街での用事と買い出しを済ませた後、屋敷までの道すがら、俺は一人考え込んでいた。

「ん〜……う〜ん……ん〜〜?」
「さっきからうるせー」

 すこんと、荷台にいるエドリックから物が飛んできて後頭部に当たる。
 行きはハナさんもいたが、帰りは別々ということで俺は空いた御車台に座っていた。
 思ったよりも荷物が多く、俺がいた荷台の場所は食材や物資などで埋まっている。

「……なに悩んでるの?」

 隣にいるシモヌーは、視線をこちらに向けて尋ねてきた。

「シモヌーは、精霊って知ってる?」
「……精霊? まあ、人並みに……古くから普遍的に存在する自然界の象徴、だっけ……前に習った気がする」
「じゃあ、闇の精霊は」
「……。影じゃないの?」

 すると、荷台からエドリックが「ほらみろ!」と声高々に言った。

「こいつ、さっきからそればっかりなんだよ。闇の精霊なんて知らないっていってんだろ。覚え間違いをいつまでも引き摺んな、鬱陶しい」

 酷い言われようである。
 ということで、俺はさっきから悩みに悩んでいる。
 本編『マジカル・ハーツ』でクリスティーナお嬢様が闇堕ちする原因となる存在が、認知されていないからだ。

 しかし、本編の内容を知る俺からすれば、闇の精霊は確かに物語上に出てくるわけで。

「……そういえば」

 ハッとして顔をあげる。
 クリスティーナお嬢様の母親が死んだのは、お嬢様が呪いの子だからと周囲は言っているが、実際は闇の精霊が取り憑いた影響によるものだった。

 そして闇の精霊がクリスティーナお嬢様に取り憑いていたという事実は、主人公セーラの光の魔法によって浄化され死んでしまったあとに明かされる。

「んんんん〜?」

 待てよ、なんか思い違いをしていた気がする。
 闇の精霊というのは、精霊という種族が確認されている『マジカル・ハーツ』の世界でも、異質中の異質ということなのかもしれない。

 てっきり俺は、精霊はそう簡単に人間との交流を持たない異なる種族だから、周囲の人々はお嬢様のうちに潜む闇の精霊に気づかなかったのだと思っていた。

 本当のところは、この世界では闇の精霊は存在していないとされていて、だからこそ魔法治癒士や侯爵様も原因が掴めずクリスティーナお嬢様を遠ざけていた。

 そして闇の精霊は、物語の終盤で主人公セーラのもつ『光の加護』と、それにより放たれた光の魔法によって初めて表に出てきた邪悪な敵。

「まずい、断片的な記憶を繋げていた部分もあったからごっちゃになってたな。帰ったら極秘ノートの内容を確かめて精査する必要がある……」
「ニア……大丈夫そ?」

 ブツブツと独りごちったり、唸ったりしている俺を、シモヌーは少し心配そうに見た。
 なんだか微妙に哀れんだ目をされ、買い出し中に貰ったという甘みの強い木の実を口に放り込まれる。

「きっと疲れが溜まってるんだよ……ちゃんと糖分……摂ってね」
「うん、ありがとう」

 ひとまず『闇の精霊』に関しては、もう少し突き詰めて考える必要がありそうだ。
 早く調べ物ができるくらいには出歩けるようになりたい。


 ***


 夜。自室の机に向かって極秘ノートにペンを走らせていると、前触れもなく肩を叩かれた。

「ニーア、お待たせー」
「どわっ!?」

 なぜかシャルが俺の後ろにいた。
 いや、扉に鍵はかけてなかったけど、ノックは?

「うーん? なにを真剣に書いてるの?」
「日記! 俺の日々のダイアリーだっ! 恥ずかしいから覗くのやめて!」

 慌てて机に身を伏せて隠し、素早くノートを閉じる。

「ニアってそんなに照れ屋さんだっけ。まあいっか、約束通り迎えに来たよ。それじゃあぼくと手を繋いでね」
「なんで手?」
「クリアに気づかれないようにするためだよ」

 昼間、クリスティーナお嬢様もクリアには内緒でと言っていたが、一体なにがあるんだろう。
 差し出された手をなんとなく凝視してしまったが、俺は素直に手を取ってシャルの後ろに続いた。


「ニア、こんな夜にごめんなさい。来てくれてありがとう」

 シャルに手を引かれ、お嬢様の部屋に入る。
 俺を出迎えてくれたクリスティーナお嬢様は、近くの長椅子に座るよう促した。

 ぼんやりとした暗さの中、淡いオレンジのランプの灯りが目の前のテーブルで揺れている。

 前は軽く中を覗いた程度なので、こうしてお嬢様の部屋に入るのは初めてだ。寝室はこの隣にあるらしい。
 
「ニアを、呼んだのはね……あなたに、頼みたいことがあったからなの」
「俺に、ですか」

 変に緊張してしまうのは、クリスティーナお嬢様の緊張がひしひしと伝わってくるからだ。
 どんな頼みごとを言われるのか、予想がつかない。
 いやだって、クリアじゃなくてなぜに俺?

