「私がどれほどお前に目をかけてやったかわかっているな? 肩代わりした借金もこれで帳消しにしてやる。いいか、この縁談を受けるんだ」

 深月(みづき)が奉公先の大旦那から言われたのは、いまだ冷気が夜闇を漂う春先のことだった。

 ここは多くの文明文化が入り乱れる天下の大帝都。
 深月が奉公先として身を置く「庵楽堂」は、揚げ饅頭が売りの老舗和菓子屋である。

 そんな庵楽堂の大旦那には、大切な愛娘の麗子(れいこ)がいる。
 深月と同い歳である彼女は、大旦那や女将、店の者たちから蝶よ花よと大切に育てられたせいか、超がつくほどのわがまま娘だ。
 しかし容姿は街でも評判の器量良しである。
 そのため連日といっていいほど麗子の姿を一目見ようと庵楽堂に訪れる男たちは多くいた。

 二十歳である深月は多少行き遅れの部類に入るものの、近年国は適齢期に寛容になりつつある。
 深月も婚姻など遠い先の話であると考えており、そもそも自分は誰かと一緒になれるのか疑問すら抱いていた。

 理由としては、亡き養父が背負っていた借金にある。
 養父とは深月が十五の頃に死別し、その時に大旦那から養父が金貸しと繋がりがあったと教えられた。
 その借金を肩代わりしたのが、他でもない大旦那だった。
 そして身寄りのない深月は、養父と住んでいた平屋を離れ、庵楽堂の奉公人として居候することになった。

 毎月の給金は大旦那に渡し、深月は肩代わりしてもらった借金を返すことだけに年月を費やした。
 こんな自分が婚姻などできるわけがない。
 そもそも麗子のように他者を惹き付けるだけの器量もない。
 灰色がかった黒髪は老婆のようで、顔付きも麗子には「無意識に他人を不快にする顔」と嫌味を言われている。
 そも、借金という問題が深月の人生の根底にある以上、誰かを愛し愛することなど難しいことであった。

(……麗子様の代わりなんて、そんなの無理でしょう!)

 大旦那の話が終わり、深月は私室として使わせてもらっている物置小屋の中で頭を抱えた。
 どんな理不尽な叱りを受けようと、寝る間も惜しんで働き詰めの日々になろうとも、大旦那には大きな恩がある。

 だが、今回の縁談は思うところがあった。
 おそらく……いや、あきらかに。

 この縁談は「身代わり」なのだ。