『マジカル・ハーツ』のヒーロー……たしか名前をジルといったはず。
ヒーローらしい事情を抱える彼は、アカデミーでヒロインのセーラとハーツ関係になる間柄である。
ハーツ関係とは、グレートクインズアカデミーの習わしのひとつであり、要はアカデミーの生徒同士が模擬的に主従関係を結ぶのだ。
ヒーローがいるからハーツバレットクラスが存在している、というのはさすがに語弊があるものの、この国においても重要なクラスであることには変わりない。
「ハーツバレットクラスは、どうすれば入れるんですか?」
入るかどうかはさておき、目の前にハーツバレットクラスの人間がいるのなら聞いておきたい。
「そうだなぁ。僕は君の実力を知らないから断言はできないが……例えば、今の仕え先で君の奨励者を名乗り出てくれる方がいらっしゃるのなら、入学は可能なはずだ。実際に僕も支援を頂いている身だから」
ハーツバレットクラスの生徒は、例外を除いて平民がほとんどである。
何せ貴族は魔法適性があるため、必然的に魔法士養成クラスに入ることになるからだ。
入学すれば将来が確約されたも同然のハーツバレットクラスには、毎年志願者が後を絶たない。
それでも全員に入学許可を与えることは不可能である。
そんなときに用いられるのが、奨励制度というものらしい。
ハーツバレットクラスを目指す平民は、貴族や富豪の屋敷に勤めていることが多い。
そこで才能を買われ、主人や執事長クラスの人間に見込みがあると判断されると、奨励者となって学費や特別身分証の発行をおこなってくれるのだという。
ハーツバレットクラスを卒業できた者は、通常の使用人よりランクが高く、見栄を張りたい貴族や富豪は多少の支出になろうとも可能性がある者の奨励者になることを厭わないのだそうだ。
「奨励者がいない人でも、試験で優秀な成績を残せば入学はできるけれど、そういった人間はひと握りだ。堅実な方法を取るならば、やはり仕え先の主人や貴族の方々の目に留まるのが一番かな」
「なるほど……つまり、目に留まっていただければ、可能性はあるってことですね」
「そういうこと。だけど、そう簡単に奨励者になってくれるとは思わはないほうがいい。奨励者になると、その支援する人間に自分たちの姓を一時的に付与することになる。庶民に姓を授けてもいいと、奨励者に思わせなければならないんだ」
「――おーい、パウリ。出来上がったぞ」
そこで、屋台のおっちゃんが作りたての焼き鳥を手にやって来る。
青年はそれを受け取り硬貨を渡すと、俺に向かって笑顔を浮かべた。
「そろそろ僕は学院島に戻るとするよ。君が本当にハーツバレットクラスを目指すならば、今を精一杯頑張ること。応援しているよ」
そうしてパウリ青年は、爽やかな笑みと共に去って行った。
……尋ねといてなんだが、俺はハーツバレットクラスに入りたいとは思っていない。
そもそも、エムロイディーテ侯爵邸で問題を起こした俺は、まともな業務をおこなえていないのだ。
まずは処罰を終わらせて通常業務に戻ることからである。
***
その後、俺たちはようやく目的の場所であった肉屋に到着した。
シモヌーが店内で交渉中の間、俺とエドリックは店の外で待機することに。
「おい、お前」
行き交う人の波を眺めていれば、隣に立つエドリックに声をかけられた。
「うん?」
「なんでさっき、あんなこと訊いてたんだよ」
「あんなことって、ハーツバレットクラスのこと?」
「それ以外になにがあるんだ」
ムスッとした顔のまま、エドリックは鼻を鳴らす。
なんでって言われれば、興味本位でしかないのだが。こうしてエドリックから話を振ってくるのは珍しいので、少し繋げてみよう。
「使用人なら、ハーツバレットクラスへの入学は名誉なことなんだろ? ちょうど通っている生徒と出くわしたんだから話を聞いてみたかったんだよ」
「でもお前は……元貴族なんじゃないのか」
「そうだけど」
