初めて私の店に彩夏さんが訪れたのは、菜乃の家に遊びに行った翌日のことだった。
「いらっしゃいませ」
ちょうど、玄関の掃除をしようと外に出たときだった。
扉を開けると、蝉の大合唱と共に、女子大生と思われる女の子が、目の前に現れた。一瞬驚いてしまったけれど、この書店が気になってくれているんだと嬉しくて、自然と笑がこぼれた。
「あの、すみません。初めて来たもので、どうしようかなと迷っていて」
「そうだったんですね。ご来店ありがとうございます。ぜひお入りください」
一瀬彩夏さん。名前は後で知ったのだけれど、その日から何度か来てくれるので、私はつい彼女に話しかけた。地元、三葉大学に通う1年生の女の子らしい。ショートヘアの黒髪で、艶のある肌をした彼女が、古ぼけた書店の中では一際目立っていた。
大人しい子なのかな、と思った。
けれど、一度仲良くなればなんでも話してくれる人で、私のように根暗な性格はしていなかった。私は、気が合う人としかたくさん話せない。
彼女はよく、今ハマっている本や映画のことを語ってくれた。お返し、ではないけれど、私も彼女におすすめの本を紹介したり、彼女が好きそうな本を選んであげたりした。
秋になり、彩夏さんと昴さんが、初めて鉢合わせたので、私は二人をお互いに紹介した。
「お、噂の彩夏さん、か」
昴さんには、何度か彼女の話をしていた。よく遊びにきてくれる女の子がいて、その子と話していると退屈しない。以前よりお店の仕事をするのが楽しい、というように伝えていたので、昴さんは会ったことのない彩夏さんのことを、心底気に入っていた。
「はい。始めまして。こちらには何度も通わせていただいています」
「そんなに畏まらなくて良いよ。妻の話し相手になってくれて、いつもありがとう。それから、本を買ってくれることもね」
「とんでもないです。わたしの方こそ、恵実さんと話すのがとても楽しいんです」
二人は、初対面なのにすぐに打ち解けてくれて、私は内心ほっとしていた。
お客さんと昴さんが仲良く話しているのを見るのは、私にとって幸せなことだった。自分がやっている店で、人と人の輪がつながっていくのが嬉しい。これまでは、祖母から受け継いだ本屋を守りたいという気持ちだけで働いていたけれど、新しい生きがいを見つけた。
昴さんと彩夏さんはその後も何度か鉢合わせるタイミングがあり、三人で会話をするのも、普通の光景になった。私がその場を外しても、昴さんは彩夏さんと最近流行りの映画の話で盛り上がっている。なんだか、家族のようだ。赤の他人、それもお客さんなのに、変だ。でも、昴さんだって元々はお客さんなのだ。気がつけば私の世界は、桜庭書房が繋いでくれた人たちで満ちていた。
「ねえ、昴さん」
「なんだい」
「このまま、ずっと続けばいいね」
「続くさ。だって、僕らは変わらないだろう。歳をとっても、ここで、この街で、本を愛する人たちと接しながら生きていく。会社に出勤して家に帰るだけの毎日だった僕の日常に、この書店での出会いの日々はもう手放せないよ」
彼は、この上ないくらい幸せそうな微笑みを浮かべて、私の肩に手を回した。私たちの家の、ベッドの上だった。そのまま、朽ち果てるようにして二人で布団の上に身体を預けた。何回同じシチュエーションになっても、乙女のようにドクンと鳴る心臓。恥ずかしい。昴さんの手は、私の頭を撫で、頬を撫で、胸へと行き着く。私はそのまま、されるがままになる。何かを考え始めると余計な感情が生まれてしまうから、頭の中を空っぽにした。やがて、私たちは一つになり、陽だまりから灼熱の大地に出る。熱い。冷え性な自分の身体が、これほど熱を帯びるようになるなんて、知らなかった。
彼の身体は私のよりももっと熱く、このまま二人でいたら溶けてしまうんじゃないかと思った。夏の暑い日に、舌の上で転がすアイスキャンディーが一瞬のうちに液体になるのを思い出す。大人になってからアイスキャンディーなんて食べていないから、どこか、遠い日の記憶だった。