ローズィアンが教えてくれた緑の抜け穴を通り、花園の外へと脱出する。
 抜け穴がある場所は死角になっているようで、辺りに人気は全くなかった。

「……これ、どうしたら」

 手に収まったリボンを見下ろして、ため息をつく。
 こういう時は誰かに届け出るべきだろうが、周囲にそれらしい人は見当たらない。

 俺はリボンを丁寧に折りたたみ、皺にならないように胸元のポケットへ慎重に入れた。
 落とし主は、この侯爵家の長女である。
 ここは安全な人間というか、先輩であるクリアに渡して、対処をお願いしよう。

「……えーと、ここは……花園の後ろ側だから……よし、こっちに進めばいいんだ」

 地図を持ち直し、散策を再開する。
 散策しながらも思い出すのは、ローズィアンのことである。

 ちょっとばかし高飛車な印象はあったものの、性悪というには些か似合わない少女。
 妹であるクリスティーナお嬢様のことを気にしていたり、興味を持っていたりと、想像していた人物とは程遠かった。

 まさかローズィアンも、これから心情の変化が表れていくということなのだろうか。
 クリスティーナお嬢様に取り憑いた闇の精霊の影響を受けて?

 そもそも、その辺のことについても調べがついていない。
 早いところ情報が手に入りやすい街の図書館や貸本屋などに行ってみたいところだが。
 従者になったばかりの俺に、自由に街を動ける時間とかあるのかなぁ……。

「あっ、おまえは!」

 ようやく本邸付近に戻ってくると、早朝に挨拶したと思われる従僕の少年たちが俺に向かって声をあげた。

「おい、元奴隷のおまえ! どうせ暇なんだろ。だったら仕事をくれてやるよ」

 ……え、どうしてそうなった?
 数人の従僕たちは俺を取り囲むと、ニヤニヤと笑っていた。

「へへっ。やっぱりこいつ、女みてぇな顔してる。本当に男かよ」
「体も細っこいしよう。鍛えるにはピッタリの仕事をおまえにやらせてやるよ」

 この従僕たちは……エドリックに取り巻いていた従僕たちじゃないか。
 エドリック本人の姿は見えないが、この従僕たちの顔には見覚えがある。

「……すみませんが、敷地内を色々と確認している最中なので、できかねます」
「へっ、できかねますだってよ」
「そんなの遊んでるのと変わらないだろ! だったら俺たちが仕事を教えてやるって言ってんだよ」
「いやー……」

 変なのに絡まれてしまった。
 なんとか躱してこの場を去りたいけど、周りを囲まれてしまっては動けない。
 多勢に無勢なんて卑怯すぎる。

「おい、早くこっち来いよ!」

 肩を強引に掴まれ、背中を押された。
 俺が女顔で、しかもひょろっとしているから舐めてかかっているのだろう。
 実際、腕力でこの数人を相手にした場合、タコ殴りにされるのは目に見えている。

 そんな野蛮なこと、侯爵家の従僕がやるわけないだろうけどさ。
 とはいえこの従僕たちは面構えがひどい。
 あ、容姿ではなく、単に性格の悪さが浮き彫りになっているという意味で。

「ここだ、ここ。どうせ暇なら、ここの草をむしってろよ。呪われたお嬢様なんかよりも、こっちのほうが使用人として侯爵家に貢献できるっての」
「……」

 連れられたのは、使用人宿舎と思われる建物の裏手だった。
 使用人宿舎の裏手は、騎士団の訓練用にある森に面して建てられているため、陰鬱とした空気が漂っている。
 日差しも当たらない場所で、なおかつ森が近いからか、意外にも草が生え放題だった。

「この草むしりは……君たちが言いつけられた仕事じゃないんですか?」 
「だーかーらー、その仕事をお前に譲ってやるって言ってんだよ」
「そうそう。俺たちはまだ、他にもやることがあるんだから。それぐらい役に立てよ」
「うわっ」

