ローズマリーという女性の話をしよう。

彼女は英国の名家の生まれで、5人兄妹の末娘だった。裕福で愛のある家族のもとで何不自由なく育ったローズマリーは、心優しく美しいレディへ成長した。
蝶よ花よと育てられた深窓の令嬢も、17歳を迎える頃には縁談も多く舞い込み、とんとん拍子で5歳上の貴族の男性との結婚が決まった。

生前手先が器用だったローズマリーは、式に向けてのドレスの刺繍や造花のコサージュも自分で作り、自分と花婿を模した人形まで作っていた。
身持ちも固く誠実な結婚相手。皆に祝福され、彼女は世界一幸せな花嫁となるはずだった。

『ローズマリーへ。』

彼女が17歳の若さでこの世を去ったのは、結婚式の当日の出来事であった。

原因は、花婿の失踪である。

『美しいローズマリー。
あなたと結婚することは出来ない。僕は神に人生のすべてを捧げようと誓ったのだ。
不義理な僕のことは忘れ、どうか幸せになってほしい。』

直前に書かれたのだろう走り書きの手紙を握り締めて、荘厳なチャペルの金の十字架の前で、ローズマリーはショックのあまりその場で息を引き取ったのだった。

「……あぁ、オリバー様。
わたくしは心から、あなたと家族になる未来を夢見ていましたのに…。」

若きローズマリーの純粋で悲痛な嘆きは、彼女の魂を安らかな楽園へ導いてくれなかった。神に婚約者を奪われたというのに、死して神の下へ行くなど願い下げである。

死後、丘の上の墓地に建てられた厳かな霊廟(れいびょう)へ埋葬された彼女は、夜毎に石棺から蘇るようになった。

死ぬ瞬間まで着ていた花嫁のドレスはすっかりボロボロで、コサージュもほとんど残っていない。華やかだった金髪は色が抜け、露出した肌は青白く、あちこち朽ちて骨肉が見える有様だ。頭のオンボロのヴェールは、ローズマリーのグズグズに朽ちた右半分の顔を辛うじて隠していた。

彼女は、肉体は死んでも魂は死にきれないゾンビとなってしまったのだ。

「オリバー様…。
なぜわたくしを…、裏切ったのぉ!!」

裏切りの花婿への想いはいつしか憎しみに変わり、ローズマリーは霊廟の中で、生前得意としていた手芸の腕をふるう。
藁や端切れなどを使い、オリバーの姿を模した藁人形を山ほど作っては、釘と金槌で夜な夜な人形の胸を打つという奇行を繰り返していた。

「オリバー!!許さないィィーーッ!!」

人形を作る行為にも、それを呪う行為にも意味はない。ゾンビは生前に熱中していた行動や習慣をなぞるもの。そういう悲しい運命なのだ。

ローズマリーの行動は決まっていた。
夜毎、材料を集めるために外を徘徊。調達が済んだら霊廟に籠り、藁人形や等身大のカボチャ頭のカカシなどを作る。それらを呪い、場所を取る大きなカカシなどは霊廟の外へ立てて並べ、夜が明ける頃になるとしずしずと石棺の中で眠り夜を待つ。

そんな不健康極まる生活がもう100年は続いたか。
いつしかローズマリーの霊廟は、村一番のオカルトスポットとなっていた。
夜な夜な聞こえる奇声と釘を打つ音、霊廟の周りにずらりと並ぶカカシなどが、不気味な雰囲気を一層盛り上げたのだ。

100年も経つと世間はだいぶ様変わりしたが、ローズマリーの日々は変わらない。
徘徊、奇行、就寝するだけのルーティーン。彼女自身、脳味噌の中まで朽ちているため、その行動に意味も疑問も持たないのだ。

「…お父様やお母様や、兄達は元気にしているかしら。」

生前の家族のことをふいに思い出しても、

「…オリバー許さぬ!!」

結局いつものルーティーンを繰り返してしまう。憎き元花婿オリバーも、あれから100年も経てば寿命で死んだであろうことも、今のローズマリーには分からない。

***

いつものように創作活動の材料調達のため、霊廟から少し離れた雑木林へ出掛けた日のことだった。

今宵は美しい満月だ。天上に浮かぶ月は大きく白く輝いていた。
いつも霊廟の中で奇声を上げるか、外で下を向いて「ウゥ」と景気の悪い唸り声を出しながら歩くかしているローズマリーも、この日ばかりは足を止め、空を見上げる。

「なんて、綺麗…。」

“美しい”と感じる心がまだ残っていることに驚いた。
ひと時でも暗く悲しい日常を忘れさせてくれる景色。人間だった頃を思い出す。

「…そういえば、長らく食事を摂っていないわね。」

ゾンビと言えど、いやむしろゾンビだからこそ空腹感が湧き上がることもある。
霊廟内では創作と奇行で時を忘れて熱中してしまうため(実際にそれで100年過ごしてしまった)、今の今まで空腹に気付かなかった。

