次の日も。その次の日も。

 バイトから帰っても、真宙が出迎えてくれることはなかった。

 真宙が来ないことで、私の食生活のレベルは最悪なものになってしまった。惣菜だとか、カップ麺だとか、栄養バランスもあったもんじゃない。

 ただ、お腹を満たせるならなんでもよかった。

「なんか、元気ない?」

 そんな生活をしていたせいで、三日ぶりに会った結芽にそんなことを言われた。

「そんなことはないけど」

 答えると、結芽は顔を近付けてきた。そして私の右頬を突っついてくる。

「肌に艶がない。ちゃんと食べてないでしょ」
「食べてるってば」

 結芽の肩を押して、距離を作る。

 結芽は疑いの目をやめない。

 たった二日。二日、真宙の作ったご飯を食べないだけで、そんなに変わるのだろうか。

「まあいいや。まともにご飯作れてないのは私も一緒だし」

 結芽は隣に座って講義の準備を始める。

 結芽と私は違う。結芽は、少しは自炊をしていると聞いた。私は、真宙に作ってもらってばかりで、自分で作ったことがない。

 一緒じゃない。

「外食だと栄養が偏るとか言われるけど、私たちの場合、外食して野菜食べるほうが健康的だと思わない?」

 笑って誤魔化す。

 私は多分、真宙のご飯を食べているのが一番いい。

「そういうわけで、今日食べに行かない?」

 どういうわけかわからない。

「今日って、いきなりだね」
「忙しい?」

 いつもなら断るところだ。課題に追われ、バイトもあり、帰れば真宙のご飯が待っているから。

 でも、今日もまたいないかもしれない。

「……いや、いいよ。行こう」

 もしいるなら、連絡をしておけばいい。

 私は結芽の誘いを受けた。それはほぼ初めてのことで、結芽は満足そうに笑っていた。

  ◇

 結芽に連れてこられたのは、大学の近くにあるファミレスだった。

 四人席に、二人で座る。

「なに食べようかなあ」

 メニューを開いて、楽しそうにしている。私も同じように開くけど、真宙が作ったほうが美味しそうに見えて仕方ない。

「早紀、なににするか決めた?」
「うーん……」

 ただ、メニューをめくるだけ。食欲をそそられるものがない。

「でも珍しいね、志田君が食事会に参加するなんて」

 どこかから、女の声が聞こえてきた。

 志田君。

 私の知っている志田なのか気になって、メニュー表から顔を上げる。

 結芽の奥に、見覚えのある顔があった。両隣にはおしゃれな女子。

 真宙は、私のことなんて放ったらかして、女子と遊んでいたらしい。

 私が顔を上げたことで、真宙と目が合う。真宙も私の存在に気付いたはずなのに、わかりやすく目を逸らした。

 やましい気持ちでもあるのだろうか。

 遊びたかっただけなら、そう言ってくれればよかったのに。連絡してくれればよかったのに。

 女子とご飯に食べに行くくらいで怒るほど、私の心は狭くない。

「ちょっと、早紀。怖い顔してどうしたの」

 声をかけられて、結芽とご飯を食べに来ていたことを思い出した。

「……ううん、なんでもない。私、やっぱり帰る」

 メニュー表を元の位置に戻し、カバンを持つ。

「帰るって、なにか食べてかないの?」

 結芽は私のしていることが理解できないと言わんばかりに呼び止める。私も、自分がどうしたいのかわからない。

 だけど、一つだけ言えることはある。

「……気分じゃない」

 友達とご飯を楽しむ余裕はなかった。

 戸惑う結芽を置いて、店を出る。

 真っ直ぐ帰ろうかと思ったけど、真宙と話がしたい気持ちもあった。

 自分の部屋で、真宙の帰りを待ってもよかった。

 でも、私に隠れてあんなことをしていた真宙が、私の家に来るとは思えない。

 真宙の家の合鍵は持っているけど、真宙が帰ってくる保証もない。

 そういうわけで、私は店の出入り口が見える場所で真宙が出てくるのを待つことにした。

 そこは、街灯もない小さな公園だった。昼間は子供たちの元気な声が響いているのだろうが、月明かりに照らされるそこは、沈黙に包まれている。

 明かりがなければ勉強はできない。この暗い中でスマホを触る気もない。

 夜に闇を落とした要因である空を見て、真宙が出てくるのを待つ。

 雲が流れ、暗闇の中で輝く月を隠しては置いていく。

 星は見えるが、天文の知識がないため、星座などわからない。

 雲と同じように、静かに時間が流れていく。

 これほどなにもしない夜は、大学生になって初めてかもしれない。

 いつも、予習に復習、そして課題に追われているから。

 静かに過ぎていく時間も、案外悪くない。

 そう思っていたら、この静けさに不釣り合いな笑い声が聞こえてきた。

 私は店の出入り口に視線を移す。

 騒がしい集団の中に、真宙の姿があった。

 私には見せたことのない楽しそうな笑顔で、輪に混ざっている。

 聞きたいこと、話したいことは山ほどあるのに、真宙のその笑顔を見た私の足は、動くことを知らなかった。

 真宙たちがどこかに行ってしまうのを見送って、私は家に戻った。

 室内は、公園で見たのと同じ暗闇。

 だけど、あの不思議な温もりのようなものは一切ない。

 溢れたのは、涙だった。