「はい?」
ダメだ。
質問の答えに対して、また疑問が浮かぶ。
これじゃ、いつもあたしが授業中にやってることと一緒じゃない!
「“何か”って、具体的に何が?」
「それは私にも分からないんです」
「はあ」
「その時計は、昔からこの店においてあるちょっと変わった時計で。着けると“何か”が見えるようになると言われています。けれど、時計をつけて見えるものは人によって違うんです。私はまだ、着けたことがありません」
「なるほど」
と、口では言いながら、頭はもちろん追いついていない。
何も納得していないし、彼女の言うことはにわかには信じられない。
掌に収まる時計をちらと見れば先ほどと変わらず、見た目は古いながらもしっかりと時間を刻んでいた。
「つまり、実験ってことですか?」
「そうですね。実験、です。私には、その時計が本当は何を見せてくれるのか、分からないので」
その瞬間芦田さんはどうしてか、寂しそうに目を伏せた。
彼女が少しでも表情を崩すのを初めて見た。前向きな感情ではないが、良かった、ちゃんとこの店長さんにも感情はあるんだ。
得体の知れない存在から少しだけ人間らしさが垣間見えてほっとした。
「分かった。でも、どうして店員さんは着けないんですか? もしかしてこれ着けたら不幸なことになるとか?」
「いえ、決してそのようなことは起こりません。腕時計を着けて、命の危険に晒されるとか、 危険な目に遭うことはありません。ただ私は勇気がないだけです」
「ふーん」
いまいち腑に落ちないが、まあ危険なことがないならいっか。
それに、芦田さんの話が本当だとも思えないし。
ひとまずこの時計を着ければ参考書をもらえるし、ここは彼女の言うことを聞いておこう。
「分かりました。この時計を試してみます」
「ありがとうございます。では、代金をいただかない分の本は差し上げます。その代わり、その『ブラック時計』を着けて起こったことを、また報告に来てください」
「“ブラック時計”?」
「その腕時計の名前です」
いや、見た目のまんまじゃん!
と突っ込みたい気持ちは抑えて、私は彼女との取引に応じることにした。
「あ、その時計、着けている間は効果が現れます。それ以外は普通の時計と同じように使ってください」
「分かりました」
参考書を三冊、紙袋に入れてもらってお店を出た。
二冊は自分で買い、一冊は芦田さんからもらった。
左腕に着けた、不思議な黒い腕時計。
今のところ特に何も変わった様子はないけれど、とりあえず彼女の言うことが本当なのか、確かめることにしよう。