その身なりは、使用人のそれとは比べ物にならない。
少女の強気な声を受けてすぐに、俺はその場に片膝をついた。
「ご無礼をお許しください、お嬢様」
蜂蜜色の髪と、赤系統の色の瞳。
その『色』は、エムロイディーテ侯爵邸にて、二人の子どもが受け継ぐ色でもあった。
そうとなれば、目前の少女が誰であるのかも導き出される。
ローズィアン・エムロイディーテ。
クリスティーナお嬢様とは年子の姉妹である少女は、小説の中ではお嬢様を蔑んでいた意地悪な姉……だったはず。
現在クリスティーナお嬢様の年齢は十歳。
となると、ローズィアン・エムロイディーテは一つ上の十一歳だろう。
小説の本編では、挿絵にちらっと見えたぐらいだが、目の前の少女はその面影がまるでない。
……まだ子どもだからなのだろうか?
挿絵から滲み出ていた毒気という毒気が、少女からは全くといっていいほど感じなかった。
「さいあくだわ! こんな姿を見られるだなんて! もうお嫁にいけないっ!」
「お、落ち着いてください、お嬢様……」
「なによ! そもそも、あなたがあたしのシェルターに入って来たからいけないのよ!」
ローズィアン・エムロイディーテと思われる少女が、発狂されている。
泣いているところを見つけられたくはなかったようだ。
どうやら俺は、見てはいけない現場を目撃してしまったらしい。
「そもそも誰なのあなた! まずお名前を言いなさい!」
俺は内心戸惑っていた。冷や汗が止まらない。
いや、こうなってしまっては俺に選択権はないんだ。
さっさと挨拶をしなければいけない。
「お初にお目にかかります。本日から……侯爵家にてお世話になります、ニアと申します」
「ニア? ふうん、変わったお名前をしてるのね」
ローズィアン・エムロイディーテと思われる少女……いや、おそらくローズィアンなんだろうけど。
まさかこんな形で対面するとは……。
「ここは許可なく入って来たらいけないのに。使用人なら覚えておかないとダメじゃないの。もー! あたしが泣いてたこと、誰かにバラしたらゆるさないんだから」
ローズィアンの髪に編み込まれた赤いリボンが、彼女の動作によって蝶の羽ばたきのように揺れる。
瞳の色とお揃いのリボン。敢えて合わせているのか、よく似合っていた。
「なぜ、泣いていたのですか?」
気になって質問すれば、少女はびくりと肩を震わせた。
「そ、それは……その……ぅ」
視線を左右に彷徨わせ、挙動がおかしくなる。
丸々と広がった瞳には、また雫が浮かび上がった。
「あ、あなたには関係ないことなの! そんなこと聞くなんて、図々しい使用人!」
「……も、申し訳ありません」
「うっ……その、べつにそこまで怒っていないから。だからそんなに謝らないでっ。あたしが悪いことしているみたいじゃないのっ」
「はあ……あ、そうだ。あの、よろしければこちらを」
すん、と鼻を鳴らし目元を袖で拭おうとしている彼女へ、懐に忍ばせていたハンカチを差し出した。
「……これ、あたしに?」
ハンカチと俺の顔を交互に見つめる瞳が、驚きに満ち溢れている。
「せっかくのお召し物を涙で濡らしてしまっては勿体ないです」
「もったいない……」
じーっと穴があきそうなほどに、ハンカチを凝視するローズィアン。
差し出がましい真似をしてしまったかとヒヤヒヤしていれば、小さな手がハンカチを取った。
「……使わせてもらうわ。そろそろ、戻らなければと思っていたところだったの」
「そうでしたか」
そういえば、ここをシェルターと彼女は言っていた。
シェルターって、つまり避難してきたってこと?
とはいえ、一体何から……
「ねぇねぇ、あなた」
「はい」
目尻に溜まった涙を拭きながら、ローズィアンは俺の顔をじっと見つめてくる。
「その服は従者か従僕のどちらかでしょ? 本邸では、どこを担当するの?」
「それは……」
さきほどの挨拶で、俺はクリスティーナお嬢様の従者とは言っていなかった。
小説では、お嬢様の自尊心を根こそぎ奪うような発言ばかりをしていたローズィアン。
そんな彼女に、クリスティーナお嬢様のことを話すのに抵抗があったからだ。
「担当は……」
現段階では、どうなのだろう。
クリスティーナお嬢様の姉である彼女は、クリスティーナお嬢様をどう思っているのだろうか。
「なんなの、はっきりしないのね。もしかして! あなた本当は、ふ、不審――」
「違います!」
ローズィアンは、よからぬ勘違いを起こしそうになっている。
俺は包み隠さずに言うことにした。
「私の担当は、本邸ではありません。別邸にお住いであるクリスティーナ様の従者として働かせていただく身なので」
「ク、リス、ティーナ……あっ!」
ぎこちなく呟いた途端、ローズィアンは慌てて口を両手で塞いだ。
そのままキョロキョロと周囲を確認し、落ち着かない様子で大きく息を吐いていた。
「あの、お嬢様?」
なんだろう、今の彼女の反応は。
クリスティーナお嬢様の名前に嫌悪を示すかもしれない。
その可能性が一番高いものだと思っていたのに。
「そう、だったの。あなたは、別邸にいる、あの子の従者なの」
「はい、そうです」
「それなら、あの子のそばにいることが多いってことでしょ?」
ローズィアンはこちらに身を乗り出すと、距離をぐっと縮めてきた。
鮮やかな瞳をわずかに揺らしながら、切望するように見据えられる。
何事かと構えていれば、ローズィアンは口を開く。
「その子、あたしの妹なの。一体どんな子なのか、あなたは知ってる?」