続ける。
その道中はとても長く感じました。
日が傾き、辺りが朱色に染まり始めた頃になって、まず最初の聖地である、雉子の竹藪と呼ばれる場所に辿り着きました。
その名の通り、これまでの獣道よりもさらに鬱蒼と茂る、背の高い竹林でした。
空はまだ日が沈みきっていないはずなのに、竹林の中は光がだいぶ遮られ、薄暗くなっていました。
もし夜になったら、本当に何も見えなくなってしまいそう。
道中はずっと義嵐さまと仁雷さまが先行してくださっていましたが、竹林に入った頃から、仁雷さまがわたしの後ろを歩くようになりました。何かを警戒するように、辺りに目を配っています。
竹林に入ってから感じる“妙な違和感”が、ただの気のせいならいいのですが…。
「早苗さん、あれが見えるかい?」
義嵐さまの視線の先に、赤い瓦屋根のようなものが見えます。
さらに近づいていくと、それは鬱蒼とした竹林には不釣り合いな、緻密な細工の格子扉を備えた数奇屋門であることが分かりました。
「ここは…?」
「雉たちの棲む屋敷。雉子亭だ。」
義嵐さまは見知った家のように、門を潜っていきます。
わたしも慌ててそれに続き、最後に仁雷さまが、
「………。」
辺りをひと睨みしてから、静かに門扉を閉めました。
門を潜った先には、手入れの行き届いた緑の庭園が広がり、その奥には赤瓦の美しいお屋敷が構えています。
犬居の屋敷も立派な造りですが、こちらは竜宮城のような、お伽噺のような美しさがありました。うっとりとして、わたしは思わず口に出してしまいます。
「まあ…。なんて素敵…。」
「ーーーお気に召していただけて光栄です。」
お屋敷にばかり目を奪われて、目の前の人に気づくのが遅れました。
いつの間にかそこには、仕立ての良い玉虫色の着物を纏った、気品あふれる微笑みの男性が立っていたのです。
「狗神様のお使い様ご一行。よくいらっしゃいました。」
男性の背後にはお手伝いさんらしき、土色の斑模様の着物を着た女性達が並び、こちらにお辞儀をしています。
「久しぶりだなぁ、君影。
こちらが犬居の娘…早苗様だ。」
義嵐さまに促され、わたしは前へ進み出ます。
君影さまはわたしの顔を見ると、一層優しく微笑まれました。
「お初にお目にかかります。早苗様。
私は雉子亭の主人、君影と申します。
道中お疲れでしょう。どうぞごゆるりとお寛ぎくださいませ。」
「あっ、は、はい…!この度は、お世話になります!」
丁寧なお辞儀につられ、わたしも慌てて頭を下げます。
君影さまは流れるようにわたし達を屋敷内へ招き入れ、あらかじめご用意いただいたというお部屋に通してくださいました。
そのお部屋というのがまた…、
「……なんて、素敵…!
お姫さまのお部屋のよう…!」
広々と敷かれた、目の整った淡い色の畳。まっさらな障子紙。見事な襖絵。欄間の細密な彫刻。飾られている掛け軸も壺も、なんて美しい絵付けでしょう。
「今宵はこちらにお泊まりくださいませ。」
「ええ…!」
君影さまのお言葉に、感激の声が漏れ出ました。
「嬉しそうだな、早苗さん。」
そう仰る仁雷さまも、心なしか嬉しそうに目を細めています。
「こんなに素敵なお部屋、初めてで…!
泊まってしまって良いのかしら…罰が当たってしまいそう…!」
「勿体ないお言葉でございます。
こちらは代々、犬居家のお嬢様方をご案内したお部屋です。
険しい旅でございますから、少しでもお体を癒せれば幸いでございます。」
「あっ…。」
君影さまの言葉を聞いた瞬間、わたしは一人はしゃいでしまったことをひどく恥じました。
そうだわ…わたしは生贄で、今はその巡礼の真っ最中。
ーーー巡遊に来ているわけではないわ。もっと気丈にならなければ…。
「ただいま、お食事をお待ち致します。
少々お待ちくださいませ。」
君影さまの「お食事」という言葉に、わたしは端なくも、また気持ちをそわそわとさせてしまうのでした…。