《──どうしてなんだ。どうしてこんなに酷いことができるんだ。オレたちが、みんなが、何をしたっていうんだよ。人を人とも思っていない、あんなヤツらは人間なんかじゃない》
《──奴隷なんてものは……人間じゃない。同じ人間だと思っていたらダメなんだ。アイツらは、人の皮をかぶったバケモノだ!!》

 脳の奥が、ぞわぞわと震えた。
 思いっきり頭をぶつけてやったのだ。エドリックはもちろん、俺にも同じような衝撃が返ってくる。
 耳鳴りがどこまでもまとわりついて、音を立てた。

「〜〜!」

 背中から地面に倒れ込んだエドリックは、自分の額を手で押さえながら転げ回っていた。

「……っ、なんだ、今の?」
「〜〜っ!!」
「なぁ、今なんて――」

 船酔いに似た目眩に耐えながら、俺はエドリックに声をかける。
 しかし、相手はまだ口を開けるような状態ではなく、声にならない声が返ってきた。

 おかしいな。エドリックの声が聞こえた気がしたのに。当の本人は言葉すらうまく話せていない。
 さすがに強くやりすぎた。耳鳴りに加えて幻聴にまでなるとは。

 ……嗚呼、それにしても、やってしまった。

「この、盗っ人め! エドリックさんになんてことを!」
「なんでお前は平気そうにしてるんだよ!」
「まさか、頭に武器でも仕込んでいたのか!?」
「なんて卑怯な!」
「それをあんたらにだけは言われたくないっての! それに俺の頭は、ただちょっと普通より硬いだけだ!」
 
 エドリックが倒れたことに従僕たちは大騒ぎだ。
 そして声を聞きつけてきた他の使用人たちが集まってくる事態となり、さらに混乱が続いた。

 こんなことするつもりがなかった、なんて言い訳にしか聞こえない。
 俺は痛む打撃箇所を気休めに擦りながら、エドリックの前にしゃがみ込んだ。

「……えーと、勢いに任せすぎた。ごめん」
「〜〜!」
「やったこと自体は悪いとは思ってないけど。さっきのはさすがにお嬢様を侮辱し過ぎだった。俺が気に入らないのはわかったけど、それをお嬢様に向けるのはやめて欲しい」
「〜〜!!」
「うわっ、暴れだした」
「あたりまえだぁ!!」
「なに余計なことを言ってるんだこの元奴隷!!」

 じたばたと足を動かすエドリックと、逆上する取り巻きの従僕たち。そして収拾がつかない状態に顔を引き攣らせた他の使用人たち。

「一体これは……何の騒ぎだというんだ?」

 場が騒然とする中で、体の芯が凍てつくような低い声が響き渡った。

「……だ、旦那様……」

 使用人の誰が言ったのかはわからない。
 しかしその一言によって、騒ぎの中心に現れた人物の正体が明確になった。

「……っ」

 真紅の眼と、銀色の髪の男。
 騎士団の正装服と思われる衣服と、その左肩に掛けられているのは、装飾が成された黒色のペリース。

「騒ぎの元は……どうやら君のようだが」

 いつの間にか男は目の前に立っていた。
 ずん、と体が重くなった気がする。
 男は若く端正な顔立ちでありながらも、現れただけで周囲の動きを一瞬に封じてしまう風格があった。

 後ろには数人の騎士を引き連れ、隣には蜂蜜色の髪と赤い瞳をした少年がいる。
 少年といっても、俺より何歳か上だろう。身長や体格から見ると、十三、十四くらいだ。

「旦那様……」
「侯爵様」
「ライオット様まで……」

 使用人たちから聞こえるいくつものひそひそ声。
 ……こんなの絶対に、当主と息子じゃん。

 目の前にいる男が、エムロイディーテ侯爵家当主 エイデン・ラナダ・エムロイディーテ。
 そして隣に控える少年が、ご嫡男のライオット・エムロイディーテ。
 二人はクリスティーナお嬢様の実の父と兄だ。

 しかも息子のライオットに至っては『マジカル・ハーツ』の本編で、主人公と絡みがあった登場人物のひとりである。

「……」
 
 情報整理のためにと俺が密かに書き留めている『極秘ノート(お嬢様から頂いた勉強用ノート二冊のうちのひとつ)』にも二人の名前はしっかり記していた。
『マジカル・ハーツ』本編に出てきていたライオット・エムロイディーテは、主人公視点では気のいい学園の先輩だった。
 小説の記憶があったおかげで、ライオットについては情報がある方だが。
 一方で、エイデン・ラナダ・エムロイディーテ侯爵の情報はかなり薄い。

 たしか本編でも顔が出なかった人のはず。
 そう、立ち絵もなければ人物紹介の欄にも名前のみしか存在しなかったため、こうして拝見するのは初なのである。

「……彼が倒れているのは、君の仕業なのか?」

 痛みに悶えるエドリックを一瞥したあと、侯爵様が俺に問いかけた。

「……はい」
「なにをした?」
「ず……頭突きをしました」
「頭突きだと?」

 目を見開かれたのがわかったが、侯爵様の顔を直視できず、視線は徐々に下降していった。

「頭突きをして、倒れていると?」
「はい……私の、頭突きのせいです」

 ぶるぶると震える声を出して答えれば、すぐ近くで「ブフッ!!」と勢いよく吹き出す音が聞こえた。

 何事かと咄嗟に顔をあげる。
 だが、視界に入るのは冷静な面持ちの侯爵様と、同じく表情を変えた様子のないライオットだけだった。

「侯爵様」

 声と共に遠くの景色から、バートル様の姿を確認する。
 その後ろには血相を変えた様子で執事のズィーベン様がついていた。
 どちらも早足でこちらに向かって来ている。
 ……最後尾には、クリアの姿が。

 奇しくもクリスティーナお嬢様の父と兄に出くわし、大事になってしまった現場で、俺は天を仰ぎそうになった。