人間の頃は、夜毎に絢爛なディナーパーティーが開かれたものだ。色とりどりの前菜に宝石のようなデザート。そして血の滴るローストビーフ…。

「…ウププッ。」

思わずヨダレが口から溢れ出る。レディにあるまじき姿を恥じながらも、ボロボロのドレスの裾で口元を拭った。

…すると、突然近くの茂みがガサガサッと音を立てた。

「!?」

思わず身構えるローズマリー。
野生動物だろうか。ウサギなどの小さな生き物なら好都合だが、あまり強靭なタイプは彼女自身の体の耐久性が心配だ。
両手を顔の前に翳し、指の隙間から様子を伺うことにした。

「!」

暗がりの茂みの中に一瞬、帽子を被った“人”の頭部が見えた気がした。

それに気づいた瞬間、ローズマリーの狩猟魂に火がついた。別名「人狩り行こうぜ本能」だ。

「ガァゥッ!!」

目を剥き歯を剥き、健気な美女の姿はどこへやら。本家本元のゾンビモードで、ローズマリーはその人影へ襲い掛かった。

「!」

相手は驚き、素早く身を引く。
ローズマリーは畳み掛けるように、全体重をかけて相手に覆い被さった。文字通り、押し倒したのだ。

「ガァウゥ〜!!」

丁度タイミングよく、月明かりが二人を照らす。

唸りを上げるローズマリーの下には、黒地に金の刺繍が施された、袖丈も着丈も長い東洋の礼服を纏った人物がいた。
頭にはボウルのような形の赤い帽子を被り、その帽子のつばに、異国の文字が書かれた奇妙なお札を貼っている。

「ガァァ!!」

血に飢えたローズマリーがそれを気にするはずもない。
彼女の鋭い歯は真っ直ぐ首を狙ったが、相手がとっさに腕を出して首をガード。

歯は噛み付く直前に狙いを少し外し、相手の顔面に垂れ下がっているお札へと向かう。
その結果、

ーーービリッ

紙が気持ちよく裂ける音。
お札を食い千切る結果となった。おまけに歯が紙を貫通して穴だらけだ。

「ガウ!?」

噛み慣れない感覚に、ローズマリーは正気を取り戻した。
破れたお札を咥えたまま、だが馬乗りになったまま、上半身だけを勢いよく起こして相手から離れようとする。

月光で辺り一面が青白く照らされている。
その明かりは、唖然とするローズマリーの顔と、その下で無表情に彼女を見上げる、美しい青年の顔を浮かび上がらせた。

月明かりよりも青白い、血の気の無い肌。スッと通った鼻筋に、赤く充血した切長の目。薄い唇からのぞく鋭い犬歯。黒く長い髪を三つ編みにして垂らしている。

ゾンビであるローズマリーは本能的に、彼が人間ではないことを察した。
なぜなら彼をいくら見つめても食欲が湧いてこない。自分と同じ、死人の気配がする。

お札を咥えて離さないローズマリーの心中は、実はそれどころではなかった。

「……オ、オギャーッ!!」

思わず、不気味な雄叫びを上げる。
血の通わない顔を真っ赤に染め上げて、ローズマリーはゴム毬のように青年から3mほど飛び退いた。

一言で表すなら、彼女はパニックに陥っていた。
人間ではない人型の動く物体に遭遇したこと。
100年間こんなに人と密接したことがなく、久々の感触に全身の皮膚がビックリしていること。
そして何より…青年の顔が、ローズマリーの好みにとんでもなくドンピシャだったこと。

「ギ、ギャワ、ギャワワ…っ!」

様々な感情がハリケーンのごとく彼女の脳内を駆け巡る。まともな言葉も出てこない。

ローズマリーの胸中は丁度こんな感じ。

ーーー…ど、どういうことなの!何ですのこの感情…!?
オリバーと初めて会った時もドキドキしたけど…そんなの比じゃないくらい、体中が熱くて、あぁ…朽ちかけの体が、崩れてしまいそう…!

100年振りに膨大な熱量の感情を抱えすぎたせいで、ローズマリーの処理能力は限界を迎えた。
頭のてっぺんから白い湯気を立ち上らせ、ただでさえ朽ちかけの脚がボロボロと崩れていく。結果、その場にヘナヘナとへたり込む体勢となってしまった。

たった今押し倒されていた青年が、ゆっくりと上体を起こす。
青年の赤い目と、ローズマリーの青い目が見つめ合う。
ローズマリーは一層胸の昂りを感じた。心臓などとっくに朽ちて無くなっているはずなのに。

青年が、その薄い唇を開く。


「失礼ですが、お嬢さん。
私がなぜここにいるのか、教えて頂けませんか?」

やや低めの耳に心地よい声色で、青年は自分が迷子であることを明かしたのだった。


「………ギャワ?」

ローズマリーの口から破れた紙切れがハラリと落ち、土くれと化した脚に着地した。