ジョセさんは口を大きく開けニカッと笑うと、厨房の中に入って来た。
「おう、ニア坊」
「お疲れ様ですジョセさん」
エドリックと問題を起こしてからというもの、ジョセさんの中で俺はやんちゃ坊主認定をされている。
呼び方もなぜか『ニア坊』だ。
ジョセさんは、俺とシモヌーが座るテーブルまでやってくると、わしゃわしゃと頭に触れてきた。
うおお、目の前がぐわんぐわんする。この人は頭を撫でるのが癖なのかな。
「……」
シモヌーなんて慣れてしまったのか、抵抗する意思がまるで皆無である。
つづいてジョセさんは、リゾット入りの皿に視線を移した。
「おお、飯食ってたのか」
「はい。シモヌーの手作りです。美味しいです」
「そうかそうか。たんと食べて大きくなれよ……って、シーモヌーお前、シモヌーって呼ばれてるのか!」
ジョセさんがちょっと嬉しそうにしている。息子の賄いを褒められたからだろう。
呼び名を聞けば面白そうに笑っていたが、それには触れずにシモヌーが本題に入った。
「……それで、父さん。何か用?」
「ああ、そうだそうだ。ここで呑気に話しちゃいられん。至急食材の買い足しが必要になってだなぁ。悪いんだがこのメモをいつもの肉屋まで届けに行ってくれねぇか」
受け取ったメモを見るシーモヌーの傍らで、俺にもその内容がちらっと見えた。
牛肉……それも、おそらく希少な部位のところが多く必要らしい。
「誰か、お客様が来られるんですか?」
「んん? ニア坊、どうしてそう思った?」
「えーと、ここに書かれてる肉が結構お高そうなものなので」
「ニア……文字が読めるんだ……?」
シモヌーとジョセさんがわずかに目を見開く。
洗い場で皿を片付け終えたエドリックも、戻ってくると意外そうな表情をしていた。
「え、まあ。うん。……あれ、そんなに驚くことだっけ?」
すっとぼけた俺に、ジョセさんは首を縦に振った。
「そりゃあなぁ……昔に比べれば平民の学び舎は増えたほうだが、まだ文字を習う余裕のない子どもは多くいるはずだ。一体いつ覚えたんだ?」
「今よりもずっと幼いときだと思います。それに俺、元々は貴族の出なので」
具体的には言えないが、文字が読めるのは貴族の頃に受けたと思われる語学勉強のおかげだと思う。
ただ、俺も記憶が曖昧なのは変わらないので詳しくは話せないんだけど。
「……は!?」
そこで、エドリックが奇声に似た声をあげた。
「え?」
「……お、まえ……貴族だったのか?」
わなわなと震えながら、エドリックが訊いてくる。
「あれ、エドリックには前に言ってなかった?」
「実の両親が死んで義父母に引き取られたとしか言ってなかっただろうがっ!」
「……。ああ!」
「ああじゃねぇわ!」
声を荒らげるエドリックに、俺は思わず身を引いた。
なんか最近、口悪いよなエドリックって。
職務中や他の使用人たちと接するときは相変わらずすましているが、俺やシモヌーの前だとこれだよ。
ああ、ジョセさんの前でもか。どうやらこの親子には猫かぶりをしていなかったらしい。
「ニア……貴族だったんだ……それで、どうして奴隷に……?」
「お、おいシーモヌー、我が息子ながらなんてスパッと聞きやがるんだ」
ジョセさんは大人ゆえに気を遣っているようだったが、逆にこのシモヌーの清々しさったらない。
「両親が亡くなったあと、その義父母に引き取られたはいいんだけど。俺が何もできない約立たずなもんで奴隷として売られたんだよ」
この説明も慣れてしまった。記憶がない分さらっと話してしまえることが良いか悪いかわからないが。
「……そう。じゃあニアも、魔法の適性があるんだ?」
いちばん冷静なシモヌーに問われて、そういえばと思い出した。
「シャルに魔力脈があるから魔法は使えるって言われてたんだ……色々あって忘れてた」
「ニア……きみって面白いね」
見た目無気力オーラ放ちまくりのシモヌーが、顔を緩めていた。
たしかに大切なことではあったが、それ以外にクリスティーナお嬢様のこととか、頭突き事件とか、その他もろもろが忙しすぎて後回しになっていたのだ。
あとでクリアやシャルに聞いてみよう。すでにクリアがロッドを使って魔法を発現させているところは見ているわけだし。
俺も魔法の練習をさせてもらえるかもしれない。
「……だけど、ニア……あまりそのことを言いふらさないほうがいいと思うよ。世の中には……いい人ばかりじゃないし」
「だなぁ。その生い立ちも、限られた人間が把握しているくらいがいいだろ。執事長は知ってんのか?」
「いやぁ……」
そもそも俺から元貴族だったと聞かされたのは、シャルぐらいじゃなかっただろうか。
シャルがクリアに言ったのだとしたら、それ経由でクリスティーナお嬢様の耳にも入る気がするが。
それについてお嬢様もクリアも触れてこない。
これは……確認したほうがよさそうだ。
「すみません……誰が知っているのか把握しきれていなかったので、まずは先輩に相談しようと思います。バートル様へ報告すべきかどうか、そこで考えようかと」
そもそも俺の出自がどれだけ重要なのかいまいち掴めない。
三人の反応を見るに貴族が奴隷に成り下がったという例は少ないのだろうか。
もう一つは、俺が魔法を扱えるかもしれないという点が大きいのだろう。
この世界では、王族や貴族は当たり前に魔法適性があり、加えて希少種の平民が魔法を扱える。
たしかに他の使用人からしてみれば、奴隷あがりの従者が、元貴族で魔法適正ありというのは驚くことなのかもしれない。
「まあ、その辺はクリアに聞いてみるんだな。俺たちも複雑な素性を口軽く言ったりはしねぇさ。なぁ、お前たち」
「……そうだね」
「……」
ジョセさんの呼びかけに、シモヌーはうなずき、エドリックはフンと鼻を鳴らす。
エドリックはよくわからないが……シモヌー、君はさっきエドリックのことをペラっと俺に喋ったからなぁ。
まあ、こう言っているのだから素直に信じよう。
俺の話しは一旦ここで終わった。
かなり話が脱線していたが、そもそもジョセさんが現れたのは、肉の追加配達の注文をシモヌーに頼みたかったからだ。
「ニア坊が言ったとおり……明日の夜にお客人が来る。ハイドワイルド公爵とそのご子息、そのほかに三人ほど屋敷にいらっしゃるそうだ」
「ハイドワイルド公爵……ああ、だから牛なんだ。たしか……好物だったよね」
ハイドワイルド公爵。
聞き覚えのある響きだが、俺の止まった思考をよそに会話は早々と進められる。
「馬車の使用許可は取ってあるからな。シーモヌー、さっそく行ってきてくれねぇか?」
「……午後に街へ行く用事があったから、それはいいけど。……二人はどうするの?」
シモヌーは心配そうに目を細めて俺とエドリックを交互に見た。
また俺たちが喧嘩をはじめるかもしれないと危惧しているようだ。もうそんなことにはならないのに。
「あぁ、だからな、この二人もついでに連れて行くんだよ。荷物持ちはできるだろうからって、執事長がなぁ」
「え……」
「皮むきは他の見習いにやらせる。じゃあ、頼んだぞ」
「ええー……」
最後までシモヌーは、隠すことなく嫌そうにしていた。
そんなに俺たち二人が面倒事を起こすと思っているのだろうか。