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「なぜ君は、先ほどから座ったきりなんだ?」

 組み紐の話が終わり、話題は深月のことに移り変わる。
 暁の理解に苦しむと言いたげな顔に、深月は思わず言い返していた。

「好きにしろと言われても、何をすればいいのか……部屋に、戻ることはできないのでしょうか」
「それは認められない。夜間はまた枷を付けることになる。せめて昼間ぐらいは楽にしていたほうが君にとってもいいと思うが」

 どうやら手首の枷は、暁が一緒にいるときだけ外すことを許されているようだ。
 確かに拘束具がないだけで体への負担は段違いだが、精神的負担は変わらない。
 
 深月が置かれた立場を考えると、軍からすれば当然の処置なのだろうが……

(なにより気まずい。気まずいのよ……!)

 本人には言えないけれど、心の中では盛大に吐露する。

「しばらくはこの状態が続くだろう。君も早く慣れてくれると助かる。試しに、あちらの棚にある書物に目を通してみるのはどうだ」

 壁一面に並んだ背の高い本棚には、ぎっしりと書物が置かれている。
 有名な文豪の大衆文学作品、諸外国から取り寄せたであろう翻訳小説と幅広く集められていた。

 そういえば入室してすぐに「字は読めるか?」と聞かれた。その際に識字の確認をしたのだろう。
 明らかに言葉が足りなかった気がするが、本が読めるのなら少しは時間を潰すことができる。

「では、いくつか拝借します」
「ああ」

 断りを入れて、深月はそそくさと本棚に向かった。後ろから暁が見守っているような気配を感じる。

(懐かしい……)

 深月は本棚を眺めながら、ふと思い出に浸る。
 養父と共に借家で暮らしていたとき、養父は帰ってくるたびに新しい読み物を届けてくれた。

 養父は博識だった。
 外来語の知識も豊かであり、十五までは深月も教わっていた。

 しかし女中奉公となってからは、娯楽目的で文字に触れる機会はなかった。
 あったとすれば、麗子が女学校時代に持ち帰ってきた外来語の課題を代わりにやったぐらいである。

(どうして私が外来語を理解できるのかと、変に敵視されてしまったのもその頃だったな)

 苦い記憶も蘇ってきてなんとも言えない心地になる。
 深月は気を取り直して棚に目をやると、一番隅の棚に覚えのある小冊子が挟まっているのを発見した。

「この冊子、懐かしい……!」

 思わず歓喜の声が漏れる。
 それは五年前、深月が一番続きが読みたいと望んでいた物語だった。
 
「……君は、表情に乏しい人間だと思っていたが」
「え……」
「思い違いをしていた」

 暁にじっと見下ろされ、深月はここに来て初めて自分が明るい表情を浮かべていたことに気づいた。

「あの、失礼しました……」
「なぜ謝るんだ?」
「いえ、その……不快にさせてしまったかと」

 庵楽堂でも麗子の目を気にして笑うことは控えていたため、反射的に謝ってしまう。
 しかし、暁は心底不思議そうに深月を見返す。

 そして小冊子を持つ深月の手をゆっくりと一瞥し、

「私は君の行動を制限しているが、感情の制限までするつもりはない」

 それは深月が予想もしていない言葉だった。

「思うこと、感じることは、君の自由であり、誰であろうと脅かす事のできない権利だ」
「自由……」

 うまく言い表せないが、その言葉は深月の胸に強く響いた。
 なんだか無性に目頭が熱くなり、深月は不自然に床へと視線を落とす。

「……君の立場からすると、私が言ったところで説得力に欠けるだろうが」

 深月の様子に察した風に目を逸らした暁は、独り言のように呟いた。
 なんだか後ろめたい気持ちでもあるような雰囲気だったが、深月が暁に抱いていた印象はこの時から少しずつ変わり始める。