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「間違い……?」
加奈が少し冷めたお茶を啜りながら、恵実に訊いた。
「ええ。間違いだったの。私は、彼に『ブラック時計』を貸しちゃいけなかった」
「でも……、私たちだって『ブラック時計』を着けていましたよ。私は動物が見えるようになって、このお姉さんは」
「他人の恋愛感情を見たわ」
「そうなんだ。それで、私たちが見たものは、何かいけないことだったんですか? 私は、その時計で大好きな動物たちの声が聞こえるようになった。楽しかったし、嬉しかった。だから、『ブラック時計』に感謝してるくらいなのに」
「わたしは……先輩の、気持ちが見えるようになって。それで、傷つきもしたし、友達のことをもっと大切に思いもしました」
加奈ははっとして彩夏の方を見た。
彩夏は両手をきゅっと膝の上で握っていた。加奈の目には、彩夏が『ブラック時計』を着けることで自分とは違う思いをしたのだということを悟る。
「加奈ちゃん。『ブラック時計』は、加奈ちゃんのように、平和なものが見えるだけじゃないの。彩夏さんのように、見たくないものを見てしまうことだって、あるわ」
「見たくないもの……」
今度は、彩夏が潤んだ瞳を恵実に向ける。少しずつ、閉じていた唇が開き、震える声で尋ねた。
「じゃあ恵実さんは、昴さんが“見たくないもの”を見てしまったのだと思っているんですね……」
「そうよ」
『ブラック時計』のことを考えると、恵実の胸は今も張り裂けそうなほど音を立てて暴れ出す。目を背けたいと何度も思った。何も考えず、昴はただ交通事故で逝ったのだという事実のみを受け入れたかった。
 
けれど、どうしても離れなかったのだ。
昴が、最期に一緒に車に乗っていたのが女の人だということ。
彼が見たものと、その女の人が何か関係しているのではないか。
神様は、自分から大切な人を奪うだけでなく、こんな難題を突きつけて。
彼の真実を知りたい。
真実を知らずに、恵実はこの先生きていくことができないと、思い始めていた。