「だったら、魔法士養成クラスに入りたいとは思わないのかよ」
いつになく饒舌なエドリックに、俺は驚いてしまった。
饒舌加減に驚いたというよりは、エドリックから魔法士養成クラスのことを言われるとは思っていなかったのである。
「魔法士養成クラス……それもいいなぁ」
「はあ?」
「いや、魔法が使えるかどうかはわからないけどさ。魔法士養成クラスなら、お嬢様のそばにいれるなと思って」
すると、今度はエドリックが目を大きく見開いた。
「お嬢様って、まさか本気で入れると思っているのか? ……呪いの子って言われているんだぞ」
「……」
俺の視線が気にしてか、エドリックは目を逸らしてボソッと言った。
今のは故意に蔑んだというより、ありのままの事実を述べたに過ぎないのだろう。
呪いの子というワードはあまり耳に入れたくないが、エドリックの言い分はわかる。
「クリスティーナお嬢様は、ちゃんと入学できるよ」
「なんで言いきれるんだよ」
まあ、それは……そうなると俺が知っているからだ。
「なんでもだ、なんでも。それにしても珍しいな。エドリックから俺と話そうとするなんて。普段からそうだったらイモの皮むきもやりやすいんだけどなぁ」
「……! うるせーな!」
我に返った様子でエドリックは怒りだした。
素直な感想を言ったまでなのに、そんなにカッカしなくても。
俺は横でガミガミ言っているエドリックから視線を外して、再び通りを見る。
ふと、建物と建物の間にできた小道に、小さな露天が開かれているのが目に入った。
どうやら、古い本や小物を売っているらしい。
綺麗に整備された歩道の奥にぽつんとある露天に目がいってしまう。
妙に惹かれて近寄ってみると、露天商は快く俺を歓迎した。
「こんにちは、坊や。ここには身なりの良い坊やが気に入るような物は置いていないかもしれないが、暇なら見てやってくれ」
煤汚れた露天商は、そう言って途中だったらしい自分の靴を磨き出してしまう。
姿はヒョロもやしでも、さすがエムロイディーテ家の使用人服。服だけは立派に見えるらしい。
「おい! よくも俺を一人で喋らせたな!」
「すごい言い掛かりだ」
「なんだって?」
「いや、ごめんて」
俺に文句を言っているつもりが、一人で話しているだけだと気づいたエドリックは、顔を真っ赤にしながらやって来る。
通りすがりの人間に奇妙な目を向けられてしまったようだ。
「いろいろ売ってるなと思ってさ。シモヌー待ってる間に見物しようかと」
「はあ? よく触れるな……」
俺が手袋を外して商品に触れると、エドリックは引いた様子で言った。
確かに清潔とは言い難い場所と品物だが、これぐらいなんとでもない。
でも一応、支給品の手袋は汚せないので胸ポケットにしまい込んだ。
「これ、精霊の……本?」
品物のひとつに、古びた本を見つけた。
柔らかな絵柄が一枚一枚に描かれているところを見ると、子供向けの絵本に近いものだろう。
……精霊。もしかすると闇の精霊も載っているのではと、俺はページを次々捲った。
火、水、風、地、光。
最後のページに目を向けた俺は、思い切り眉を顰める。
「――影?」
見間違えかと思ったが、最後のページには、間違いなく『影の精霊』と書いてあった。
闇ではなく、影。
どういうことかと、俺は露天商に目を向ける。
「おじさん。これ、この本。精霊の種類が載っているものなんですよね?」
「ああ、そうだよ」
自分が履く靴から目を外した露天商は、緩やかな動きでこちらを見ると、その瞳を細めた。
「本当に? 本当にこれで全部載っているんですか?」
「おい。さっきから何言ってるんだよ」
背後に立つエドリックが訝しげな反応をする。俺は振り返って、エドリックに聞き返した。
「……精霊。闇の精霊は? この本、闇の精霊がどこにも載ってないみたいなんだ」
すると、エドリックはさらに怪訝な顔をして、
「――闇の精霊? 寝ぼけてんのか。影の精霊の間違いだろ」
当たり前のように、言い切った。