小説の中で、ローズィアンはクリスティーナお嬢様に『呪いの子』と吐き捨てていた。
 その酷い言いように、学園では『マジカル・ハーツ』の主人公がクリスティーナお嬢様を庇う描写もあったほど。

 だから俺は勝手に、クリスティーナお嬢様はかなり幼い頃から実の姉に蔑まれ続けていたんじゃないかと解釈していた。
 スピンオフでも、そのような解説があった気がするし。
 けれど実際は、こうしてクリスティーナお嬢様のことを純粋な眼差しで尋ねるローズィアンがいる。

「ねぇ、あの子の従者なら、少しはわかるでしょ? あの子はいつも別邸で、なにをして過ごしているの?」
「ちょ、あの」
「どんな姿をして、どんなドレスを着て、どんなことが好きなの? あ、それならまず、食べ物は? あたしが好きなのは、イチゴとリンゴと、イチゴタルトとアップルパイと……まだ他にもあるけど、それが一番好きなの。あの子は、あの子はなにが好き?」
「お、お待ちくださいお嬢様!」

 ぐいぐいと迫ってくるローズィアンを宥めるように手でやんわりと制する。
 ローズィアンは、絵に描いたようにきょとんとした顔をしていた。

「なあに?」
「なにって、一度にそんな話されては……それに、私も従者になって日が浅いので……」
「じゃあ、あなたもわからないってこと?」
「……申し訳ございません」

 実際、クリスティーナお嬢様の好物を俺は知らない。
 甘いものは嫌いではないと思うけど。

「そう……ざんねん」

 ローズィアンはしょんぼりと肩を落とした。
 ますます小説の中にいた、意地悪な姉の印象が崩れていく。
 これではただの、妹のことを知りたそうにしている微笑ましい姉じゃないか。

「お嬢様は……なぜ、クリスティーナお嬢様のことをお聞きになりたいのですか?」
「だって……屋敷のみんなは、あの子のことを教えてくれないんだもん。お父様も、お兄様も、誰も何も教えてくれないの。それに――」
「ローズ、ローズィアン、そちらにいるの?」
「……っ」

 突然聞こえてきた女性の呼び声。
 それによって、俺たちの会話は中断された。

「いけないっ」

 ローズィアンは騒々しく立ち上がると、ドレスのスカートをパタパタと叩いて整え始める。

「お嬢様?」
「しっ、静かにして! あなたがここにいること、おば様が知ったら大変なんだから!」

 おば様って誰のことだろう、と考えている間にも、ローズィアンを呼ぶ女性の声は大きくなっていく。

「ローズィアン! そろそろレッスンが始まりますよ。さあ、おいでなさい」
「……」

 顔色を悪くさせたローズィアンは、唇をぐっと噛み締めて、意を決したように姿勢を正した。

「あなた……ニア、と言ってたわね。あたしが先に出ていくから、ニアは少し待ってから出なさい。ここ、この穴を通れば庭園から出られるの」

 そう言ってローズィアンが指さしたのは、植木のすぐ後ろ側にある緑の垣根だった。
 よく見ると、子どもが一人通れるぐらいの穴が空いている。

「あたしの秘密の抜け穴なの。秘密の抜け穴なんだから、ニアも秘密にしていなきゃダメなんだからね。約束よ」
「あ、お嬢様!」
「お名前……あなたに言わせておいて、あたしは教えていなかったわ。あたしの名前はローズィアン。ばいばい、ニア」

 そしてローズィアンは、声のするほうへと走っていった。
 靡いた蜂蜜色の髪が光を纏い、少女の後ろ姿がきらきらと輝いて見える。

「おば様! お待たせしました」
「まあ、ローズィアン。そんなに走ってははしたないですよ。それに、外へ出るのなら侍女を連れて行きなさい」
「はい、おば様……」

 遠くのほうで話し声が聞こえる。
 近づいていた足音も、徐々に遠ざかっていった。

「ローズィアン・エムロイディーテ……」

『マジカル・ハーツ』に出て来た登場人物との対面は、これで三人目となった。

 感情の起伏がころころ変わる女の子。
 まるで小さな台風のような子だと感想を抱きながら、ふと芝生に目を落とす。

「ああ!」

 ローズィアンの髪にあったはずのリボンが、俺の足元に落ちていた。