「お待ちしておりました」
店員然とした市川に迎えられ、彩夏はとっさに頭を下げた。今日、加奈は用事があるらしく彩夏一人だった。
夕方以降だと他のお客さんが増えるだろうと思い、午前中にやってきた。大学はもう春休み。桜庭書房に着いたのは午前11時。読み通り、他にお客さんはいない。
「よろしくお願いします」
書店に来て言うセリフではないが、今日は市川の話を聞く心算だったのでなんとなく畏ってしまう。
市川は、「良かったら」と店の奥から小さな丸椅子を持ってきて、彩夏に勧めた。彩夏がその椅子に腰かけると、市川は事前に恵実から聞いたことを話し出した。
「『ブラック時計』を着けたのは、恵実さんの旦那さん、身内の方を覗くと三人だと伺いました。そのうち二人が一瀬さんと、この前いらっしゃった吉川加奈さんです。そして、もう一人は高校生の女の子です。名前は」
流石に個人情報だということで、市川はその女子高生の名前を口には出さず、メモ用紙に書いて渡してくれた。近所の朋藤高校に通っていて、現在は高校二年生だという。もしかしたら、と彩夏には思い当たることがあった。昨年の秋頃、女子高生がここに訪れていたのを見ていたのだ。
「彼女が『ブラック時計』を着けた時の効果は、聞いていないでしょうか」
「それは教えてくれませんでした。きっと店長にとって、『ブラック時計』の効果というのは特別な意味を持っているのだと思います」
その点については、彩夏にも理解できた。恵実は何よりも昴との生活を大切にしていた。そんな彼がいなくなる原因となったブラック時計のことだから、軽々しく口にしたりしないだろう、と。
「分かりました。その、女子高生のことだけでも分かって良かったです。彼女を探してきます」
「はい。もし私にも何かできることがあれば、いつでもおっしゃってください」
「ありがとう」
おそらく自分と同じか、いやもしかしたら自分よりも年下かもしれない店員に、彩夏は深々と頭を下げた。
「雨だね、彩夏さん」
加奈と彩夏が落ち合ったのは、1間後の火曜日だった。土砂降り、とまではいかないけれど、傘を差していても彩夏のパンツの裾が少し濡れていた。制服姿の加奈は白い運動靴が湿って汚れているのが見える。
ここ数日、彩夏はサークルを休んでいた。諸々の事情はきちんと話せていないが、親友の浦田弥生がうまいこと先輩たちに伝えてくれていた。
「うん、ついてないわ。でも、せっかく加奈ちゃんが来てくれたんだから」
「お母さんには臨時で部活があるって言ってきたから大丈夫。本当は月曜日と木曜日しか活動ないんだけどね」
「わざわざありがと」
彩夏と加奈は、同じ『ブラック時計』を着けた仲間として何度か会ううちに、姉妹のような関係になっていた。
二人がやってきたのは他でもない、件の女子高生——秋葉里穂が通う朋藤高校だった。流石に中に入るのは憚られたため、傘を差した二人は学校が終わるタイミングを狙って、校門の前で待ち伏せしていた。
とはいえ、二人は秋葉里穂の顔を知らない。知らないからには、力尽くで探すしかなかった。
「あの、2生ですか?」
「え? いや、1年です」
「すみません。それなら大丈夫です」
校門から出てくる女子生徒に逐一声をかけ、秋葉里穂と同じ2年生を探した。
高校生たちは校門で声をかけまくっている二人の女を訝しげに見つめていたが、二人にとってはそんなことどうでもよかった。なんとしても、秋葉里穂を探し出したい。『ブラック時計』のヒントが欲しい。ただ、その一心で。
「秋葉里穂さんという人を、知りませんか」
もう何度目か分からない。流石に、体力的にも精神的にも二人は疲れて。やってきたカップルの女の方に、ド直球な質問を投げた。
「それ、あたしです」
可愛らしい女の子だと思った。隣にいた彼氏と思われる男の子は爽やか系。青春って確かこんな景色だ、と彩夏は思う。
「本当に!」
あまりの嬉しさにガッツボーズをする勢いで、彩夏がぱっと表情に花を咲かせた。
「はい。あの、あたしに何か用ですか?」
里穂が首を傾げているところを、すかさず加奈が「話を聞きたいんです」と答えた。
「私たち、桜庭書房の『ブラック時計』について聞きたくて、あなたを探していました。知っていますよね?」
こういう時、中学生の無邪気さが役に立つのだと彩夏はしみじみと感心した。
「え、その話どこで」
里穂は「まさか自分以外の口から『ブラック時計』という単語を聞くとは思ってもみなかった」というふうに目を丸くして驚いている。
「店長の芦田恵実さんです」
「芦田さん……。ああ、あの時の」
里穂の頭の中で、「芦田恵実」と「ブラック時計」、「桜庭書房」が完全に繋がり、「分かりました」と頷いた。
「一樹ごめん、今日はちょっと先に帰っててもらえる?」
「ああ、いいよ」
里穂が隣にいた男子生徒に断りを入れると、その人は彩夏たちを一瞥しながらも何か訳ありだということを一瞬で悟ってくれ、「じゃあまた明日」と笑顔で手を振った。
「ごめんなさい、急に待ち伏せなんかして」
「ううん、いいんです。きっと、大事なことなんでしょ?」
その一言だけで十分だった。彩夏も加奈も、里穂が『ブラック時計』を着けたことのある仲間だと感じた。
「ありがとうございます! 近くでお茶でもしませんか。少しだけでいいので、話を聞かせて欲しいです」