「…………ええと、その。あのね、ニアはわたくしを見て、どう思う?」
「どう……?」

 質問の意図がわからず、とりあえずお嬢様を見返す。
 自分の髪色や瞳のことを言っているのだろうか。それを見て、どう、ということ?

「クリスティーナ、ニアにははっきり言わないと伝わらないと思うよ」

 会話を静かに見守っていたシャルの言葉に、クリスティーナお嬢様はさらに体を強ばらせた。
 落ち着かせるようにひと呼吸おき、覚悟を決めた顔をしたお嬢様は、羞恥心を滲ませながら声を大きくして言った。

「わたくし、普通の体になりたいのっ」
「え……か、からだっ?」

 間抜けな声が出てしまう。
 そんな俺を前にしてお嬢様は少し目線を下げ、一点を見つめて顔を真っ赤にしていた。

「ニアだってわかっているでしょう。わたくしの体は目も当てられないくらいだらしなくて、みっともなく太っているのを」
「みっともないなんて」

 お嬢様の心のうちを少しでも知っているならば、みっともないなんて配慮のかけらもない言葉を言う気にはなれない。
 そりゃ標準体型ではないが、目も当てられないは言い過ぎじゃないか。

「気を遣わないで、ニア。わたくしのことを周りがなんと言っているのかくらい、知っているから。わたくしがちゃんとしていれば、ニアが本邸の使用人と問題を起こすこともなかったはずだわ」
「あれは俺の責任で、お嬢様が気に病む必要はありません」

 そこだけは強く言い切った。
 しかし、お嬢様はそうは思っていない様子だ。

「ニア……でもね、わたくし……変わりたいの」

 沈んだ声のお嬢様は、膝の上に乗せた両手をきゅっと握っている。
 その憂いだ表情に、自分にできることがあるなら力になってあげたいと考えてしまう。

「このままではダメだと思うから。こんなわたくしのそばにいてくれる三人のためにも、少しは自分に自信を持てるようになりたい。だから……お願いニア、力を貸して」

 力強い瞳に圧倒された。
 なによりも驚いたのは、『マジカル・ハーツ』の本編で主人公セーラ以外と交流は持たず、いつも自信のなさを隠しきれていなかったお嬢様が自分から変わりたいと言ったことである。

 これは、喜ぶべき変化なのでは?

「もちろんです、お嬢様。俺にできることなら、なんでも」

 どういった変化が起こっているのかわからないが、闇堕ち回避には、クリスティーナお嬢様の自信が必要になってくるかもしれない。

「……はあ、恥ずかしかった。こんなこと、改めて頼むなんて気が引けたもの」

 俺の同意を得たことにより、お嬢様は安心したように笑みを浮かべた。
 しかし、痩せたいという意思表示をするのは、そんなに恥ずかしいことなのだろうか。

「けど、どうしてクリアには内緒なんですか? というか、お嬢様の食事管理はもちろん先輩の仕事ですし、内緒にするのは難しいんじゃ……」
「ふふ、さすがにそこは内緒にしないさ。ただ、うまくクリアを誘導するのがニアの仕事だよー」
「誘導するなら直接言ったほうが早い気がするけど」

 そう呟いたところで、シャルは深いため息を吐いた。
 クリスティーナお嬢様はというと、なにも言わずに目を逸らしている。

「わかってない、わかってないよニア。乙女心をわかってないねー」
「これでも平均的には理解してるつもりなんだけどな」

 なんならエドリックとかよりは絶対に!
 だって俺、人生二度目だし!

「ふう、なら察することも覚えないとね。ニアには言えるけどクリアはだめってこと」
「シャ、シャル! もうそれぐらいで……」

 不可解な発言に頭をひねっていると、クリスティーナお嬢様は慌てた素振りで止めに入ってくる。

「あ、そうだね。ごめんごめん、クリスティーナ。とりあえずニア、親しき中にも色々ありだよ」
「なんだそれ」
「これ以上はおしえなーい」

 新参者の俺には直接言えて、一番の従者であるクリアには間接的じゃないといけない。
 その理由は、いまいちわからなかった。