クリアの後ろをついて歩きながら、俺は別邸の屋敷内を物珍しそうに眺めた。
 建物の説明を受けていないので余計に目移りしてしまう。
 早く勤め場所である別邸の間取りを覚えたいところだが、まずは管理者ツートップへの挨拶が優先だ。

 俺たち以外の気配を感じない廊下を歩き、外へと出る。
 ここで、俺はクリアに質問を投げかけた。

「クリア……お嬢様は悪い人ではないって言ってたけど、ランドゥン様とバートル様ってどんな方々なんだ? ……ですか」
「……先ほども軽くは伝えたが、執事長のバートル様は職務態度に敏感だ。逆をいえば弁えた行動を常に心がけていれば恐ろしくはない。礼儀には厳しいが普段は温和な方だからな。ランドゥン様は……無口な方で、月に一度帳簿を渡す以外に私も関わりはほぼない」

 家令のランドゥン様が無口、執事長のバートル様が通常は温和。
 何となくだが頭の中でその二人のイメージが膨らんでいく。

「……あ。その帳簿って何の帳簿?……ですか」
「帳簿はお嬢様がお使いになった金銭の支出を書き記したもので……って、さっきからその中途半端な話し方はなんなんだ」

 クリアは一度足を止めると、俺に向き直った。

「いや、やっぱりクリアも先輩だし……言葉遣いを見直そうと思いまして」
「見直すにしても、さすがに改善の余地があり過ぎるだろう。後から付け足したような言い草も不自然すぎる。ふざけているのか」

 と、早口でクリアは言ってくる。ふざけてはいないが、この短期間を食客として過ごした影響なのか、クリアに向かって敬語を使うのが慣れない。

 そんな俺に、クリアはため息を漏らした。

「……はぁ、言ったはずだ。必要な時に場に合わせた口調に変えられるならば、他は私の知るところではない」
「うん? それってどういう。というか言ってたっけ――」

 コホン、と軽く咳をしてクリアは続ける。

「応接室ではああ言ったが、私やシャルを前にしてかしこまる必要はない。クリスティーナお嬢様のご対応は……お嬢様がいつものお前を望んでいるのならば、公の場以外でその意向に添えばいい」

 その代わり他者の前ではクリスティーナお嬢様の従者としての立場を心得るように。
 結局のところクリアが言いたいのはそこだった。

「そもそも……今さらお前に恭しく話されても気持ちが悪い。下手くそ」
「そういうとこクリア先輩って容赦ないですよね」

 クリアという人物は、俺のことを信用していないと言いつつも、律儀に色々と教えてくれる。

 職務に支障が出ないように、新人である俺の教育に抜かりはないのだろうけど。
 もしクリアの信頼を勝ち得たら、どれほど心強い味方になるだろうか。
 クリスティーナお嬢様の闇堕ち回避の計画についても、俺には思いつかないような助言をしてくれそうだ。
 とはいえ、まだ警戒されているのも事実だし……難しいな。

「無駄話をし過ぎたな。本邸はここを真っ直ぐ進んだところにある」

 クリアはもう一度、胸元にしまい込んだ懐中時計を確認すると再び足を動かした。
 
「ああ、うん。別邸でもあんなに広いんだから、本邸はさらに広いんだろうな。バルコニーからは屋根がちらっと見えたぐらいだし」

 クリアの背後を歩きながら、俺はバルコニーから見えた本邸の屋根を思い浮かべた。

「やはり気に入らない」

 歩みは止めずに、クリアは前を向いた状態でぼそりと呟く。
 それが聞こえた俺は、ぎょっとしてクリアの後頭部を凝視する。

「え?」
「……お前はお嬢様の事情をほんのわずか知ったに過ぎない。だと言うのにお前は、お嬢様が別邸で暮らしていること、本邸に赴けないことを、早くも納得している。まるで初めから知っていたような、そんな素振りが端々にあった」
「それは……お嬢様のその事情から、そうなんじゃないかと思っただけで。それ以上は俺から無闇に聞けるような空気でもないし……」

 クリスティーナお嬢様が「呪いの子」と呼ばれているということだけは、すでにお嬢様の口から聞いている。
 
「……本当に、それだけか?」

 クリアはやはりこちらを向かない。むしろそれが、圧あるものに感じた。

「シャルがお前を迎え入れても構わないと言ったからには、お前自体に害意はないんだろう。だが、お嬢様に関して何か隠していることがあるのは事実だ。私にはそう見える。だからお前を信用することはできない」
「……」

 クリアが俺を怪しんでいるのはよくわかった。
 ただ、それを本人に堂々と言ってしまう性格は、嫌いじゃないなと思ってしまう。

「信じてもらえるように、頑張るよ」

 上手い返しが見当たらず、俺はそれだけを呟いた。

「……ああ、そうか」

 それ以降、クリアがこの話題について触れることはなかった。

 未だにまだ戸惑っている。
 なぜ俺がこの世界に生きているのか。
 なぜ物語の内容を記憶に持った状態で、クリスティーナお嬢様と関わり合えたのか。

 いくら考えたところで、そう都合よくわかるはずがない。
 だからこそ、今は目の前のことに取り組んでいくしかないんだ。