二章投稿スタートします!
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 俺の名前はニア。
 どうやら俺には別の世界を生きた自分の記憶がある。
 そしてその別世界で読み漁っていた恋愛ファンタジー小説『マジカル・ハーツ』の世界と同じ世界を生きているということを、先日思い出した。

 別世界の自分の人生……それを前世といい改め、今世の俺は記憶についてあやふやな部分が多々ある。

 中でも奴隷になる前の記憶なんてほぼない。自分が貴族であったことと、家が没落し義父母に引き取られ、しかし魔法が使えない落ちこぼれだったために奴隷の身となった。

 先輩従者クリアによれば、俺は隣国『アドラ皇国』出身ではないかという話だ。なんでも語尾の訛り方がアドラの人間と似ているらしい。

 どういった経由で『アドラ皇国』から現在いる魔法先進国『ハンバルト王国』に渡ったのかは不明である。
 荷車に揺られ、途中からは有無を言わさず奴隷商人に歩かされた記憶はあるが、曖昧であった。


 頼りない俺の記憶だけれど、一つだけ確かなことは――
 色々ありながらも従者として仕えることになった侯爵家の令嬢 クリスティーナ・エムロイディーテの闇堕ちを救いたいということである。

 俺の知る『マジカル・ハーツ』に登場するクリスティーナお嬢様は、闇堕ち後に闇の精霊に自我を乗っ取られ、ヒロインこと主人公セーラの光の魔法によって浄化される。
 その浄化がクリスティーナお嬢様の死となるのだ。

 前世でも不憫に思っていたお嬢様……。
 今世では奴隷であった俺を救ってくれた。

 クリスティーナお嬢様を死なせたくない。
 その決意を胸に、今日から俺の従者としての日々がようやく始まることとなる。


 ***


「わあ、ニア。その格好も似合っているわ」

 贈られた首飾りを付け、暗灰色のお仕着せに袖を通した俺に、クリスティーナお嬢様が明るい声でそう言った。

 ここはエムロイディーテ侯爵家の敷地内にある別邸。
 お嬢様が普段よく使用する応接室の一つである、この『東の間』にて、俺は朝から制服のお披露目をしていた。
 ちなみにクリアの制服とは少し違う。俺の暗灰色に比べると、クリアが着ている制服は黒よりの灰色である。

「どこか違和感があるところはない? もしあるようなら、クリアが直してくれるわ」
「ありがとうございます。大丈夫そうです」
「わあ、懐かしい。それって確かクリアが八つの頃に着ていたものだね」

 クリアの使い魔であり、この屋敷では従者として通っているシャルが横からひょっこり現れてそんなことを言う。
 ……え、八つ? 八つだって?
 嘘だろ十歳の俺にそれがぴったりって、俺が小さいのかクリアの成長が著しいのかどっちなんだ。

 と、変なところが気になっていれば、控えていたクリアが俺に声をかけてくる。

「お嬢様へのご挨拶が終わったのなら、さっさと本邸に行くぞ。この時間帯ならばランドゥン様とバートル様は揃って家令室にいるはずだ」

 ランドゥン様はエムロイディーテ侯爵家の家令、バートル様は執事長を務めている。
 エムロイディーテ侯爵家での家令の役割は、主に領地や財政管理。執事長はその他の執事と全体の使用人の統括、また館の管理が主な役割だ。
 いわばその二人は、使用人の長でありツートップなのである。

 クリスティーナお嬢様の新しい従者となった俺は、まずはその二人と顔を合わせるため、これからクリアと本邸へ向かうことになっていた。

 エムロイディーテ侯爵家には、家令が一人、執事長が一人、その下に執事がもう三人いる。
 あとは俺のような個人に仕える従者であったり、屋敷内勤務の従僕、下男と続く。
 それらの人数も先ほどクリアに教わったが、着替え中に言われたので忘れてしまった……。

 もう女性使用人あたりの人数は頭から抜けた。あれは書くか、あと何回か聞かないと覚えられない。一発では無理だ。

「……いってらっしゃい、ニア。わたくしはここで待っているわ。家令も執事長も悪い方ではないから、安心して挨拶をしてきてね」

 少しだけ複雑そうな表情を浮かべながら、クリスティーナお嬢様は俺を見送ってくれた。
 ……自分の家であるはずなのに本邸に近寄れないというのは、どういった心地なのだろう。

「はい、行ってきます!」

 笑顔で送ってくれたお嬢様に、俺は思いを悟られないように元気よく返した。

「行ってきます、じゃない。お嬢様には行って参ります、と言うんだ」

 すぐにクリアに訂正されてしまった。
 正式な従者となったため、今まで以上にクリアの目は厳しくなった気がする。
 主にクリスティーナお嬢様との接し方だが。

「わたくしは構わないのに」

 寂しそうな顔を見せるお嬢様に、クリアの頬が一瞬だけうっと引き攣る。
 けれど改めて、クリアはお嬢様に言って聞かせた。

「お嬢様がよろしくても、他の使用人の目があります。なかでも執事長のバートル様は礼儀を重んじる御方。今のうちに癖をつけておいたほうがこいつの身のためです」

 俺にはこいつとか、雑に言うよねクリア先輩。
 おそらくお嬢様とシャルの前であるから、多少なりとも砕けた物言いをしているのだろう。
 つまりは時と場所と場合を考えろってことですね。

「クリア先輩の言う通りですね。せっかくお嬢様の従者になれたので、これから精進します」
「そうね、わかったわ。ここはクリア先輩に従いましょうか」
「お嬢様!」
「ふふ、だって先輩って、面白い呼び方なんだもの」

 茶目っ気たっぷりのお嬢様に、クリアはなぜかたじたじになっている。

「くふふ、クリアせんぱ〜い」

 横ではシャルがくすくすと笑っていた。
 そんなに珍しい呼び方なのかな。
 それにしても、主人だから当たり前と言ったら当たり前だが……本当にクリアってお嬢様には弱いね。
 お嬢様にからかわれて赤くなっちゃってるし。

「……くっ、おい、早く行くぞ!」
「はーい」

 そそくさと退出を図るクリアの後ろを雛鳥のごとくついて行く。
 そうして、俺とクリアは今度こそ応接室を後にした。