 従僕の一人から木の桶を投げられ、反射的に手が出た。

「じゃあ、よろしく」
「しっかりやれよ」
「あ、誰かに報告しても無駄だぜ。入ったばかりの元奴隷の新入りと、俺たちの言葉……どっちが信用されるかなんて決まってんだからな」 
「そうそう。俺たちはただ、早く役に立ちたいって言って聞かないそいつのために、仕事を変わっただけなんです〜ってな」

 従僕たちは宿舎裏を去っていく。
 強引に取り残された俺は、あまりの出来事に呆然と立ち尽くしていた。

「――はあ?」

 ツッコミどころが、あり過ぎだ。


 ***


 ブチ、ブチ、ブチ。
 雑草を引っこ抜くことしばし、頭ではどうしてやろうかと考えに考える。

「なんでっ、俺がっ、こんなっ、ことをっ」

 ブチッ、ブチッ、ブチッ、ブチィッ――と、声に揃えて草が抜かれていく。
 桶の底が雑草に覆い尽くされた辺りで、俺は立ち上がった。

「……さすがに、ここ全体はきついって」

 雑草が生い茂る範囲は案外広く、一人でやるには骨が折れる。
 絶対に一日では終わらないだろう。

「え〜……これ、やらなくてもよくない?」

 だが、ここで放置して従僕たちが騒ぎ立てても面倒だ。そのまま因縁をふっかけられても困る。
 新入りの俺と、従僕の彼ら……屋敷の人間の信用度でいったら彼らなんだろうけど。

 さすがにおかしいって気づくだろう。
 入りたての、しかも別邸にいるクリスティーナお嬢様の従者である俺が、草むしりを申し出るって。

「だいたいっ、自分たちの仕事を押し付けるとかどうなってんだっ! なんであいつら従僕に採用されてるんだ! この! 採用担当どうなってるんだ!」

 むしゃくしゃして近くに生えていた長めの雑草を引っこ抜いていく。
 この中腰姿では、「よっこらせー」という掛け声がさぞ似合いそうだ。

「って、採用担当ってバートル様じゃ!?」

 エムロイディーテ侯爵家で使用人雇用の決定権を持っているのは、執事長であるバートル様では。
 従僕の雇用もバートル様が一人一人、顔を合わせて決めているのだろうか。

 その辺まではクリアから詳しく聞いていないが、別の担当がいそうじゃない?

 従僕の雇用についてはよく知らないが、これだけ使用人が多ければバートル様も見逃すことがあるのかもしれない。
 ぶっちゃけ、猫を被ってしまえばいくらでも内面の性格を見せずに取り繕うことはできるわけだし。

 どうしようどうしようと悩みながらも、雑草を抜く手は止まらない。

「……んんん、これ、抜けな……」

 抜けづらい雑草に当たってしまった。
 建物の壁際、一番土がじめじめとしている部分である。
 俺はさらに中腰になり、重心を後ろに引いた体勢を維持した。

「お、いけそう」

 こんもりと、雑草の根が張る部分の土が盛り上がり始めた。

「もうちょ……っと」

 思いっきり力を込め続ければ、ブチブチブチと音を立てて雑草が一気に持ち上がった。

「いてっ」
「……」

 勢い余って尻もちをつく。
 地面は土で、しかもこの辺りは湿気がある。
 制服が汚れたら大変だと急いで立ち上がるが、その瞬間、誰かと目が合った。

「え?」
「……」

 ……ランドゥン様?

 なぜ、早朝に挨拶をした家令のランドゥン様が目の前にいるんだろう。
 しかも、横向きで立つランドゥン様の服には、焦げ茶色の汚れが点々と付いている。
 
 土の跡? 一体どうしてランドゥン様に土なんて……

「!!」

 目の前にいるランドゥン様、俺の手に握られる抜いたばかりの長い雑草。

 そして雑草を引っこ抜いた部分である窪んだ地面。散乱する土。
 それを順に見ていき、意味を理解した瞬間、俺の呼吸がヒュッと止まった。