「はい、ぜひ」
店員然とした市川に迎えられ、彩夏はとっさに頭を下げた。今日、加奈は用事があるらしく彩夏一人だった。
夕方以降だと他のお客さんが増えるだろうと思い、午前中にやってきた。大学はもう春休み。桜庭書房に着いたのは午前11時。読み通り、他にお客さんはいない。
「よろしくお願いします」
書店に来て言うセリフではないが、今日は市川の話を聞く心算だったのでなんとなく畏ってしまう。
市川は、「良かったら」と店の奥から小さな丸椅子を持ってきて、彩夏に勧めた。彩夏がその椅子に腰かけると、市川は事前に恵実から聞いたことを話し出した。
「『ブラック時計』を着けたのは、恵実さんの旦那さん、身内の方を覗くと三人だと伺いました。そのうち二人が一瀬さんと、この前いらっしゃった吉川加奈さんです。そして、もう一人は高校生の女の子です。名前は」
流石に個人情報だということで、市川はその女子高生の名前を口には出さず、メモ用紙に書いて渡してくれた。近所の朋藤高校に通っていて、現在は高校二年生だという。もしかしたら、と彩夏には思い当たることがあった。昨年の秋頃、女子高生がここに訪れていたのを見ていたのだ。
「彼女が『ブラック時計』を着けた時の効果は、聞いていないでしょうか」
「それは教えてくれませんでした。きっと店長にとって、『ブラック時計』の効果というのは特別な意味を持っているのだと思います」
その点については、彩夏にも理解できた。恵実は何よりも昴との生活を大切にしていた。そんな彼がいなくなる原因となったブラック時計のことだから、軽々しく口にしたりしないだろう、と。
「分かりました。その、女子高生のことだけでも分かって良かったです。彼女を探してきます」
「はい。もし私にも何かできることがあれば、いつでもおっしゃってください」
「ありがとう」
おそらく自分と同じか、いやもしかしたら自分よりも年下かもしれない店員に、彩夏は深々と頭を下げた。
「雨だね、彩夏さん」
加奈と彩夏が落ち合ったのは、1間後の火曜日だった。土砂降り、とまではいかないけれど、傘を差していても彩夏のパンツの裾が少し濡れていた。制服姿の加奈は白い運動靴が湿って汚れているのが見える。
ここ数日、彩夏はサークルを休んでいた。諸々の事情はきちんと話せていないが、親友の浦田弥生がうまいこと先輩たちに伝えてくれていた。
「うん、ついてないわ。でも、せっかく加奈ちゃんが来てくれたんだから」
「お母さんには臨時で部活があるって言ってきたから大丈夫。本当は月曜日と木曜日しか活動ないんだけどね」
「わざわざありがと」
彩夏と加奈は、同じ『ブラック時計』を着けた仲間として何度か会ううちに、姉妹のような関係になっていた。
二人がやってきたのは他でもない、件の女子高生——秋葉里穂が通う朋藤高校だった。流石に中に入るのは憚られたため、傘を差した二人は学校が終わるタイミングを狙って、校門の前で待ち伏せしていた。
とはいえ、二人は秋葉里穂の顔を知らない。知らないからには、力尽くで探すしかなかった。
「あの、2生ですか?」
「え? いや、1年です」
「すみません。それなら大丈夫です」
校門から出てくる女子生徒に逐一声をかけ、秋葉里穂と同じ2年生を探した。
高校生たちは校門で声をかけまくっている二人の女を訝しげに見つめていたが、二人にとってはそんなことどうでもよかった。なんとしても、秋葉里穂を探し出したい。『ブラック時計』のヒントが欲しい。ただ、その一心で。
「秋葉里穂さんという人を、知りませんか」
もう何度目か分からない。流石に、体力的にも精神的にも二人は疲れて。やってきたカップルの女の方に、ド直球な質問を投げた。
「それ、あたしです」
可愛らしい女の子だと思った。隣にいた彼氏と思われる男の子は爽やか系。青春って確かこんな景色だ、と彩夏は思う。
「本当に!」
あまりの嬉しさにガッツボーズをする勢いで、彩夏がぱっと表情に花を咲かせた。
「はい。あの、あたしに何か用ですか?」
里穂が首を傾げているところを、すかさず加奈が「話を聞きたいんです」と答えた。
「私たち、桜庭書房の『ブラック時計』について聞きたくて、あなたを探していました。知っていますよね?」
こういう時、中学生の無邪気さが役に立つのだと彩夏はしみじみと感心した。
「え、その話どこで」
里穂は「まさか自分以外の口から『ブラック時計』という単語を聞くとは思ってもみなかった」というふうに目を丸くして驚いている。
「店長の芦田恵実さんです」
「芦田さん……。ああ、あの時の」
里穂の頭の中で、「芦田恵実」と「ブラック時計」、「桜庭書房」が完全に繋がり、「分かりました」と頷いた。
「一樹ごめん、今日はちょっと先に帰っててもらえる?」
「ああ、いいよ」
里穂が隣にいた男子生徒に断りを入れると、その人は彩夏たちを一瞥しながらも何か訳ありだということを一瞬で悟ってくれ、「じゃあまた明日」と笑顔で手を振った。
「ごめんなさい、急に待ち伏せなんかして」
「ううん、いいんです。きっと、大事なことなんでしょ?」
その一言だけで十分だった。彩夏も加奈も、里穂が『ブラック時計』を着けたことのある仲間だと感じた。
「ありがとうございます! 近くでお茶でもしませんか。少しだけでいいので、話を聞かせて欲しいです」
「はい、ぜひ」